古城壁

2010年3月29日 (月)

鄭州へ

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土曜日鄭州へ。昼過ぎ着いて空港バスで市内の民航飯店まで15元、約40分。そこから宿のHoliday Innまで徒歩5分。

河南省マラソン参加のために鄭州にいったんだが、夕食前時間があり、折角だから商代城壁をみにいった。

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 ホテルから10分ほど歩くと城東路沿いに古城壁がある。

 こういう碑が立っているが実はただの土手。でも3000年前の土手。
 なんでこんなものが残っているのだろうか?

 河南省の省都はずっと開封で、鄭州が大きくなったの最近とか。以前は田舎っぽかったんだろう。

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全く何でもない土手です。川原の土手と見た感じ同じ。
 結構高い。10mくらいある。商代のものを利用して後代まで城壁を作っていたものをみえる。

 上ってみると土曜とあり近所の人たちが大勢散歩している。

 前回、1992年ここに来たときと同じだが、道路が整備されて土手が寸断されている。

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壁の上は広くて格好の子供の遊び場所。

 ちょっと年長の親分に連れられて数人で遊んでいる子供たち、という懐かしい風景。

 土手下にはなぜか桜が数本植えてあり八分咲きくらいまできていた。

P10501872_8 夜はみんなで去年と同じホテル向かいのレストラン「信陽甲魚村」へ。適当にきれいで安い。

 河南省の料理は辛くなく、薄味で食べやすい。特にこの「羅卜飯」が食べたくてここにきた。

 十分栄養を取ってよく寝た。

2009年7月 8日 (水)

西安城壁

酒飲んでよく寝た。いつもより遅く出て1時間走る。ずいぶん汗をかいたがまだ真夏の汗ではない。

P10309082 西安といえば古城壁。

こちらは南門の朝。暑いのでいたるところで外で寝ている人がいました。

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西安城壁の特徴はとにかくそのでかさ。写真の通り車が何台も通過できる城門。高さ(12m)、幅(14-15m)。

これだけのものは南京にしか残っていない。それにしても西安のはよく壊さずに完璧に残ったものだ。

 全周13.7キロと長さも飛びぬけている。

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門の上からみたところ。人が小さく見え、建物の3階と通路が同じくらいの高さにあり。

 左は内側。どこを見てもしっかりと堅牢で、まめに補修補修している様子が窺われる。

 なお、城壁の登るために40元取られる。だから上にいるのは観光客だけ。

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城壁上は広くて、自転車、電動カートが客引きをしている。1周歩いて回れるそうだ。今回時間がなく走れず。13.7キロだと相当走り甲斐がある。

 西安の城壁の中を車で移動してもかなり時間かかる。それくらい規模が大きい。唐のころの長安城と現在の城壁と、場所は違うが同じくらいの大きさだったそうだ。

P10309222 材料はレンガ。長さ40センチ、幅25センチ、高さ10センチくらいと大きい。普通の家では見かけないサイズだから城壁用特注なんだろう。

 そういえば、長城のそうだが、北方の建築に使われるレンガは黒いのがある。感触がすごく硬いところをみると高温で焼いて強度を強めたもののようだ。

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城外は濠もちゃんと残ってます。ここもきれいに整備され。

 壁と濠の間は公園と道。

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朝、公園でバトミントンしてます。

そういえばこういう風に壁に隣接して公園を設けている街が多い。

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内側は市場。

西安城壁は規模、保存状態、街との調和、どれを取っても中国一だろう。 

2009年5月31日 (日)

興城②

今日は日曜だが振り替え出勤日。朝16キロほど走る。まあまあ。

 休みになるとなんとなく旅に出るようになったのは40過ぎてから。マラソンだったり、中国内の探訪だったり。若い頃は旅などしなかったのに。

P10306562  北の方はまだまだ馬やロバが生活に根付いている。

 街道を走る車を気にせず重い荷物を引いていたるところで活躍。

 平遥のロバは汲み取りをしていたが、ここでは石炭を配達していた。この季節だから暖房ではなく煮炊きだろう。

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頑健な馬だ。後ろの引き車には石炭が満載。

 おじいさんが路地に石炭を届けている間おとなしく待っていたが、じろじろみて写真など撮ったら照れたのか、怪しんだのか足を踏み鳴らして暴れ始めた。

すいませんでしたP10306372

城壁の中に高い建物が無い。平屋の民家ばかり。

 どこの家も煙突が立ち、オンドルがある。

それにしても人が歩いていない物静かな路地だった。

 観光地になりきれない中途半端な風情がいいような、さびしいような独特の街だった。

きっと冬場にくるともっと縮こまった風景なんだろう。

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文廟の桐の大木。12年前大風が吹いて老木が倒れた。翌年、倒れた木の腹を根にして枝が新しい木として葉をつけ、その後すくすくと育っている。

