滋賀県の彦根に来た。関空から彦根まで遠くてもう0時だった。フライトは結局8時間遅れで17時30分発。20時30分関空。滋賀のこの辺には来たことない。彦根も初めて。
元々週末の関西の大会に出るはずが申し込みそびれ。チケットは上海ー関空で早々取っていた。最初京都に行こうかと思ったが気が変わって琵琶湖を見たくなった。
彦根といえば井伊家、駅前の銅像は井伊直政。関ヶ原原の赤い兜といい、大河ドラマの主人公になってもいいくらい個性的な人。
そういえば井伊も三河武将だから同郷の人だ。
朝6時から走りに出た。出掛けまだ小雨で、あーーあ。と思ったが空が明るくなり、途中から日が差してきた。
彦根といえば彦根城。駅から1キロくらいで走るとすぐつく。こういう狭い街は走って観光めぐりするとものすごく効率がいい。団体のバスで行く4倍くらいのスピードで見て回れる。
途中護国神社があった。6時過ぎでも社が全開で中にずずぃ、と入れる。簡素な祭壇だ。
彦根城の入り口には「本日の入場は終了しました。開場時間:8時半ー17時。入場料600円」と看板がかかっていた。が、土地の人たちが門の木戸から出入りしている。朝は散歩用に開門してるのかな?と入る。
ちょっとした急坂を天守閣方面登る。評判通り保存の良いお城だ。散歩の人がぽつぽついて通り過ぎるとみんな挨拶する。
「彦根城を世界遺産に!」という看板。
彦根城天守閣。中国のやたらにでかい建造物を見慣れているから小振りに見えてしょうがない。昔の人は小さかったんだろうし。
城は彦根山の建っているので天守閣からだと見晴らしがいいだろう。開場前なので中には入れず。その辺を散策する。
上ったのと反対を駆け下りると城の外周が散歩コースみたいになっている。
こうしてみると海みたいだ。雨後の荒れた感じもなかなかいい。琵琶湖のほとりに立つのは初めて。
国道2号線沿いの湖岸には歩道がついている。そういえば琵琶湖1周200キロレースというのがある。こういう道なら走りやすそうだ。
鷺、鴨、鵜(?)が群れている。水も結構きれいだ。
彦根城を周回するコース、4-5キロある。なかなかいいジョギングコースだ。
見当たらないな。と思っていたら石細工屋の店頭に「ひこにゃん」が置いてあった。高さ60センチくらい。1万円となかなか安い。じっくりとこの人形をみたの初めて。なるほど。頭の兜は直政のだ。
ぐるっとみて16キロほど走り宿に戻る。
5時過ぎ出て公園を周り金橋まで行く。前夜の雲が残りずっと小雨だった。気温低めも湿度高く汗をかいた。誰にも会わず。
西安近郊の観光名所は東部(東線)と西部(西線)に分かれていて、兵馬俑、華清池、驪山など有名どころは東線にある。こちらは完全に観光ズレしている。
兵馬俑入り口は写真のように「兵馬俑ショッピングモール」になりKFCまである。売店で水を買い。無言で買ったら3元が、同行者と日本語で話しながら聞いたら10元といわれた。
兵馬俑入場料も高い。
こういう有様をみるとこの人たちも地下であきれているんではないでしょうか。
兵馬俑そのものは来るたびに発掘が進んでいるがそのスピードは遅々たるもの。
ここにくるのは4回目で、過去は撮影制限が厳しかったが、今回はフラッシュを焚いてもとがめられず。適当になってきている。
1990年初めて来たときカメラを入り口で預けさせられた。携帯にカメラが付いている御時世、禁止は無理というものか。
新たに4号館ができて地下に銅車馬が展示してあった。これはよくできている。写実力という点では人間は進歩していないのだと思える。
ここも写真撮影OK。ビデオを回す人も多い。
広いので参観に2時間近くかかった。
東線に比べて西線は地味。観光客が少なく整備されていない。東線は高速道路が敷かれ、高速「兵馬俑出口」があるほど。こちらは田舎道をとことこ。上海から続く国道312号線の沿いの乾陵(唐の則天武后、高宗墓)、茂陵(漢武帝墓)がある。
乾陵にくるのは初めて。陵の頂に登る道は階段がなく雨が降ったらどろどろになりそう。
この石造兵士も昔とあまり変わらないなと思っているかも。
漢武帝のお墓、茂陵は1990年来たときと同じうち捨てられたたたずまし。
碑が立っていてその向こうの丘が盛り上がっているだけ。フェンスがあり立ち入り禁止。丘の麓に少年が4人たむろしていた。
以前はさえぎるものなく上に登ることができ、途中でおばさんが山菜を採っていた。
茂陵正面に一つだけあった売店がこれ。農家が一家でパラソルの下で休み。飲み物や桃なんかの果物を売っていた。
一応飲み物あるよ、と客引きをするが力が入っていない。
茂陵を参観に来ていた人はわれわれのほかに2人しかいかなった。
茂陵の500m先の博物館にある有名な石像「匈奴を踏みつける馬」。国宝だそうだ。
石像がどれもシンプルで大きくて迫力があった。
石像以外は考古学的展示物で、武帝の時代ははるか昔なんだ、と実感した。
西安市内では初めていった大清真寺が印象深かった。イスラム寺院はどこもひと気がなく。ここも西洋人とスカーフのムスリム観光客くらいしかみかけない。
仏教のような木造の建築物が立ち並んでいる。
周囲のイスラム市場の賑わいも飽きないものだった。
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土日で安昌、諸葛村、大滋岩と巡る。大人数で、暑さを受けて断続的にビールを飲みながら漫遊。
土曜の安昌、今回もさびしい水郷の里だった。老人ばかりでこの暑さとありみんな昼寝中。
写真は茶館。魯迅の咸亨酒店はこんなんだったんでは。地元の人が集っていて、帰りがけふと覗いたら満員の人に見つめられてぎょっとした。
お昼あんまり暑くてみんな食欲湧かず。そこらじゅうで売っている霉干菜と蝋腸だけ頼んでビールを飲む。薄くてぬるいビール。
お勘定するときこんなにいてこれしか食べないのか?と文句を言われ、かつ高かった。
その後一路金華へ。案外遠い。
金華着15時半。なんのかのして出かけると侍王府など見どころは全部店じまいしていた。
仕方なく早々に、17時半から食事にいく。街北部の大通り沿いにある農家料理店の一つ「郷村大院」へ。
