書籍・雑誌

2008年8月18日 (月)

役立たず

 朝9キロ。それでも相変わらず汗びっしょり。走っている人が多い。昨日の女子マラソン見て刺激を受けたか?  

 そういえば先週は奥武蔵だったんだ。出張と重なったから参加できたなー。今年は涼しかったそうだ。

 このところ出張が多くて休みの日に出かけるのが億劫。昨日、一昨日と本を読んで暮らした。今日も流れで昔読んだ本を読み直し。「原始仏教」(中村元著)と同じ訳者の「ブッダのことば(スッタニパータ)」。両方ともずいぶん前に読んだ。「ブッダのことば」の方を先に読んだはずだが、なんだか当たり前のことを仰々しく言っているような。腑に落ちない読後感だった。「原始仏教」は素人向けの解説だからなるほどと読んだ気がする。これも10年ぶりくらい。年をとると、仏教とか、老荘とかに関心が向く、というのがようやくわかるようになってきたかも。この年になっても当たり前のことができない自分に気がついて。

 「センセイの鞄」(川上弘美著)。最近の作家の本はいつも後回しになって読まない。なんとなく立ち読みしたこの人は読みやすそうだから買って読んだのが始まり。魔術的言葉使いかもしれない。それが自然に出てくるような。こういう人が天才肌なんだろう。

 「東海道を歩く」。山と渓谷社の「歩くシリーズ」。この本を持って東海道を日本橋から京都の三条大橋まで歩いたのが2002年ー2003年。2003年の1月1日に三条大橋にたどり着いた。最終日大津を出発して山科を越えて10時前に着いた。幸い暖かい日で気持ちよかったのを憶えている。そのまま平安神宮に初詣。地図をみると当時を思い出す。またやりたい。

 どうも、こういう役に立たない本が好きなようだ。読んだら得になるとか、ためになる、とか、自慢できる、とか。そういう本は昔からよまない。そういう本は仕事としてなら読む。でも休みの日に役に立たない本に読みふけるとだんだん気持ちが落ち着いてくる。 

 

2008年7月19日 (土)

倚天屠龍記2008(2)

 今朝早めに25キロ走る。張江から申江路のいつものルート。18キロくらいまではトコトコ淡々と走れたが、その後急に疲れが出てきた。頭の方はもうちょっと走ろう、と言ってるのだが、体がどうしてもいやっと言って止めにした。

 台風が近づいているから南西の風が強く、向かい風になると涼しい。その後雲が出てきて天気が崩れ気味。

 お休みしていた「倚天屠龍記」の感想。

 この本は5つの挿話がつながって構成されている。

0郭襄、覚遠、張君宝が少林寺で巻き起こす騒動。

1それから数十年後武当派の隆盛と白鷹教の出現、倚天剣をめぐる争いから張翠山と殷素素が自決するまで。

2孤児になった張無忌が苦難の道を歩みながらも成長して武術と医学を会得し、六大門派から明教を救い教主になるまで。

3趙敏が登場し、豪傑たちを次々と打ち破り、万安寺の戦いの後張無忌に引かれる。その後張無忌と女性達が霊蛇島に集まり、最後小昭が去る。

4趙敏失踪、屠龍刀消失、殷離殺害、の謎が発生。話は大きく展開し少林寺の戦いから元末反乱になり結末。

 だんだんとつまらなくなってゆく。0は別として、1が話として一番良くできているしまとまりがある。その次が2。3からスケールがでかく、登場人物が多くなり、正邪の別がいろんな観点からされ複雑になる。でも引き込まれるものがない。

 登場人物に問題がある。人が多すぎて個性がなくなってしまう。張無忌はわざと没個性な人物造形にしてあるのでしょうがないとして、その他も善が善らしくないし、悪はどうしようもなく悪ではない。皆成り行きで悪にも善にも転んでいる。