 死に臨んだ人が子供を抱えてに必死で腕を伸ばしている姿にも見える。

 それに応えるように枝葉がまっすぐ元気に次代を担う。

 まさに生きている。

 東北人を象徴するかのような粘り強い。転んでも諦めない。生命力に感動せざるを得ない。

こういう驚きのために旅をしている。

 とはいいすすぎか。

だが、地方の人たちの黙々と着実に暮らしている様をみると、都会の愚痴っぽい習俗が浅薄に思えてくる。

興城へ

P10305562 29日朝上海から錦州へ。ゼンゼンがらがらのフライト。B737でざっとみて40人いない。キャンセルになるわけだ。

 2時間近く乗って着いた錦州空港は。。。

田舎の駅よりも寂れている。一日3便しかない。よくある軍用空港で建物が迷彩色で塗られている。

 空港周辺は出向かえの人とタクシーだけ。荒野の空港。良い天気だ。

 深呼吸して気持ちを整え。さて。タクシーと値段交渉。興城まで80キロくらい。高速を使うし、まあ150元では無理だろう。

 時間がないから街にいってバス、というわけにはいかない。

 人品よさそうな小柄なおにいさんに声を掛ける。200元と。まあ、いいかな、と思うが雑談風に値切り190元になった。

 で、乗りこんだら別の車のところに。「あっちの弟の車の方が大きくて遠距離向きだから乗り換えてくれ。」弟は兄(?)と違ってごつくて精悍な顔立ち。なんだか騙された気もしたが仕方ない。

 乗って途中話したとろこでは良い感じの青年だった。「日本人?近頃は日本人も中国語話すのか?」。「適当に。」「じゃあサービスしてスピード出すからシートベルトしてくれ。

 前後車のいない高速を120キロでぶっ飛ばしP10305602 て45分で到着。怖っ。

高速を下りてすぐが興城の街だった。小さい街だ。

 ものの本では興城の古城壁は西安、平遥、荊州と並ぶ保存状態だと。

 一見して門が小さい。これだと寿県の方が遥かに立派だ。

 手前左が甕城の一部で、前のところが取り壊されている。

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城の外側がレンガ、内側が石を積んである。内側の石は新しい。修復した後がいたるところでみられる。

 塀沿いに歩くと、「壁崩壊危険。近づくな」という注意があったり、工事中の場所が4-5箇所あったり。保存に苦労している様子だ。

 壁の高さ6-7mで城壁としては小ぶり。

 このお城は明末の英雄袁崇煥の奮戦で名高い「寧遠大勝利」の舞台。

 この戦いは瀕死の明が満州族に勝った唯一の戦いで、袁崇煥は中国では民族英雄。

 それにしてもこんな小さな城で?首を傾げる。

P10305712 城壁としては小さい。一辺1キロない。

 真ん中に立派な鐘鼓楼が残っている。これは250年前に再建されたもの。

 これは珍しい。鐘鼓楼が城壁と一緒にきちんと残っているのは平遥とここでした見たことが無い。

 骨董品が箱とセットであるようなもの。

 上部は木製。土台の石組みががっしりしている。

P10306162 南門。小さいから歩いてすぐに端に突き当たる。

 門内は意図的に飲食店を設けていないようだ。麺、饅頭の店すらない。なぜか?代わりにみやげ物屋さん風の店が表通りの軒を連ねてる。

門から出ると屋台がところ狭しと並び、なぜかイカの焼いたのを売っている。

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 袁は袁崇煥。金庸が好きな人なら日本人でもああ、と思うか。

 南方の町に比べると人が少ない。観光客は連休でそこそこ来ているが、地方都市にいくと子供がそこらじゅうで遊んでいる。ここはそんな風ではない。

P10306462 北門からみた甕城と郊外。北側は何も無い、ただの畑や空き地が広がるのみ。

 冬は寒いだろうな。

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城壁の上が整備されていて歩ける。1周歩いて回れる。

 本当は25元だが取るのだが、上ったところは人がおらず。下りたところは窓口の人が昼寝をしていた。切符は買っておいたが。

 P10306492 歩いているひとなど誰もおらず。天気もいいし回っていくが工事が多い。

工事中の上の方はこうなっている。休みの日で作業者おらず。誰もさえぎらないが歩きにくい。

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工事中の内側。石と石の間にしっくいみたいにセメントを塗っているようだ。