平屋で奥行きがある大レストランはすでに満員。
とりあえずビール。店員についていって冷たいのを選別。こちらがうまそうに見えたが、アルコール度数1.8%でノンアルコールビールの方がまだうまいね。という感想も。
隣は会社の宴会風で30人ほどが白酒の酔いしれて乾杯最高潮ムード。うるさいこと。幸い彼らは18時半に帰ってくれた。
どれもまあまあ。このマーボ豆腐みたいなのが薄味でおいしく、残さず食べていた。あと豚腿肉みたいの、魚、芋の煮付け、野菜炒め各種など。農家料理。
あんまりビールが頼りないから最後の方紹興酒でも飲みたくなったがすでに腹が一杯で諦める。前日食べ放題の影響でお腹の空きが少ない。9人で400元。うちビールが150元。
帰りがけ車がつかまらず歩いて街中まで。飲んだビールが全部抜けるほどの汗。
翌日は午前中メインの諸葛八卦村へ。9時に出て高速経由で1時間もかからず到着。前回1人できたとき路線バスを乗り継ぎ2時間以上かかった。直線距離だと近いんだ。
八卦村に着いたころには猛暑。すでに32度くらいの体感。建物を訪ねるたびに汗が吹き出る。みなさん以外とお土産を買っていた。
昼は八卦村でまた農家料理。みんな食欲が復活して旺盛に食べる。全部で200元。ビールが80元。まずいくせにビールの高い地域だ。
午後は大慈岩に行く。山の中のお寺。こんなふうに崖にお堂があり、南懸崖寺、と自称している。石段があるが、ロープウェイで登った。トレーニングに走って登りたかったが。団体行動。
当然まだ猛暑で階段をうねうねといき大量の汗。ボトルの水を一気飲みする。
ここの建物、景色がいいが、半分以上は最近建てられたものだった。
15時半にここを後にして一路上海に。途中夕立。運ちゃんのあてずっぽう運転のおかげで上海市内に20時半についた。
みなさんご苦労様。
大学の同窓生達と旅行で浙江省金華市に来た。金華ハムで有名なところ。
昨日は杭州で36度とか。記録的暑さで古鎮を見に行ってもみな口数少なく。
夜雨が降り今朝昨晩よりも涼しい。市内を流れる金華江沿いを走る。
ここは以前も走ったことあり、南岸は片道5-6キロの遊歩道が整備されている。
早朝、夫婦で漁をする姿。今となっては向かいのように高層ビルが建て込んでいるが、ほんの少し前まではこのような船がたくさんあったんだろう。
下流に走り、遊歩道が無くなったところから先は農村地帯になっている。
犬の散歩をしている人が多い。ガイドさんが「この辺の人はのんびりしている」といっていた通りのどかな朝の風景だ。
いたるところ、船着場で洗濯をしている。
川で洗濯をする姿、中国の地方に行くとありふれた光景だ。バケツと洗濯板と洗濯棒(叩き棒)の3点セットを抱えて川岸にやってきておしゃべりしながら洗濯している。
5時45分にスタートして7時近くもう暑さが毛穴に進入するほどになってきた。13-14キロほど走り帰る。
人がいるトイレも名所の入場券を持っているとただだった。
他に城隍廟、将軍祠なんかをみる。あまりぱっとしない。
無料ガイドさんがいて簡単な説明をしてくれる。なかなか感じのいい青年が説明してくれ、おっ、と思ったら、途中で「続きはあそこの人に聞いて」と去ってしまった。
城壁滞在3時間弱で切り上げ城壁西の列車駅、バスターミナルまでいく。ここも人が少なく殺伐としている。
中に入って理由が分かった。便が少ないのだ。
今日中に北京にいかないと。ここから400キロ以上ある。東京ー岐阜くらいだ。
窓口で北京方面に向かうバスを聞いたら「今日は全部うりきれよーん」。
列車にいくと、2時間後の列車の立ち席ならある。と。3連休の真ん中の日なのをうっかりしていた。やっぱり一泊では無理だ。
どうする?ふと気がつくと昼を食べていない。朝飛行機でパン一つ、市場でアイス一本だけ。食べながらゆっくり考えようか。そんな時間も惜しい。
仕方ない。とにかく前進。秦皇島まで行けば北京行きバスがあるはずだ。秦皇島までタクシーに乗ることにした。
また駅前で運転手の人相のよさそうな、車が新しそうなタクシーを物色する。値段交渉しようとしたら、メーターで計るからいいよ。という。正直者か?
道中は順調。山海関を過ぎたら長城がみえる。また来よう。高速代含めて350元かかった。1時間30分。
秦皇島駅前に「北京直通バス」の看板があり。ちょうど出るところで、よかった。と乗り込む。90元。これがうそつきで直通どころか一般道を回り道して北戴河に寄って客を乗せてゆく。秦皇島で乗った客が怒りだしたが後のまつり。
15時半に秦皇島発が結局唐山なんかを経由して北京に着いたらもう20時半だった。距離270キロくらい。
北京だから羊のしゃぶしゃぶ。
自分より若い中国人の友人で、合うのは1年ぶり。オリンピック後の北京の様子など話してくれた。
聞いていると、やはり不平等感がどんどん高まっていることがわかる。
まっとうなことをやっていいてもなかなか浮かばれない。と。
物価も高いし。北京は北京人優先だし。といってもいまさら地元に帰ってちゃんとした仕事のあてもなし。
いろんな友人の事例なども話してくれた。
外から見るのと違い中国全体に急速に閉塞感が出てきていることに驚いた。
それにしても北京の料理屋は相変わらず盛が多い。大皿25元頼んだら12インチピザより大きな皿に山盛りで羊肉が来た。その他の皿も膨大な量。昼食べてないからちょうどよかった。
今朝昨日より少し温かく。走りやすかった。走っている人、散歩している人が多い。
遅まきながら台湾のことを少し。といっても打合せと飲み会ばかりで出歩けず。
今年1月から屋内前面禁煙になっていた。ホテルの部屋もだめ。みんな外で吸っていた。禁煙キャンペーンに蔡依林の等身大看板がありいたるところに立っている。ひとつ欲しかった。
夜しか出歩いていなんで。路地裏の飲食店。この手の店は香港に比べて台湾の方が格段にうまい。というか香港がひどすぎる。シンガポールの方が香港よりもまだましか。
種類豊富で、昔は肝炎になるとかいわれる汚さが清潔になった。
飲んだ後に食べた麺。お椀は直径10センチくらいと小さい。3口くらいで食べ終わる。