 実在の人間はそうとはいえ、武侠小説ではもっと単純な人物でないと存在感がなさ過ぎる。1が面白いのは張翠山と殷素素が太く短く生きるから。殷素素は裏表あり、張翠山はまともすぎるから長く登場すると普通の人たちになってしまいそう。早々舞台から姿を消すことで強い印象を与える。

 同じようにいくつかのエピソードが積み重なる「天龍八部」はやはり人物が沢山登場するが個性がはっきりしている。

 この小説は全体として、明教を正とし、六大門派などが邪に堕する姿を描くことで正邪は相対的なものであると語っている。となると人物も絶対的でなく相対的になるのは必然か。

 それにしてもどうにも不完全燃焼間がある。悪の化身、成昆でさえ、ただの失恋の恨みから一生過大な妄想を抱いた哀れなじいさんにしか読めなかった。

2008年7月15日 (火)

ファンタジー

 からっきしファンタジー系の本を読まなくなった。なんだかこう。尽きたような。

 自分で思うファンタジー系は。

1.アシモフのファンデーションシリーズとロボットシリーズ

2.シモンズのハイペリオン物。これだけ読んでれば他の本読まなくてもいいのでは?

3.あえて後に置く金庸全集

4.ドストエフスキーの全小説:ドストエフスキー読んで不登校になる人などいるものか。

5.コナン・ドイルのホームズ物。子供が大好きな話。

6.やっぱりラブクラフトでしょう。それしかない。

 1,2,3,4,6は全部宗教の代わり。ラブクラフトは無宗教の王様だから5は大人の童話かな。こういう夢いっぱい、どこまでも尽きないお話があるのに。なんでみんなお助け宗教にはまるのか?

 ドストエフスキーでも、ハイペリオンでも、困ったとき、迷ったとき、考え込んだとき。開いて読むと晴れ晴れとする。こういう物語に親しんだおかげでもったいぶった宗教家の話を聞くとあんまりにも話が浅くておやおやとおもう。この話に出てこないことをいえる人なんているはずがない。そこそこの年で。

 このシリーズのうち5つは不思議と全部外国の物語だ。古い本ばかりだし。日本の本で付け加えるとする水木しげるとと宮本常一かな。

2008年6月24日 (火)

倚天屠龍記2008(1)

Cimg49632

2月から断続的に読んでいた「倚天屠龍記」がやっと終わった。中断もあったが3ヶ月以上かかっている。今回で2回目。前回も2ヶ月近くかけている。前回は1998年だと思う。10年前か。

 この物語、一般的には取り上げられることが少ないようだ。手元ある金庸の解説本をみても「天龍八部」、「笑傲江湖」、「神鵰侠侶」、「射鵰英雄伝」、「鹿鼎記」について書いてある本は多いが、金庸概説本以外の随筆系の解説本にはほとんど出てこない。もちろんテレビドラマ化されているし、射鵰三部作の最終部として欠かせないもの。

 一回目読んだとき正直筋書きがよくわかっていなかった。ひどいのは「九陰神経」と「九陽神経」をごっちゃにしていたこと。かなり読んでからやっと気がついた。今回読見直してやっとコメントできる気がする。

Cimg49662 読んだのは前回と同じ三聯書店版。4冊で76元。今回活字が薄いところや曲がっているところが多い所に気がついた。これも海賊版かもしれない。多分上海の淮海西路の三聯書店で買ったのだと思うが。

 挿絵は射鵰、神鵰と同じ人。いかにも武侠小説の挿絵、といったところ。金庸の文章は単語は難しいがじっくり読めばちゃんとわかるようになっている。紛らわしい表現や極度に内面的な心理状態を記述したりしないのでストーリー展開に向いている。

  

2008年3月 2日 (日)

「2007年の笑傲江湖」(4)

 昨日16キロ。今朝24キロ走った。膝下の違和感は相変わらず。右胸の張りはほぼよくなった。走るスピードや走ることへの怪我の影響はもうない。1週間前散歩を始めたことを思うとよくなったものだ。