 内側の石は新しいし、最近修復したものといみえる。

 1周するのに1時間かからない。

   

2009年1月21日 (水)

首里城城壁

  今朝起きたら天気予報通りちょっとした雨。雨具着て10キロ走る。走っているのはいつものKさんだけだった。お互い物好きだ。

P10202832_2 那覇で首里城を見に行った。お目当ては城壁。これは出口の久慶門。どうみても中国式城壁だ。

 違うのは壁の上部に身を隠す出っ張りがないこと、単に外周を巡る塀ではなく内部が入り組んでいること、街ではなくて王宮を囲っていること。

 日本の城は中が入り組んでいるし、街全体ではなく領主の館、役所だけを囲っている。基本コンセプトがそもそも違う。

Cimg24342 構造はどうか。石造りの城壁。たとえばこれは泉州の崇武の門。 門の上に建造物がある。今では関帝廟になっているがもともと防御用の小屋だったもの。

 このあたりの石は彫刻に使うほど硬い石。首里のは石灰岩。

Cimg33602 こちらは台州の桃渚。こちらの石も硬くて加工が難しいもの。そういえばこちらの城門の上にも身を隠す出っ張りがない。

 規模でいえば桃渚のような片田舎の城壁でさえ首里よりもはるかに長い。全長3キロ以上ある。

P10202782 首里の石組み。不定形の石をきれいに組み合わせている。テレビでやっていたインカの建造物みたい。

 これは新しいものだろう。石灰岩だから加工が普通の石よりも容易なはず。

P10203072 古い壁が時間が経ち風化している。石組みの間が風化で磨耗して隙間ができている。

 石灰岩だから痛むのが早いようだ。

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崇武の石組み。こちらも石でできているが、石をレンガのように四角に加工して積んでいる。個々の石の大きさはまちまち。石組みの精密さは首里の方が上だが、こちらは400-500年前のもの。首里は200年前くらいか。

 漆喰で固めてあるわけでなし。地震に弱そうだ。

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こちらは桃渚の石組み。崇武に比べても石が不ぞろい。とにかく積み上げた構造。それでもこういうアーチは立派に残っているし、450年くらい前にできた割にはしっかりしている。

 同じ石の城壁でも相当違う。

 崇武も桃渚も倭寇を防ぐために海岸に儲けられた戦闘用の城。九州、沖縄の人が来たことがあるかもしれない。

2008年12月18日 (木)

西安一瞬

P10108642 出張で西安へ。話に聞いていたが予想以上に霧が濃い。市内の明け方は見通しが悪い自然の霧ではなく公害だといわれている。前日成都が大濃霧に包まれて飛行機が全部欠航。空港は一万人の人で溢れたと。

 西安といえば城壁なのだが。あわただしい訪問でじっくり見る暇なし。西門を通る過ぎるとき車を降りて少し眺めただけ。

 多分今回で6-7回目の西安訪問だと思う。いままでも城壁に感心していたが城壁を探訪するようになって初めて来たら。すばらしさに感動するばかり。間違いなく現存する城壁で今までみたうちNo.1。 P10108632

とにかく高くて幅があって長い。レンガの保存状態が良い。

 こういう風に自動車が通れるほどの大きさのアーチになっている。

 今もこの規模の街で残っているのは南京くらい。暖かくなったら是非来よう。

2008年12月 4日 (木)

鄭州:商代城壁

P10106122 開封からの帰りは鄭州空港から。鄭州のバス亭近くに商代古城壁跡があるので見に行った。

 一口に古城壁というが、これは3000年前のもの。一見するとただの土手に見えるがこれがそう。街の中にある。

 行ってみたら土手の下で素人伝統芸能会をやっていてお年寄りがたくさん集まっていた。

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「鄭州商代遺址」という石碑が一応ある。ここにくるのは2回目で、1回目は1993年。そのときのこのあたりはすでに住宅地だったが、古城壁はほとんど手入れされておらずただの通路状態だった。

 散歩している人がいたが草ぼうぼうで、ごみが捨ててあり、とてもそんな由緒あるものには見えず。

P10106152 ちょうどいったあたりは整備されているが、もう少し離れたところは相変わらずただの土手だった。

 それにしても改めてみるとその規模に驚く。高さ7-8m、基部の幅10m以上あり、後代のレンガの城壁とほぼ同じサイズ。かつてはこれもレンガか石で覆われていたんだろう。