スープが薄味なのに驚いた。台湾人もこんな薄味志向になってきたとは。海老の下がチャーシュー。
1時を回ってもお客さんで一杯だった。
松山空港。ここに来るのは20年ぶり。もう憶えていない。
松山、松山、といっているが、正式名称が「台北空港」とは知らなかった。
街のど真ん中で着陸するとき下をみたら怖かった、昔の香港空港と同じ。
今週ずっと曇り。水曜日に雨。気温が下がらないが日が出ないから寒々しい。これが普通の上海の冬空だ。低温でないから走りやすいが朝どんよりしているとがっかりして走るのに気合が入らない。通常あと2週間、雨水を過ぎると春を感じるようになる。それまで我慢。
表紙は洛陽の白馬寺。河南は鄭州、開封、洛陽、少林寺と殷の遺跡があり見所の多い地域だが、シリーズの終盤になってやっと発行された。
この「走遍中国」シリーズは各省別のガイドブックで、今まで見たうち中国のガイドブックとしては一番よくできている。信頼できる。
とにかく詳しくて、地方の隅々まで、日本人が行かないようなところまでカバーしている。実際、浙江省などでこれを見ていった場所で外国人皆無(観光客自体いないところも)の村が多かった。
どこの村に行くにはどこでどのバスに乗りいくらで何分。まで書いてある。これはもちろん正確で、値上がりしていたり、バス停が移転していたりするが、これは仕方ない。欲を言えばもう少し地図を詳しくして欲しい。今は中の記事が白黒だが、数年後はカラー化するだろう。実際、浙江編をリメイクした香港版がカラーで出ていた。
使いやすい理由は、この本のライターが多数の地元の人で分担して書いているから。実際に足を運び、地元で聞いて書いている。だから、地域毎に多少紹介のトーンが違う。
行きそうな場所のを買い揃えつつある。これまでほとんどの省、直轄市の紹介が出版され、あと残るは福建、重慶、安徽、上海。
150-250ページで価格は26元ー32元。大きな本屋でないと売っていない。
東京から愛知へ。東京では上野のホテルに宿泊。「何で上野?」とか「海外から出張で帰国する人は泊まんないよね」とか「聞いたことがない」とか。人によっては、上野はビジネスマンが足を踏み入れる街ではないらしい。
駅近で知ってるチェーン店のホテルという理由で泊まったのだけど、そういえば、最近の宿は、蒲田、大塚、亀戸、人形町、箱崎、門前仲町。。というマイナー駅が多く、唯一汐留があったけど、亀戸の倍くらいで高いなー。
マラソンの関係で洗濯物が増えるからコインランドリーがあるホテル、というのが選択条件で、一流ホテルはないからチェーン店が多くなる。
今回着るものも上野にマッチした服装したもってゆかず。そのまま昼丸の内のきれいなビルで食事したら同席の人に「派遣村から来た人みたい」といわれた。そこまでひどくないと思うけど。
今回上野にした理由は上野公園を走りたかったから。朝駅北の跨線橋を越えて公園側へ。博物館、美術館、動物園見物や花見で来ると広く感じるが、走ってみるとたいしたことない。降りて上ってすぐ。続けて不忍池へ階段を下りる。
こちらには歩いている人、走っている人多数。鴨が冷たい水につかってひっそりといる。時々飛び立つ。
一周1.5キロくらい。ゆっくり走る人が大半。自転車で乗り付けて全速力で一周して去ったおねえさんがいた。7時過ぎにビルの間、浅草方向から日の出。
ランニングコースとしては短すぎて今ひとつ。隅田川の方がいい。
残念ながらカメラ電池切れで、携帯の写真もうまくうつらず。
正月2日とあり観光客がかなりいたが、8割方広東語、台湾語で、北京語が少なく。香港、台湾の人が多い。白人さん2人。日本語話す人を4人みかけた。
田螺坑土楼は以前600人あまり住んでいたが今は300人以下だという。かつては山間でとんでもなく不便だったのが今では舗装路ができて行き来しやすい。
こんなに観光客が来るところに住んだら煩わしい人もいるだろう。しかし、生活習慣は変わらず。みんな井戸水を利用している。中には金魚が泳いでいた。
まだまだ自給自足らしく、車での道、ずっと店がみあたらなかった。
いたるところに家禽がいる。この羽が緑にひかる鴨。どこにいってもいた。放し飼いで人の足元をふらふら歩いている。毛艶がよい。
まるまると太った鴨が寝そべっている脇で絞めた鴨の羽をむしっている。
この感覚、なかなかわかりにくい。情がうつってしまいそうなものだ。これは自分で食べるためだけでなく観光客用の料理にもなる。
霉干菜。華東地域でごく普通にみられるもの。これに留まらず干した野菜を多種籠に入れて外に置いてある。
集落の周りはお茶畑が多く、自分用の作物は葉っぱ物を見かける程度。そういえば牛、豚の類をみかけなかった。
周囲を囲まれた谷の中腹に土楼群があり、風が弱くおだやか。標高500mくらいだそうだ。干し野菜を作るのに適した風土。
野菜だけではなく、山の特産、昆虫ものもあり。自家製の蜂酒。白酒に蜂をつけてある。ドイツ語を話す男女2人が興味深そうにみていた。
古びて田舎っぽいが全体的に清潔だ。少なくとも江蘇、浙江の田舎よりもきれいに暮らしている。自給自足しているから生活ごみが汚くない。表情もすっきりしている。
どこにいっても子供が多い。以前ここいらに来たとき、こんな農村では子供1人ではやっていけない。みんな罰金払って何人も生んでるよ。といっていた。今もそうなのかもしれない。
といってもただ遊んでいるわけではなく、どこも子供が家の手伝いをしている。洗濯している女の子をよくみた。「三丁目の夕日」の光景。
これは塔下村の川で洗濯する子供たち。半分遊びながら洗濯。どうやらみんな赤い服が好きみたいだ。
でも、ここで会った小学低学年風の女の子に、日本人だ、といったら、最初じっと見つめられて、しばらくしたらいやそうな顔をされた。日本人と話すと初めてだったようだ。
民宿がたくさんある。写真は田螺坑の和昌楼。30-50元。食事は別。「山の上は涼しくていいよ、泊まってゆきなよ」とおじさんに薦められた。この季節福建南部とはいえ山の中は寒い。夏場はいいかもしれない。
また来ることがあったら泊まってみよう。
南靖土楼群は開放しているところを環状の道路で結んでいる。