 しかし、傷口の中の皮膚の下が全体に腫れている。どうも患部の傷口はふさがったものの、皮膚、肉の痛んだ部分が老廃物として残り、これを除去しようとしているようだ。長く走ったせいで炎症が激しくなったらしい。膝をつくとぐにゃっとなるほど腫れている。痛くはないので自然に治るだろうが熱を持っているので冷やしてみる。ラン再開が早すぎたか。なかなか完治は簡単ではない。

 さて、「笑傲江湖」。長い物語も4巻で終わり。それにしても。東方不敗はなんだったのか。ここまでにいろいろなプロットが考えられるだろうし、もっともっと話を続けられるだろうに。こんな風に片付けてしまうとは。全体にいえることだが、唐突なストーリーが多い。途中で気が変わった。みたいな急転直下がしばしばでてくる。舌足らずだったりつじつまが合わなかったり。任我行のことを東方不敗は隠し通したのか。どうしたのか。盈盈と東方不敗もどうも不自然。盈盈は父の失踪をどう理解していたのか。戦闘力でいったら金庸小説登場人物でも一二を争う強豪であろう東方不敗をほとんど戦闘させずに話を終わらせてしまう。この中途半端さが逆に後々批評の余地を残していて伝説を生むことになるのだろうが。

 次は嵩山での武術大会。これは大体予想される顔ぶれ、成り行き。ここらあたりで大体の謎や秘密がわかってくる。相変わらず左冷禅が一番人望があるのか次々に仲間が現れる。他の人たちはいい悪いにかかわらず一人が多い。君子のはずの岳不群に仲間や助太刀がいないことは最初から変だと思った。華山を逃げ出す時も特に行くあてがない。彼の紹介からするとおかしくないか。

 林平之と岳霊珊の話に決着がつく。林平之もまたユニークというか。本性はどうあれ最初と最後でこんなに変わる人も少ない。岳霊珊はどこが気に入ったのか。労徳諾が出てきてここも話のつじつまを合わせる。その後出てくる寧中則といい、親子そろって怪物に嫁いだもので、その正体に気づいていた節もあるのだがどうしようもない、という風になってしまっている。この寧中則の最後の場面、全く忘れていた。1回目読んだ時インパクトがなかったのだろう。

 話はどんどん進んで儀琳の母が出てきて、これはこれでつじつまあわせのつもりなのだろうが、別にこの人がいなくても話は進む。キャラクターも面白くなく、何であんなに強いのか来歴がわからず。

 最後に全員のエピソードに結末をつけて話が終わる。

 何度もいうが、この物語は、他長編の射鵰三部作や「天龍八部」に比べて物語の構成が簡単で、時として雑で、登場人物が少なくて出てくる人の必然性が薄い人も多い。よく考えずに書いたように思える。ではつまらないか、評価しないか、というとそうではない。個人的には金庸の小説の中でこれが一番面白いと思う。舌足らずがかえって批評を呼び、巷の本書に対する評価はかなり高いし、金庸ベスト投票をしたらベスト3に入るだろう。

温瑞安は本書をNo.1に挙げている。その理由として、①金庸後期の作品でこなれている②登場人物が少なくストーリーがノビノビしている③戦闘シーンが大小多くバラエティに富んでいる④主人公の性格設定が画期的⑤最後に、初めて読んだときから夢中になった。

温瑞安の「笑傲江湖」論は160ページ以上にも及ぶ労作で、必読といえる。

 理由のひとつは主人公が人間らしいところ。郭靖は昔ながらのステレオタイプの正義感で頭の中は単純。楊過は複雑でもあり非人間的でもあり。第一笑わない。張無忌はかなり人間に近づいているがやることが幼稚で、あれだけの経験があれば普通もっと考えるだろう。段誉はいい。でも恋愛以外の性格があまり出てこない。令弧沖は内面までよく書かれている。武侠小説、で「小説」のほうに力点を入れている。だから笑わせてくれるシーンが多い。構成がゆったりしているだけに会話を楽しむゆとりがあり、言葉遊びがふんだんにでてくる。それまでの長編はストーリー展開に忙しすぎるきらいがある。この次が「鹿鼎記」であることを思うと、金庸は「笑傲江湖」で遊びの実験を試みて、それを「鹿鼎記」につなげている。主人公を神的無敵にしなかったのも韋小宝へのつなぎかもしれない。