 鄭州あたりは真平らだから攻められたとき自然を利用して守る、ということができない。どうしてもこういう人工物が必要なのだろう。

 それにしても3000年前のものがほぼ残っているのはすごいことだ。

2008年11月28日 (金)

開封:古城壁

 開封か多分香港で何かに当たったようで火曜日から2日まともに食べられず。しかも下痢。でも腹がへらず。今朝走ってみたら体が軽くなり走る分には問題ないが、燃料不足らしく気分良くない。今朝から食欲が出てきたから週末の上海マラソンに向けて食べないと。

P10104992  開封訪問主目的の古城壁。

 いろんな中国古城壁の話を読んだり、聞いたりしたが開封のことはなかった。たまたま開封の地図で城壁をみつけて訪問。開封観光案内にも出てこない。地図では街をきれいに取り囲んでいるのに?

 行ってみてわかった。塀はあるが門が壊されている。

 これは西大門のあったところ。道路になっていて門がない。

P10105162 城壁の長さ、街の大きさはさすが開封。今までみた都市、平遥、天台(臨海)、商丘などと比べて倍近い全長の11・5キロだという。開封がかつての大都市だった証。

 壁は高さは約8m-10m、幅8mというところ。このように外側の壁があり、右の内側は土手になっていて木が生い茂っている。歩こうと思えば歩けるが子供が遊んでいるくらい。

P10105012 これはわかりにくいが内側の壁の痕跡。外壁と違い内壁は土を固めたもので、ところどころ排水の穴が開いている。

 何箇所かに崩れながら残っている。

 外壁のレンガも相当修復の後がうかがえるし、いたるところで民家や工場などの一部になっている。総じて文化遺産として扱う意識が乏しいように見受ける。

P10105062 ここもかつて門があったところ。向かって左が門で、30mほどの空間ができて大通りがある。

 今回この城壁が長すぎるのと保存がよくないのと門がないので歩いたのは1/3程度だが、バスでで通りかかったところでもオリジナルの大門は見かけなかった。

P10105072 上の写真の少年左手にある石碑。「全国重点文物保護単位 開封城壁墻 1996年11月20日国務院公布」とある。

 1996年はこれだけの規模の物として批准が比較的遅いといえよう。

 碑自体も、字もさほど目立たずひっそりと立っている。

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上の碑の向かい側。こちらにも碑がある。

でもこちら側は蘭州ラーメン屋の露天席。生活に溶け込んでいるものの中途半端感が強い。

 城門の無い城壁は足だけの蟹みたいななんとも不自然な印象。

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外壁伝いに歩いてゆくと整備されている地帯に出た。

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河南大学の門。この中が河南大学になっている。

レンガがそろってきれいで、いかにも新しく修造された門。

 中に入ると日曜だが学生さんがたくさんいた。清潔な学校。

P10105232 西側から北側へ回る。

雑木林風になっていて散歩道がある。人がいない。大都市の中とは思えないたたずまい。

 壁そのものは延々と続く。内側を除くと土手になっている。

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城門に出た。安達門。でもこれも見るからに新しい。

 ここから東側にもずっと壁が続いているが変わらない様子なので1周するのを諦めて中に入る。

 うーん。なんだか釈然としない。せっかくの遺跡なのだからもう少しちゃんと管理してほしい。

2008年7月 9日 (水)

城壁談義

Cimg24922 知り合いの中国人と飲んでいて古城壁の話になった。彼にこの話をしたことがなかった。一般の中国人は遺跡とか古文物に関心がない。中国人にこの手の話を振っても乗ってこない。

 食事の場所に大幅に遅れて行ったら「南懐仁」全集「中国禅宗と道教」などという本を読みながら待っていた。古い知り合いだがこういう方向に関心があるようには見えなかった。

で、城壁の話を非常に興味を持って聞いてくれた。中国人は今のところこういうことに無頓着だが必ず10年以内には見直されるだろう、と。それにそういう田舎に行く交通についての紹介が少ないからみんな参考になると思う。といっていた。城壁回りを始めてから本屋に行くたびに関連書を探しているが一向にみつからない。何でこういうものに中国人は関心がないのか、と常々思う。でも彼のような人がだんだん増えているのではないだろうか。

写真は崇武城門。

2008年6月 4日 (水)

徐州、商丘:(4)商丘古城壁

 夕べから風邪を引いている。昨日食事して帰りがけにのどが痛いな、と思ったら夜中にのどが腫れて目が覚めた。今も腫れているし、熱っぽい。異常なスピードで症状が出た。会社で他にも休んでいる人がいる。今年の冬は一度も風邪を引かなかったのに。いまごろになって。幸い今日は外出も会食も無いから早く帰って寝れそうだ。

