昨日16キロ。今朝24キロ走った。膝下の違和感は相変わらず。右胸の張りはほぼよくなった。走るスピードや走ることへの怪我の影響はもうない。1週間前散歩を始めたことを思うとよくなったものだ。
しかし、傷口の中の皮膚の下が全体に腫れている。どうも患部の傷口はふさがったものの、皮膚、肉の痛んだ部分が老廃物として残り、これを除去しようとしているようだ。長く走ったせいで炎症が激しくなったらしい。膝をつくとぐにゃっとなるほど腫れている。痛くはないので自然に治るだろうが熱を持っているので冷やしてみる。ラン再開が早すぎたか。なかなか完治は簡単ではない。
さて、「笑傲江湖」。長い物語も4巻で終わり。それにしても。東方不敗はなんだったのか。ここまでにいろいろなプロットが考えられるだろうし、もっともっと話を続けられるだろうに。こんな風に片付けてしまうとは。全体にいえることだが、唐突なストーリーが多い。途中で気が変わった。みたいな急転直下がしばしばでてくる。舌足らずだったりつじつまが合わなかったり。任我行のことを東方不敗は隠し通したのか。どうしたのか。盈盈と東方不敗もどうも不自然。盈盈は父の失踪をどう理解していたのか。戦闘力でいったら金庸小説登場人物でも一二を争う強豪であろう東方不敗をほとんど戦闘させずに話を終わらせてしまう。この中途半端さが逆に後々批評の余地を残していて伝説を生むことになるのだろうが。
次は嵩山での武術大会。これは大体予想される顔ぶれ、成り行き。ここらあたりで大体の謎や秘密がわかってくる。相変わらず左冷禅が一番人望があるのか次々に仲間が現れる。他の人たちはいい悪いにかかわらず一人が多い。君子のはずの岳不群に仲間や助太刀がいないことは最初から変だと思った。華山を逃げ出す時も特に行くあてがない。彼の紹介からするとおかしくないか。
林平之と岳霊珊の話に決着がつく。林平之もまたユニークというか。本性はどうあれ最初と最後でこんなに変わる人も少ない。岳霊珊はどこが気に入ったのか。労徳諾が出てきてここも話のつじつまを合わせる。その後出てくる寧中則といい、親子そろって怪物に嫁いだもので、その正体に気づいていた節もあるのだがどうしようもない、という風になってしまっている。この寧中則の最後の場面、全く忘れていた。1回目読んだ時インパクトがなかったのだろう。
話はどんどん進んで儀琳の母が出てきて、これはこれでつじつまあわせのつもりなのだろうが、別にこの人がいなくても話は進む。キャラクターも面白くなく、何であんなに強いのか来歴がわからず。
最後に全員のエピソードに結末をつけて話が終わる。
何度もいうが、この物語は、他長編の射鵰三部作や「天龍八部」に比べて物語の構成が簡単で、時として雑で、登場人物が少なくて出てくる人の必然性が薄い人も多い。よく考えずに書いたように思える。ではつまらないか、評価しないか、というとそうではない。個人的には金庸の小説の中でこれが一番面白いと思う。舌足らずがかえって批評を呼び、巷の本書に対する評価はかなり高いし、金庸ベスト投票をしたらベスト3に入るだろう。
温瑞安は本書をNo.1に挙げている。その理由として、①金庸後期の作品でこなれている②登場人物が少なくストーリーがノビノビしている③戦闘シーンが大小多くバラエティに富んでいる④主人公の性格設定が画期的⑤最後に、初めて読んだときから夢中になった。
温瑞安の「笑傲江湖」論は160ページ以上にも及ぶ労作で、必読といえる。
理由のひとつは主人公が人間らしいところ。郭靖は昔ながらのステレオタイプの正義感で頭の中は単純。楊過は複雑でもあり非人間的でもあり。第一笑わない。張無忌はかなり人間に近づいているがやることが幼稚で、あれだけの経験があれば普通もっと考えるだろう。段誉はいい。でも恋愛以外の性格があまり出てこない。令弧沖は内面までよく書かれている。武侠小説、で「小説」のほうに力点を入れている。だから笑わせてくれるシーンが多い。構成がゆったりしているだけに会話を楽しむゆとりがあり、言葉遊びがふんだんにでてくる。それまでの長編はストーリー展開に忙しすぎるきらいがある。この次が「鹿鼎記」であることを思うと、金庸は「笑傲江湖」で遊びの実験を試みて、それを「鹿鼎記」につなげている。主人公を神的無敵にしなかったのも韋小宝へのつなぎかもしれない。
時代背景無い長編は唯一。執筆された時勢から共産党を念頭に書かれた、とはよく言われるところ。劉正風一家が殺される場面。東方不敗と任我行への手下の卑屈な様子。裏の裏がある人間関係。文革当時の様子がそのまま描写されている。
個人的に本の良し悪しの基準のひとつに再読に耐えるか、を据えている。この物語は全体構成ではなく、個々のエピソードのそのまた細部のやり取りが面白くて仕方がない。短編小説をつないだような。だからつじつまが合わないところがあるのかもしれない。通読しても拾い読みしても、再読に耐えるという点ではちょっと真似のできない芸だと思う。