 時代背景無い長編は唯一。執筆された時勢から共産党を念頭に書かれた、とはよく言われるところ。劉正風一家が殺される場面。東方不敗と任我行への手下の卑屈な様子。裏の裏がある人間関係。文革当時の様子がそのまま描写されている。

 個人的に本の良し悪しの基準のひとつに再読に耐えるか、を据えている。この物語は全体構成ではなく、個々のエピソードのそのまた細部のやり取りが面白くて仕方がない。短編小説をつないだような。だからつじつまが合わないところがあるのかもしれない。通読しても拾い読みしても、再読に耐えるという点ではちょっと真似のできない芸だと思う。

2008年2月25日 (月)

「2007年の笑傲江湖」(3)

 午前中また東方医院へ包帯取替えにいった。昨今の流行でこの病院でも患者にカードを作りコンピュータ管理している。が、自分もその前の人もリストに名前があるのに病歴データベースが開かない。前の人はあーだこーだ医者と大騒ぎしてた。

 月曜とあって患者さんが多い。金曜と同じ処置室に入り、同じおばさんに包帯を換えてもらったがおばさんは覚えていないようだった。同時に包帯巻いてもらってたおじさんが「おねえさん(姑娘)ありがとう」といったら、おばさんが「ここにはおねえさんなんかいないよ。おばさんだけさ」などとどこの国でも似たような会話するものだ。

 もうかなりいい。外傷はよくなるに従い痛みが取れてゆくからわかりやすくていい。

 さて。なかなかはかどらない「2007年の笑傲江湖」。もうとっくに2008年になったし「倚天屠龍記」を読み始めてしまったし。はやく決着させねば。

Cimg32242 4巻本の3冊目。右側が前に読んだ三聯書店版、左が今回の広州出版社版。中身はまったく同じ。値段は右が1999年で4冊76.8元。右が2007年32元。こう見ると三聯書店版は当時としては無茶苦茶高かったんだ。あのころ買った「賈平凹全集」8冊平均600ページくらいがそろいで108元だったから400ページの本としては高い。

 さて、回でいくと第21回ー第30回。この物語の中で一番面白いのがこのあたり。ユニークな人物が多い中でも異彩を放つ江南四友の話はちゃんと結末までゆく。書画音曲囲碁は金庸の得意の題材だが、ここまで集中して出てくるのは本書だけ。残念ながらあっけなく凄惨な成り行きとなるし、彼らが案外小物だった、ということにしてしまう。ちょっともったいない。もう少しこの4人を後まで残して活躍させてほしかった。sad評論を見ても江南四友に肩入れするそういう意見が多いようだ。特に黄鐘公は戦闘シーンからするともっと強くないとおかしい。

 令狐沖は例によりありえない偶然で吸星大法を取得。読んでいるとこれでダメージは回復するか、と思うがそうもいかない。どうもこの辺エピソードが無駄になっているように思う。とはいえ、この段の主人公はなんといっても任我行。彼はこのあたり生き生きした巨悪として武功の達人として、侠者として精彩を放っている。4巻になるともうえらくなりすぎてつまらない。

 このあと、しばらく出てこなかった儀琳が登場してしばらくの間まじめなようなふざけたようなやりとりが令狐沖を挟んで進行する。やっぱりこの物語の女性でで一番すきなのは儀琳だ。ただ、恒山派は弱すぎないか?廿八鋪で嵩山派にはめられるところなど福威鏢局、林震南がつぶされるところと同工異曲。相手に気がつかないとはだらしない。弱くてやられる場面にユーモアを持ってくるのが金庸の常套手段だから悪くはないが。それにしても嵩山派は多士済々。次々とそこそこの強いやつが出てくる。そんなに左冷禅は人望があるのか?