真ん中下の書洋まで45キロ。ここから田螺坑ー下版ー塔下と回る南ルート。逆
に和貴楼ー懐遠楼ー梅林鎮ー石橋鎮と回る北ルート。どっちもさっと見ても2時間コース。全部みると4-5時間。両ルートが落ち合う曲江から書洋まで10キロくらい。丹念に見ようと思うならば塔下の土楼旅館に宿泊するのがよさそう。一泊30元ー50元くらい。
今回時間がないので南ルートだけみて帰った。途中道路からいたるところに大中小の土楼が見える。南靖ー永定に約2000あるといい通りかかったところは皆まだ普通に住んでいる。
建物は四角形と円形が多い。こちらは田螺坑の四角い歩雲楼。この建物は比較的窓が多いが、丸いのは窓が少なくてあっても高いところだけ。
高さ12-15mくらいが多い。外から見ると土壁だが、中は日干しレンガが積んである。
歩雲楼に内側。3階建ての建物。中をみると土楼ではなく木楼。壁以外全て木でできている。火事になったらひとたまりもなさそう。
形にかかわらず基本的な作りは、真ん中に井戸があって、中央北よりに観音堂がある。
一部屋はこの木の間隔くらいの幅でどれも小さい。
階段は2箇所が多かった。
とはいえ、基本的に地面に立ててあるだけだし、斜面に立っていたりする。
「この辺地震ないの」と地元の人に聞いたら、「最近ではM4.5くらいのがあったけれどそれくらい」といっていた。途中温泉の看板をいくつか見かけたし、地震もおきるだろう。耐震性があるのだろうか。
2階の様子。開放している建物は2-3階に上ることも可。カメラを抱えた人たちがうろうろしている。部屋の中は狭く、ベッドと簡単な椅子、机がある程度。高さも低い。
廊下に青いバケツがみえる。各部屋にトイレがないのでこれで用をたす。あるいていたら部屋から出てきた男の子が小便を始めた。
とはいえ木造で年季が入っているので2階以上に上るとき一度に20人以下、30人以下にするように。という注意書きが掛けられている。この日登っている人は少なかった。
上から見たほうが全体が俯瞰できて見ごたえがある(和昌楼)。この土楼は楕円形をしている。
裕昌楼の中庭にある観音堂。この地域は関帝廟でなくて観音堂ばかり。山の中だから天后はもちろんない。
帰りがけに南靖の市街地を歩いたときもこれと同じ形式の観音堂があった。
観音様は黒い塑像で像自体は地味だが派手な服を来ている。
お堂自体の装飾は少ない。観光客は観音堂に興味が無い様でどこも静かだった。
南靖の土楼へ行ってきた。土楼集中エリアの入り口にこんなのがある。観光客に開放している3箇所の入場券を売っている。
うーむ。ここも観光地かされているか。と切符を買うが窓口のお姉さんたちはみな元気で愛想がよい。まだいいか。
と簡単に始めたが、ここまで廈門から3時間かかっている。永定へ本当は行きたかったが時間がないので近場の南靖へ。湖南汽車站7時半発南靖行きバスに乗り2時間で南靖。27元。以前は途中バナナ畑ばかりだったが今は工場が軒を連ねている。
南靖汽車站から土楼巡りの観光ワゴン車が出ているが時間が読めないので迷った結果タクシーをチャーターした。往復で120キロくらいあり、300元くらいか?と交渉したら350元になった。乗ったら土楼紹介DVDをくれた。
ここからこの切符売り場まで45キロ。小一時間。ここまで最短時間で来れたようだ。写真の下3枚は入場券。記念に持って帰るようになっている。
切符売り場手前に博物館があるが、運ちゃんは「あんなの見てもしょうがない」と素通り。売り場から急な坂をいくつも越えて田螺坑土楼へ。
上の展望台からの眺め。良く写真でみる集中土楼だ。10数年前廈門に居たころ南靖の土楼に来たことがあるが、当時は道が悪くて日帰りではここまでこれなかった。もっと小さな土楼を見て帰った。
天気がよくて段々畑もきれいにみえる。ただ、山だから廈門よりも寒い。
展望台のトイレも土楼の形。よくある趣向で観光地化の最たるものだが。隣に交番がありこちらも同じ形をしていた。
運転手によると、展望台からトンネルを掘って土楼まで連絡するようにする計画があるらしい。
今は途中まで車で降りてそこから300mくらい歩く。この方がトンネルよりも風情があってよい。
近づいてみるととにかく大きい。窓が少なくて夏は暑いかもしれないがこのあたりは山なので風は吹くだろう。
「なんとなくことしはよいことあるごとし 元日の朝晴れて雲なし 啄木」
を思い出す好天の朝。でも紅白みながら飲んでいたので寝坊。とにかく寒い。
夕方の飛行機で廈門へ。3日の廈門マラソンに参加する。一日早くついて久しぶりに南靖の方へいってみることにした。
廈門空港を出て市内バス、と駅前への直行便(6元)があったので乗ろうとすると運転手が「出ないよ」という。お客さんが最低8人にならないと出さないという。空港カウンターで宣伝している交通機関のくせになんともいい加減。仕方なく路線バス(1元)で駅前まで。廈門は狭いし空港が近いから路線バスでも30分で着く。
19時すぎ駅前へ着くとBRTという公共交通機関の駅ができていた。ホテルは去年と同じ東南亜酒店。駅前で便利。しっかしここも寒い。10度以下で廈門と思えない寒さだ。
軽く食べよう、と適当に店に入って海鮮粥を頼む。この通り量が多い。まっずい。化学調味料がふんだんに入っていて途中でいやになった。昔廈門に住んでいたときも安い店がことごとくまずくて閉口した。
進歩していない。このあたりは食材豊富だからもっと食べることに気を使いそうなものだが。
いわゆる江南水郷の里で杭甬高速道路の柯橋ICを下りてすぐのところにある。
日本のガイドに出てこない町だが中国のガイドブックを見るとポピュラーな場所。
行ってみると中心地域の保存状態は良好。普通にみんな住んでいる。
入り口はばかでかい駐車場があり観光地化を目論でいる。しかし全然観光客がいない。物売りの店が多いが商売っ気はさほどない。
暮らしている人たちにそういう意識はなさそうだ。
とにかくやたらと干し肉がそこらじゅうにぶら下げてある。
これは腸詰。豚だろう。
腸詰店の店先。
町の人たちがこんなに食べるとも思えないから観光用か?