Cimg46762 引き続き商丘。6月1日朝早くホテルからタクシーで古城壁のある市南部へ。商丘のタクシー運転手はよくしゃべった。この人も城壁自慢。5分も走る。おー。あった。

北門。商丘の城壁は長方形で完全の残っている。ようにみえる。歩いてみたところ欠けているところはない。大きさは他よりも少し小さく、1周4.5キロ。北門には登れる(入場料10元だが)朝早くてまだ開いていない。

Cimg46822 北門から場内へ入る。内側からみた北門。北門から南門へ南北の道、中山路が走っており。街はこの通り沿いに店が並んでいる。中山路をずっと歩く。

Cimg46902 平遥のように昔ながらのイメージの観光地として売り出そうとした節がある。街中の建物、店構え、看板が古い。タクシーの運転手は3階建て以上の建物は建築禁止になっている、といっていた。

 携帯電話店の前の幟もこんなデザイン。しかし、建物をみると皆新しい。裏側に入ると昔ながらの家もあることはあるのだが、大通りの商店街はここ数年できたもののようだ。ちょっとがっかり。平遥の建物は古いものがそのまま残っていた。

Cimg46932 これは市場の入口。表通りはこういう復古調の建築になっている。朝早いので人が少ないが、しばらくしてきたらごったがえしていた。

Cimg46992ところが、一歩裏通りへ入ると見ての通り。レンガと土の道になっている。雨が降ったらぬかるんで大変そうだ。

どうなっているか。しばらく入り込んでみたが行き止まり。多少畑があるがほとんどは戸建ての家になっている。特にみるべきものもなく、引き返して街の人の様子をみる。焼餅や豆乳や、朝ごはんの屋台がたくさん出ている普通の光景。

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東門を内側から見たところ。上楼がない?それにこの城門は甕城になっていない。甕城とは門が円形になっていて空間がある構造。平遥、寿県、臨海は全て門が甕城になっていた。崇武や砦の桃渚でさえ小さいながらも甕城があった。なんだか変だな、と思い始める。

Cimg47022 東門を出て南向きに東壁を見たところ。高さ7-8m。途切れずにずっとつながっているところは立派。しかし。ここで初めて気がついたが、この城壁は上を歩くことができない。壁の上が道になっておらず、舞台のセットのようなただの塀なのだ。こんな古城壁見たことが無い。外側が散歩道になっているので城壁沿いの南門へ向かう。

Cimg47052 1箇所壁に穴が開いていて出入りできるできるようになっている。中を覗くと基部の厚みがほとんどない。通常古城壁の基部は盛り土になっていて、その周囲をレンガや石で組んで壁にしている。

この城壁は土がなく壁が立っているだけ。

Cimg47142_3 城壁東南角。散歩の人が多い。自転車や3輪電動バイク。走っている人もいる。塀の外は幅の広い堀になっていて観光の手漕ぎボートが浮かんでいる。朝8時前というのにもう暑い。日曜とあり若い子のグループや家族連れが出てきて三々五々遊んでいる。

こちらはできたら走りたいのだが、今回ジーンズで来てしまったので走れない。

Cimg47182 南門。北門とほとんど変わらず。入場料10元で上に登ることができる。もう開門時間になったので入る。若いあんちゃんが5人先に入っていった。写真をぱちぱち撮っている。

上からの眺めはさえぎるものがないから遠くまで良く見える。

Cimg47892 門の端がこのように塞がれていて城壁上の道が無い。これは北門の写真だが、南門も同じ。向こうに塀が見えるように、ただのレンガの塀となっている。これはやっぱり変だ。

Cimg47852_3 これも北門。城壁上の厚みがこれしかない。どうやら今ある城壁は往時のものではなく、最近になって大幅に修復されたものとみられる。そう思ってみると、大部分の上の方は形、大きさが揃ったレンガでできている。

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しかし、外側を見ると、下の方は痛んだ角が丸くなったレンガで色も違う。どうやら、元来の古城壁は痛んで下の黒っぽい部分が残り、その上に最近新しいレンガを積んで今の城壁にしたもののようだ。

ちょっとがっかり。それでも、ここまで城壁としての外見が完璧な街は珍しい。何箇所も城壁を見たからだんだん見る目が厳しくなってきている、ということもあるようだ。正直に修復したことを説明した方がよいのではなかろうか。

Cimg47752 西門。ここは昔ながらの古いレンガとなっている。ここにも甕城はない。狭い道で乗用車一台がやっと。いっそのこと交通規制をしてしまった方がよいのでは。

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