 そうこうしているうちに労徳諾の正体がばれたり、避邪剣法が現れたり。岳不群がだんだん本性を出しはじめたり。いままでもどかしかったのが急に話が進みだす。莫大先生がいきなり出たり。どうもこの話は構成が雑というかつぎはぎした感じがある。何で彼は令狐沖の居場所を知っているのか。とか。急に盈盈のことを言い出すのか。とか。

 盈盈。任盈盈は「「倚天屠龍記」の殷素素と似た境遇の女性。盈盈もかなり武功達者だし少林寺の人間を殺したりするし、東海の孤島に気に入らない豪傑を追放したりするし。しかし、令狐沖を少林寺に運んでいってから人物ががらりと変わったように善玉扱いされる。その後も素素みたいに不幸な目にはあわない。倪匡だったか、何で儀琳の方ではなく盈盈を選んだのか?と金庸を責めた、という話をどこかで読んだことがある。難しいところだ。ただ、ストーリー的にこうしないと決着がつかない、という事情はあるようだ。そうしないと日月教内部は納まらない。

 豪傑が少林寺に攻めるお祭り騒ぎ。少林寺での任我行と方証らの戦い。正統的武侠小説の見せ場が堂々と展開している。当代きっての使い手が一堂に集まり戦う、という趣向は金庸でも案外みられない。ここから恒山派の話へと移行するまで夢中になって読める。

 そろそろ東方不敗とは何ぞや?というずっと引っかかっている疑問にストーリーが展開してゆく。黒木崖は河北省にあることになっている。ちょっと読んだだけではわけがわからない複雑なルートを通ってやっと黒木崖の本拠にたどり着く。いつも思うのだが武侠小説では政府は江湖にまったく力が及ばないようになっている。こんなに大掛かりな基地を持って組織を持つ勢力を政府がほうっておくととは考えられないのだが。

 

2008年2月 3日 (日)

「2007年の笑傲江湖(2)」

昨夜遅くまで雨、みぞれ。

夜明け前雨があがったら晴れて急に冷えたものだから今朝は路面が完全凍結状態。アスファルトがつるつる。歩くにも難儀で自転車、オートバイがあちらこちらで派手に転んでいた。ブレーキをかけると簡単にハンドル取られて転倒。

 走るのも一苦労。細かくて早いステップで行けば多少滑ってもなんとか走れる。しかし、ところどころ氷交じりの水溜りだったりして路面を慎重に見て足を下ろすところを選びながら走る。金橋工業地帯まで行く予定が金橋路で戻った。通常50分のところが1時間かかった。戻ってから多少雪が掻いてある世紀公園周囲を走る。日が出ているので2時間半走る間に日なたはかなり雪が解けて最後の方はそこそこ走れた。約22キロ。 

 春雪用にCimg29812花火特設売り場。こちらは爆竹。1000連発、2000連発、3000連発と果てしなくある。1000発で35元。安いもんだ。やらない身からするとうるさくて迷惑なだけだが。

 この左隣が打ち上げ花火コーナーで、こっちも太くて長い仰々しいのがたくさんおいてある。見ていると買う人がそこそこいる。

 ビニール張りで、ストーブもなく(置いたら危ない!)、昨今の天気で寒そうだった。

 「笑傲江湖」第11回ー第20回。前半は華山派系の話。岳不群がいよいよ格好悪い。最後になって岳不群はこのころもう令狐沖のことを、このやろうと思っていた、という。このみっともなさ、剣宗が彼をけなすせりふ、後々の伏線が張られている。最初読んだときは気がつかなかった。第12回までは華山派の弟子たちも骨っぽい雰囲気があるがだんだんとすさんでくる。連続性からしておかしいかも。