この日昼紹興の咸亨酒店で食事したが、名物料理はどれも保存食風のものが多かった。霉干菜や臭豆腐、ハム、ベーコンなど。
こういう食材がこのあたりで主流になっている。海に近くて豊かそうなのに不思議。
豚だけでなく鳥ももちろんいる。こちらは鴨。
「醤鴨」といって醤油系のたれを塗って干す。
通常干したのをぶつ切りにして炒めたりする。よく干したのはおいしい。と個人的に思うが好き好きのよう。
醤油をつけず普通に干したのを江蘇で「板鴨」という。南京あたりにいくとみやげ物やで売っている。
こちらは鳩の干したの。二回り小さい。肉も少ない。
なぜこの地域はこういう保存食系が発達したのだろうか。興味深いところだ。
残念ながら昼食後に訪れたので食欲が無い。食べずに去った。
古い中国銀行の建物。郵便局くらいの大きさ。この町はかつてはこの地方の中心地だったのだろう。今では繊維工場に取り囲まれている。
悪く無い場所だが交通の便がよくない。公共交通で行くとすると柯橋からタクシー。あるいは杭州空港がある蕭山からタクシー。
ひなびた感じはなかなかのもの。
途中結婚式パレードに出くわす。新婦のアパートの前に人だかりができて、楽隊がいる。新郎が新婦を連れて出てくると花火&楽隊がブンチャカ、ブンチャカ。
楽隊の人はみんなお年寄りでこの鼓笛隊制服が全然似合わない。一見して学校の音楽の先生のバイト。
開封府。これは見なくてもよかった。最近できた昔の宮城を復元した公園みたいなもの。
中は広いが、珍しい陳列品があるわけでなし。
開封は960年ー1127年。約150年間北宋時代首都だった。往時の建物を模したもの。
中国の団体さんが多い。南海(広東省)、温州(福建省)、蘇州、の帽子を被ったグループを見かけた。外国人風はいない。
団体さんはここで記念撮影。この前にタクシーが雲集していて客引きも活発。
迷ったがせっかくだから入ることにした。入場料徴収。
やはりつまらない。半分くらいさっと見て出ることとした。
歩いて大通りまで行き、バスで清明上河園へ。街の北西。15分くらい。
こちらも最近できた一種のテーマパーク。
「清明上河図」の絵を元にして建物を配置したり店のデザインしたり。中はかなり広い。入場料80元。
ここは日本でいえば「源氏物語絵巻公園」みたいなものけれど、どちらかというと子供向きです。
河にはこんな船が浮かんでいたり。復元にしてはよくできている建物も多い。
こういうところの常として食堂と土産物屋さんが多い。そういえばディズニーも香港のは土産物屋がやたら多かった。
アトラクションは昔の風俗を再現したり、歌ったり踊ったり。この火吹き男は大人気で喝采を浴びていた。
1000年前からこんな芸があったのだろうか。
腹が減って焼きカラメルみたいな砂糖菓子を一袋購入してベンチに座る。
ここも外人風がいない。独り旅の人もいない。日向に座ってぼんやり眺めていたら眠くなる。
園内の建物は城壁を模したものもあり。この位置はちょうど北西門に当たる。
1時間くらい見たらだいたいわかった。さて。 時間がまだ少しある。
鉄塔へゆくことにした。
上河園を出てバスで東へ。10分ほどで鉄塔公園に。
これが鉄塔。仏教の塔だ。高さ60m弱。基部の直径10mほど。
偉容である。鉄塔といっても鉄でできているのではなく、瓦が年月を経て鉄さび色になっているもの。建造は1049年というから950年前のもの。中国文化遺産に指定されている。
ここまでは普通の公園で無料。鉄塔に入ると10元。
瓦は釈迦三尊像の焼き物になっている。これが無数に塔を取り巻いている。
一見の価値あるものだ。しばらく外から眺める。
狭い入り口から入れる。10元。人が擦れ違えないくらいの真っ暗な階段を上りてっぺんまで。といっても上に仏像が安置してあるわけでもない。
階段の壁一面も仏様の瓦で埋め尽くされている。
この瓦。実際の高さ25cmくらい。普段暗闇の中にあるが、こうやってみるとなかなかいいお顔だ。
さーて。一通りみたからまた大相国寺までバスで戻る。どうしようか。タクシーか。バスか。結局また並んでバスに1時間半揺られて鄭州に戻り。
本当に単調な道だ。
開封から帰り今度は香港へ。そうしたら腹の調子は悪くなるし、PCはおかしくなるし。
特にPCはウイルスに感染したらしく、立ち上げると「ウィルスがいますからシャットダウンします」と閉じてしまう。開かないと対策できないのでどうしようもなく。なんとか会社の人に頼んで直してもらったが一日かかった。多分開封市のHPからウィルスに感染したのだと思う。
香港で洋食店に入り、揚げ物を頼んだらレモンがこうやって出てきた。布にくるんである。種が落ちないところがポイントだろうが、こういうところはなかなか大陸には無い趣向。
香港の食事は、中華はどんどん薄味に、洋食や日本食は素材が良くなって盛り付けなども細やかになってきている。ただ、その分高い。ほぼ日本並だ。
鄭開直通バス開封側終点。大相国寺。北宋時代中国一の寺院だったそうで、当時の記録をみると膨大な面積を持っていた。今は街の中のこじんまりとしたお寺。
門構えは立派。この周囲は下町で再開発されておらずごちゃっとしたエリア。
入ると銅像が。水滸伝の花和尚魯知新。物語で彼はこのお寺の野菜畑かなにかで働いていたはず。
建物の配置はよくあるパターンで入ると日本の五重塔みたいに鐘楼、鼓楼が左右にあり、正面に仏像が安置してある建物が一直線に並んでいる。後ろが大雄宝殿。
お金を取るから近所の人はおらず。観光客もまばらだった。
象が門番している大師堂。大師とは?みたら弘法大師だった。空海の紹介がある。弘法大師は中国内で修行中何回もここに立ち寄ったらしい。かなりよく書かれている。
30分くらいで見終わる。
大相国寺を出て大通りを横切り歩いて5分のとこのに延慶観がある。近いのに寺の入り口の自転車タクシーが遠いから乗れ、としつこい。
延慶観は道教の寺院。創始者は王重陽。戦乱で荒廃したのを再建したのが丘処機。「射鵰英雄伝」ですな。そう思うと感慨深い。
入場券買うところで何気なく払ったらガイド説明つきの値段で、ガイドさんがついてしまった。わーわーいうので、日本人だからもうちょっとゆっりく説明して。といったところ、日本人か、と大声でいうので周りの注目をを浴びる。
言葉がわかるのか、とか、英雄伝読んだことあるか。とか。
入り口が地面から1mくらい下にある。重みで沈下したのだとか。そのため度重なる黄河の氾濫でこの建物の下の方は長らく埋もれていたらしい。
おかげでか保存状態がいい。
ガイドのおばさんがいろいろ説明してくれたが細かいところがわからず。それでもじっくりみるといろんな像がありおもしろい。
ありそうでない道教建築。
軒先の飾りが動物になっている。全部みえないが鳥もおり、十二支かもしれない。
全体として開封で一番気に入った建物だった。
河南省には回族が多い。鄭州には自治区もある。回族とイスラム教徒は厳密には違うそうだが、モスクで礼拝しイスラム料理を食べて西域風の白い帽子を被っている。
前晩5時半ごろホテルに着いたらイスラムの礼拝の独特の始まりの声がした。
朝方5時過ぎこの声で目が覚める。明るくなって窓から見たらすぐ隣がモスクだった。礼拝の声で目が覚めるとはマレーシアのようだ。
6時に出かけて市内を探索。まだ暗い。上の写真は良く見えないが「回族食品街」と書いてある。アラビア文字でも書いてある。
普通の家の門。上の書いてあるアラビア文字(?)は家の表札だろうか?それとも「アラー・アクバル」みたいなことか?
ひょうたんがぶら下がっている。立派な家で、路地にはむき出しのレンガ造りが多いからコンクリートで塗ってサッシの窓は裕福なんだろう。
歩いているとこういう家が多いし、ムスリム帽を被った人があちこちから出てくる。
何故開封?帰ったら調べてみよう。
上海に比べると西にあって緯度も少し高いから朝は上海ほど早くない。でも6時半ごろに明るくなって市場が立ち、7時になると露天売り朝市や食べ物屋で町中が急ににぎやかになってきた。
四つ角で野菜を売る人。キャベツかと思って寄ってみたら白菜だった。丸い白菜。はじめてみた。丸いから漬物にしにくそう。
野菜は白菜、キャベツの葉っぱもの。にんじん、大根の根菜類。ねぎ、きのこ、ブロッコリー。果物はすいか、ゆず、りんご、みかん、から竜眼、マンゴスティンまであった。
ホテル裏の路地のモスクを見に行く。近づくと回族の店、回族の服装の人ばかり。顔つきは漢族風もいるが西域風の人が多いようだ。男性は顔の幅が広くていかつい人と細面であごが尖ったような人と。
大小モスクが3つあった。日曜朝で人が多い。
これはその中で一番大きなモスク。人の出入りも一番多い。漢字で「文書寺」と書いてある。お寺の名前としては奇妙だ。表の大通りが書店街という名前の道であることとなにか関係があるのかもしれない。
出入りするみんなの帽子が新品同様に真っ白で汚れていない。
張り紙に、「自家製蜂蜜。蜂蜜、蜂蝋、蜂花粉、ローヤルゼリー」と書いてある。
知らん顔して中に入ってもとがめられそうになかったが宗教施設なのでやめておく。
回族街から出たところの古い商店街の店。まだまだこういう建物が主流。
食べ物屋の燃料は練炭と炭がほとんど。だから練炭を運ぶ自転車や大八車やオートバイが多い。
飛行機で虹橋空港から鄭州まで1時間半。4月にここから飛行機に乗っているからだいたいわかる。でも開封行き空港バスが無い。バスで鄭州市内へ。16元。
30分ほどで鄭州民航酒店に着について、ひどく順調。駅前の中心バスターミナルには26路のバスに乗れと車掌が言うので従う。
ここから迷走。開封は近すぎて中心站からバスが無い。南站だと。火車駅に行ったが良い電車もなさそう。近くの二馬路からあるかといってみたらここもだめ。タクシーで南站へ。
鄭州ー開封は50キロくらいあるのに普通の市内バスの感覚の路線になっている。7元と極端に安い。15分に1本くらい出ていた。
きれいなバスで、ちゃんと座席がなくなると乗せるのを止めるし(立っていてもいい人は乗せる)、割り込んできたおばさんを車掌が叱責しているし。しっかりしている。
ただ、路線バスなので途中で人を拾ってのろい。
1時間半かかって開封の大相国寺站着。もう16時40分。鄭州空港に着いたのが12時40分だったからここまで4時間もかかった。途中、曹操と袁紹が戦った官渡の標識を見たり。歴史の土地を感じる。鄭州ー開封は高速ではないが広い道が開通していて信号も少ない。平らな農村地帯に羊を追う人がちらほら、という様子。
今日の宿は鼓楼の陽光大酒店。古いホテルらしいが158元と安い。部屋も普通で無料インターネットもある。
鼓楼あたりは古い街並があり、この餃子店は3階が旧劇の舞台になっていて、夜になると歌声が聞こえてくる。というか、スピーカーで外に音を出している。
チェックインしてすぐ外へ出たらもう暗い。観光スポットはどこも閉まっている。
とりあえず近場の古い街並を歩いてみる。ここは夜市が出るのでもう準備が始まっている。
大相国寺の近くにあった開封賓館。これは古そうだ。国有企業風のつくりになっている。
人気が無い清明上河園にバスで行き歩いて帰る。少し町の様子がわかった。
18時半戻ると夜市が始まっている。衣料品、装飾品、おもちゃ、小物。大きな瓢箪だ。
鼓楼側北は物売り、南側は屋台が多い。若い人が屋台でしきりに食べている。
面筋の串焼きをとりあえず食べる。香辛料がかけてある。
イスラムの白い帽子をかぶっている人が多い。
この串焼き。上海の道端の羊肉のと違いいろんな種類のものがある。
これは?見ての通り蝉のさなぎだ。写真を撮っていたら隣の男の子たちが笑って「お前食べたことあるか」といっていた。
19時ごろとあり、とにかくおおにぎわい。さほど寒くなくソフトクリームが案外と人気がある。
夕食はここで食べることとする。
上海蟹くらいの大きさの蟹。これを2つ食べる。塩茹でされている。失敗。身が少なくてまずい。でも1つ10元した。
定番のお好み焼きみたいなの。2元で相当な量。あと焼きとうもろこしは日本と同じ味。「東北烤玉米」とのれんを出している。
屋台街のわりに酒を売っていない。イスラムだからだろう。
香港、日本、と出かけた先で食べてばっかり。昨日体重を量ったら2キロくらい多め。来週は普通に上海だからセーブしよう。
香港で見たもの。東湧の地図。カラーでわかりやすいし、中国語、英語、日本語で書いてある。言葉もおかしくない。香港は日本びいき。
東湧警察署前の横断幕。香港でもDVが社会問題になっているものとみえる。
香港は通常女性上位といわれているが、男性は上海人などよりも粗野な人が多い。タクシーに乗るとそう感じる。女性が強いということは言いたいことを言う、ということだから喧嘩の原因にもなりやすいし。
熱帯魚屋さんで上海蟹を売っていた。普通鑑賞動物と食用動物を一緒に売らないものだが。
花屋で野菜を売っていても相当違和感がある。
まさかペットショップでカエルをうったりしないだろうな。
二東山に登る。目指すは香港第三峰大東山(869m)。東湧駅から東順路方面へ出て警察署を曲がって歩道橋の登り左折すると山のほうへ。赤蝋角新村方面。
もともと香港空港の地域は赤蝋角と呼ばれていた。ここは空港に隣接する地域。
香港登山につき物の野犬登場。さほど凶悪な顔つきでないが、やせていて腹が減っていそう。何か食べ物をくれないか、と寄ってくる。
吼えたりせず至近距離で見つめられる。
さっさと歩いて通り過ぎる。
大東山への登山道。東湧駅からここまで歩くと結構かかる。30分くらい。帰りは走っていった。
登るとき下ってきて一休みしている人が10人くらいいた。何だ。だらしないな。と思いながら登るが。。
登り初めてわかった。香港でもお目にかかったことがない急坂。
上り坂は得意なので普通休まず登り続けるが、ここは45度はろうかという傾斜で延々と続く。休み続け。
距離500mほどの間に300mくらい上る感覚。
帰り、同じ道を戻ったが、下りも果てしなく長く感じた。
途中あった白人男性が、「many steps!」と叫んでいた。
表示を見ると二東山まで2.3キロで700m上る。
急坂が一段落し、視界が開けたところにハイカー用標識があった。
500mおきに立っている。Mclehose Trail、Wilson Trail、Hongkong Trailにも同じようなのがある。人のデザインが皆異なる。
開けた場所は風があって涼しい。汗だくで上ってきたから気持ち良い。
山腹から空港を見る。かすんだ下界に飛行機がゆっくりと離発着している。
この方向以外はすべて山。ここまでの植生は日本の森とよく似ていた。このあたりから上は潅木ばかりで草むらの中をゆくことが多くなる。