 とはいえ、相変わらず後に続かない話が多い。封不平なども再登場を予想したがそうはならない。老不死もそう。王元覇もちょっと出て終わり。

 話は盈盈が出てから俄然展開する。というか、ここから物語が始まる、といってもいい。それまでは小物がじゃれているみたいなスケールの小さい話の運び。盈盈と令狐沖の竹林のやりとりは儀琳とほどではないが読み返したくなるくだり。その後の盈盈とのやり取りも気が利いていて秀逸。

五覇岡は楊過が郭襄の誕生祝をしたときに似た趣向。向陽天と数百人が対決するシーンといい、こういうエピソードが金庸は好きみたいだし読むほうも楽しい。

 向陽天、江南四友。やっと個性的な人物が出てき始めた。魔教側に立った筆運びが生き生きとしている。それまで正派を書くときの滞りとは違う。わざとなのか、それともつまらない人々だから自然窮屈になったのか。

 酒杯の薀蓄、四友との書画棋韻のやりとり。他の作家にまねのできない作風だ。この辺からやっと引き込まれて時間を忘れて読むようになる。

 

2008年2月 1日 (金)

「2007年の笑傲江湖」(1)

 また週末天気が悪くなる、という予報なので今朝早起きして18キロほど走る。金橋ー張江のパターン。ここは街路灯が点いているので暗いうちに走るのに向いている。人も少ない。

 先週から朝まだ暗いうちから荷物を持った人がバス亭にならんでいる。里帰り(春運)が始まっている。浦東は外地人が多いから春節時期がらんとしてくる。

 Cimg27182 年末までに「笑傲江湖」を読んだ。8年ぶり2回目。折角だから「2007年の『笑傲江湖』」の感想を残しておこう。多分これからも10年に1回くらいは読み返すだろう。

 今回は広州出版社の文庫版で読んだ。中身は三聯書店版と同じ。挿絵も同じ。ただ、表紙に「全世界華人的共同語言」とある。中国人のいるところに金庸読者あり、といわれる。

 (1冊目:第一回から第十回)「笑傲江湖」はスロースタートな物語だ。十回終わってもまだ本筋が見えない。主要人物もほとんど出てこない。それまでストーリーを動かす登場人物は出ては死に(林震南、劉正風)、いかにもスケールの小さい人が多く(余滄海、田伯光)、ストーリー展開にわくわくしながら読む、とはならない。

「射鵰英雄伝」は第十回時すでに黄蓉、楊康も登場し、先行きが見えてきて、梅超風と郭靖が戦ったり派手な場面も多い。「神鵰侠侶」では楊過と小龍女の物語だとわかる。「倚天屠龍記」、「天龍八部」は筋書きが複雑で登場人物も多いからどんどん話が進む。「笑傲江湖」は十回まで戦いのシーンもほとんどない。どちらかが圧倒的に有利で勝負にならない局面ばかり。戦わずに負けてしまったりするし。田伯光との戦いは稽古みないなものだ。

 大体令狐沖はいつも重傷を負って満足に戦えないヒーロー。強いのか弱いのか。どうなるのか。十回までだと五岳剣派と魔教の戦いが主題に思える。風清揚はこの後も登場するのでは、と期待する。で、全然違う。

 1冊目で一番気に入ったのは第三回ー四回、儀琳が定逸らの前で事情を説明するくだり。前に読んだときは全然気にも留めなかった。「一見尼姑、逢賭必輸」、「挙刀一揮、自己做了太監」などのせりふ。妓院でのやりとり。金庸の小説に居そうでいない愚直な女性になっている。残念ながら儀琳の活躍はこの後少なく、本願もかなわない。最後どんでん返しで儀琳と令狐沖が結ばれると予想した人は多いだろう。

 令狐沖のふざけた行動、儀琳のはずした言動、に加えて桃谷六仙。メインの筋書きが林震南一家、劉正風一家が皆殺しになる悲惨な展開で、その間にこういう人物を配置しないと暗くなりすぎる、という点ではよくできている。ただ、小さなエピソード、伏線でよさそうなものがどれもこれも長い。もうすこし簡潔でよかったのではないだろうか。 