依然上り。でも最初のような急坂ではなし。話をしながらハイキングにちょうど良い傾斜。といっても道連れおらず。
時々降りてくる人がいる。もう15時近いから帰る時間。今から登る人はみかけなかった。
またまた開けたところに出た。空気は悪くないが遠くは霞んでみえる。
登りの連続で汗だくだがぜんぜんのどが渇かない。
帰ったらビールを飲もう、とひたすら我慢する。
2.3キロ登った分岐。1時間20分くらいかかった。本来伯公坳まで行く予定だったが思いのほかここまで時間がかかり、この季節暗くなるのも早いから諦めて引き返すことにした。
大東山などまたその先。計画が無謀だった。
伯公坳に行く途中二東山を通り過ぎる。
下りも最後の急坂がきつい。基本的に階段で、高さも幅も不ぞろいだから気を使う。
下りなのに汗だくになった。みんな休み休み降りている。
日曜は定番のディズニーランド。同行の上海人も日本人も来たことある人ばかりで、2-3時間したら飽きていた。
香港は日本の食べ物やファッションが流行っていていたるところで日本語に遭遇。
このバスも日本人相手、という訳でもなく。
日曜日の10時の割りに人手が少ない。日本人学校が運動会だから。と言っている人がいたが、関係ないだろう。
ということは、TWに出た日本人は是が非でも土曜中にゴールしないといけなかったのだ。
天気は絶好。香港にしては気温が低くて乾燥している。
ところが全体的にアトラクションが空いている。人はそこそこいるのだが、食事したり、買い物したり、多い。
激しいジェットコースターは香港人苦手、とのことで、スペースマウンテンは待ち時間ゼロで乗れた。
本当の子供向けの施設の方が混んでいる。スティッキーに一番並んでいた。
どれも同じ顔で芸が無い、と最初思ったが、これはこれで安心するもの。
昼を食べてみんな三々五々。
山登りに出かける。
14時に 荃湾のホテルに着き、早速バスで裏山にあたる郊野公園へ。
降りる人多数。みんなTWのサポートだ。
Oxfam Trailwalkerは香港最大のトレイルラン・ウォ-クイベントで、距離100キロ。
制限時間48時間だが最速グループは12時間そこそこでゴールする。
特徴は4人一組がそろって関門を通過しなければならないこと。
ここが大帽山下の第8チェックポイント。残り20.4キロ。もう難所は無い、完走あるのみ。
と書いてある。
ここからは舗装路か平坦路でここまでこれば先はみえるというもの。
少し下の公園入り口広場では多数のサポートが食事を提供して競技者を励ましている。
こういうイベントなので外人さんも多い。
日本人もちらほらみかける。
先は見えたとはいえ80キロ地点。体はぼろぼろに痛んできている。
CPの救護所は野戦病院状態。
この時間だと一番遅くスタートしたグループも一晩徹夜して24時間以上経過している。眠気もひとしお。
くだり坂なれど走っている人はいない。でも、CPが近いので安心した顔をしている。
この時間帯の人たちはみなステッキを持っている。2本携えている人が多い。
眼下に霞んでみえる景色は荃湾、青衣。橋は空港から青衣を通る橋。香港マラソンのコースにもなっている。
車が低速ギヤでなんとか登る坂道をのんびりと行く。
この道は何度と無く通ったけれど、いままでこちら側から登ったことがないし、競技者、練習でもないから気楽。
上の方に見える丸い測候所が大帽山の頂上。あそこを目指してゆく。前から来た人たちはあそこから降りてきた。
4人組があるいているが、この地点をこういうふうに4人そろって歩いている人たちは少ない。
疲労度が一様でないからばらばらと歩くことになってしまう。
こんなに細い道だったっけ?今まで思わなかったことをいろいろ感じる。
ここに牛の群れがいた。全部で10頭ほど。
子牛が2頭。あとはみんな真っ黒い。どちらかというと香港には黄牛が多いと思っていたのでちょっと怖い。
子牛その①。大型の犬ほどの大きさ。
子牛その①とその②。その②はもっとちいさくて秋田犬くらい。
両方とも好奇心がありこちらをじっと見ているが近づくと逃げる。
もともと飼われていた牛が農業放棄などで遺棄されて野良牛になったもの。
香港人はこれを捕獲したりしないのでのんびりしている。
あんなちいさいのが育つと獰猛な顔になる。大きさも半端でない。400キロくらいありそう。角が尖って目つきも鋭い。
近づいても逃げずににらみつけるから怖くなる。
50分ほどで4キロの道のりを登りきり頂上へ。標高997mなので涼しい。ここが香港の最高峰。
迷ったが向こう側に降りることとする。18時30分までに 荃湾にたどり着かなくてはいけない。
こちら側は逆側よりも坂が急で皆さん四苦八苦。
とても走って降りられず早足でゆく。
途中の給水ポイント。女性の服装を見ればいかに寒いかがわかろうというもの。
奥の人は風が強くて幕が飛びそうなので押さえている。
さて、どうしようか。ここから引き返すのも手だが、と迷う。立ち止まると寒いからあまり考えず向こう側を選択。
子供のグループがやはり逆送していて前にいる。抜かしたら競争になってしまった。
山を下りきるとCP7。CP8から10キロ。エイドで救護、食事を出している。
ここは大きなエイドで滞留している人が多い。
去年まで参加していたと思うと感慨深い。
が、時間が無いので先を急ぐ。
下り坂をずっといけば 荃湾に出る、という標識を信じてひたすら降りるが。。。
最後は必死に走ってもなかなかつかず。しんどかった。
天気予報を見て準備しておいたMontrailの完全防水雨具を上下着て走る。空気を通さないので夏だと蒸れるが冷えてきたのでちょうど良かった。
12キロ。アパートの門で、こんな雨でも走るの?という顔を守衛がしていた。
誰もいない工事中の羅山路。
話は飛んで、体も飛んで香港へ。7日ー9日は年に一度のTrailwalker.
参加できなかったが見に行った。大帽山を降りた郊野公園から逆に登る。
途中野良牛がたくさんいた。これをみるためにいったようなもの。
香港の野良?野生?の牛はどれも栄養が良くて毛艶がいい。
触ってみたくなる。
上の写真のように子供づれが多かった。ずっと見ていると子供を群れの中に入れて守ろうとする。あとは人間を気にしているふうでもない。
朝4時半から。長い日。
今回も新橋に泊まる。天気良く朝走りに出る。新橋、銀座、日本橋あたりは近接していて、走るとあっという間に回れる距離。オフィス街と飲食街が多くて7時前人が少ない。
ここは朝から人でいっぱいの築地。6時過ぎにはもう仕事をひと段落した様子でタバコをくゆらすおじさんも目立つ。
場外を中心に観光客(?)も多い。外人さんが目立つ。フランス語が聞こえる。
場外の店にはありとあらゆる食材を売っている。肉はもちろん、すっぽんみたいなものやら西洋食材やら中華食材。
「山猫」。「さわらないで」。こちらは漬物屋さんなので売り物ではなさそう。体調80cmくらいある大きな猫。
場外は食べ物屋が多く市場の人、観光の人がどんぶりや麺を食べている。それにしても朝6時過ぎににビール飲みながら寿司を食べているおばさんグループは何者?