 

2008年1月21日 (月)

連城訣

Cimg27872  「笑傲江湖」の後廈門旅行中から読んで昨日読み終わる。約2週間かかった。読むのは2度目でメモをみると最初に読んだのは99年8-9月。金庸全集最後の1冊だった。

 読み返すと細かいところをほとんど忘れていた。水笙のこととか、血刀僧のこととか。記憶力とはこんなものか。

 前回読んだ感想メモを見ると、

・戦う場面がほとんどない

・ストーリー展開、特に最後の方が急であわてて終わらせた感がある。もっと長くするつもりが途中で終わらせたのでは?

・主人公は張無忌、石破天と同じ自分の意思の無い人物。

など書いている。その通りだ。世間一般では「飛雪連天射白鹿 笑書神侠倚碧鴛」のうち短編の「白、鴛」を除く12作中この小説の評価が一番低いようだ。金庸評論本は本書にほどんど触れていないし評価は低い(倪匡の評価は14編中9位とそう悪くない)。主人公狄雲の武功の評価も低い。同じくらいの長さでも「雪山飛狐」は評価が高い。

 なにしろストーリーが暗い。登場する親子が4組ある。戚長髪ー戚芳、万震山ー万圭、凌退思ー凌霜華、戚芳ー空心菜。母子の戚芳ー空心菜を除く3組は親子の情が全く無い。凌退思ー凌霜華は親が娘を生き埋めにしてしまう。戚長髪は娘を捨てて仇の嫁にしてしまう。万震山ー万圭は欲で結びついていざとなると殺しあう。

 登場する江湖人士に師父ー弟子の情もなし。武侠小説の約束事をことごとく破る内容になっている。金庸得意の道化キャラクターもいない。そもそも苦笑い以外で笑う場面がほとんどない。恋愛は全て悲恋になり両方か片方が死んでしまう。

 あとがきで金庸は本書は昔作男に聞いた身の上話を元に着想したと書いている。しかし、どうも金庸らしくない。代筆者がいたのではないだろうか。文章があまりに硬いというか遊びが無いというか含みが無いというか。プロットに伏線を張って解き明かすのが普通のやりかただが、伏線はなくいきなり真相が露になり、主要人物が殺される。

 評価が低いのもしょうがないか。狄雲はこれといって特徴がなく、彼にに比べれば胡斐の方がはるかに生き生きとして魅力的だ。登場人物が少ないのでストーリーが単純で読みやすい、とはいえる。

 36巻のちょうど真ん中。「倚天屠龍記」と「天龍八部」という重厚な2小説の間に挟まれた不思議な物語、といえる。

 

2007年12月17日 (月)

笑傲江湖

Cimg00192  最近天気が悪い。上海の12月にこんなに毎日雨が降るなど異常だ。気温は下がらず5-7度程度。しかし一日中しとしとと降る。何もやる気がおきなくなる天気。

 気分転換に海南島の写真。この時期海南島は会議やXX大会やら、避寒の人たちでにぎわう。ホテル代始めなんでも高くなる。

断続的に読んでいる「笑傲江湖」がやっと24回まできて話がつながり始めた。前回読んでからもう9年近く経つから相当忘れていた。というかほとんど細かいところを憶えていなかった。こんなに記憶力が悪くなったか。

 この本、今結末を知って読むと最初から相当複線を張っていることがわかる。ちょっと凝りすぎている。登場人物も多彩だし、悪いやつと良いやつのどんでん返しが激しすぎる。2-3回読まないとわからないかもしれない。おかげでか、金庸の小説の中で単行本にするとき一番書き直した作品、という。

 手元に日本語訳があってチラッと見たが、これは訳者が力不足。中国語と相当違う小説に感じる。金庸の文体は白話文に近く、現代人にとっては古語的なもの。無理して口語訳する必要なかろう。

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