築地から勝鬨橋で隅田川を渡り月島へ。もんじゃ焼きの店が軒をつらねる。
もんじゃは東京に来て存在を初めて知った。全然おいしいと思わず。今でも食べたいと思わない。
ここは地図を見ると島になっている。
こういう狭い路地が特徴的。この風情が好きで住んでいる人が多いと聞く。便利な場所ではある。
このコース。東京夢舞いマラソンのコースだ。夢舞いは42キロの娯楽マラソンだからこの辺でお好み焼きを食べながらビールを飲んでいるランナーもいた。
北上して佃島から慣親しんだ永代橋のほうへ。先に隅田川大橋、その先に清洲橋。「容疑者Xの献身」の舞台だ。
今日もなんとなく一日が始まる。
今日は隅田川の川鵜が多かった。
楓涇はこの一帯の鎮の中心地。だから古い店があるし、建物も立派。こんなお医者さんがあったりする。今でも営業しているようだ。
黙々と工芸品の手入れをしている人、蛙の佃煮を並べている人、農民画を書いている人。数人でただお茶を飲みながらしゃべっている人。いかにも田舎の風情がある。
三百園という昔の豪邸跡に入る。ここは有料で18元払う。有料なので人が少ない。団体の人が数人。団体なのでさっとみていなくなる。後は静か。
中庭に井戸があった。まだ水をたたえていて釣瓶がある。汲んでみたら冷たい。
同じく中庭にある置物。「天下第一籠」と書いてある。??人間用ベットくらいの長さのある籠の中に魚がひっくり返ってびっくり仰天している。魚は縁起物だとして奇抜な置物だ。はじめてみる趣向。
数棟ある2階建ての建物は展示室になっていて、昔の部屋とか、装飾とか、ありがちなものが置いてある。
展示館の一つ「百行館」。行=行業(仕事)の意味で、よろず職業の紹介。中には360物職業が紹介されている。主だったのはこうやって蝋人形が作られて聞いたことの無い説明がついている。これは屠殺人の元締め、張飛。張飛は屠殺人だったっけ?樊檜の方が似つかわしそうだが。
よくできた蝋人形。肉もリアルだ。
ところ代わり人民公社跡。こちらの有料、12元。見たところ狭そうでつまらなさそうだから門のところで逡巡。切符売り場に人もいない。少し中に入ってみていたら奥からおばさんが出てきて、「入るの?」と聞く。微笑を帯びてソフトにいわれたので、うん、とうなずく。中は人民公社というよりも文革系の展示が多い。「革命委員会好!」67年8月。
各省の革命委員会を詳述した地図が会議室にあった。人口が書いてあり、足してみたらちょうど7億人。ほぼ倍になったわけだ。
執務室内。そういえば昔ながらの中国のオフィスはこうやって机が向かい合って並んでいた。入ってゆくと、2人でしゃべっていたり、片方が留守のときもう片方に聞いても冷たくあしらわれたり。赤や緑プラスチックの魔法瓶が足元に置いてあった。いまどきこんな事務所はよほど田舎へ行かないとないだろう。
狭いと思ったら奥があり。入っていったらいきなり防空壕があった。当時の中国はアメリカともソ連とも不仲で有事体制だった。こんな田舎に立派な防空壕が。
中に入ると90度に交わるトンネルが数本あり総延長300mくらいはありそうだ。中国のどこの町にもあるのだろうか。
奥を見ると戦闘機と高射砲がデーンと座っている。朝鮮戦争で活躍したミグ15だと。今の戦闘機に比べると胴太でずんぐりしている。操縦席が小さく見える。
ソ連の技術導入で国産開発した、と説明にある。ホントかな?
奥の高射砲は高さ10mくらい。いかにも重そうだ。
建物の一つが「毛沢東像図博物館」毛沢東バッチの博物館だ。こんなものがあるとは。
この胸像の向こう。女の子の後ろは全部毛バッチ。この他、いろんなジャンルで、いろんな組織が作ったバッチがびっしりと展示してある。なんでももともとは土地の人の個人コレクションだとか。きっと中国にバッチコレクターが無数にいるのだろう。これは必見ものだ。
ハート型のバッチ?ラブではなくて忠誠心を現しているようだ。バッチに「忠」という字が書いてある。こんなものでも多種多様。
ところどこと裏返しになっていて、制作組織の名前が彫ってある。解放軍、学校、会社、様々な人たちが奇抜なものを作っている。中には急須や湯のみや皿まである。まさに神様だ。
帰りがけ、橋のところに人民旅社の看板が。「空調、淋浴、衛生設備完備」とある。看板古めかしいが新しいものでは?中国でレトロと言えばいまでは文革、人民公社になってしまうのか。
それにしても下でまどろむ農民っぽいおじさん。まさに人民旅社という様子。
楓涇を訪ねた。上海と杭州を結ぶ滬杭高速公路の途中に楓涇という出口がある。ちょうど上海市と浙江省の境くらい。水郷の古鎮だと聞いていた。
地下鉄一号線の錦江楽園で降りて楓梅専線で直通、と地図にあった。駅を降りてどこにバス停が?歩き回って、迷って、汗だく&あせる。何のことはない、駅のすぐ横に小さなバスターミナルがあった。
楓涇まで11元。車内でなく切符売り場で買う。知らずに車掌に金を出したら、「バスはすりが多いからそんなむやみに金を露出するもんじゃないよ」と注意された。
案内によると全行程56.6キロ。直通で高速道路で行くから45分で着いた。
終点の手前が楓涇古鎮の入口。終点はどこなんだろう?
10分ほど歩くと楓涇古鎮入口。ガイドブックで入場料50元とあり、切符売り場もちゃんとあるのだが誰もいないし、誰も金を払っていない。有料を諦めたみたいだ。
こういう、よくある風景。
他の水郷の里と違うのはまるきり人がいないこと。日曜でこんなに空いてていいの?料金取らない訳だ。
「楓涇三橋」の一つなんですが。手前の柵に十二支の彫刻があって。これは馬でなくて牛のようだ。牛かな。。
橋を越えると運河の向こう岸に。橋からぐるっとみるとすぐそこに普通の近代アパートがある。
橋からみた片方の風景。民家そのものだしちゃんと今でも住んでいる。商売していない店も多い。
昼少し前で食堂はお客さんでにぎわっている。ここはラーメン、点心屋さん。案外食べ物屋さんが少ない。あっても積極的に客を引くこともしない。この商売っ気の無い気質が閑古鳥を招いているのか?
地元料理のことを中国語で「土菜」という。土菜店もあるにはあるのだがどこもお客さんがいない。周荘、同里、西塘などいろいろあるがここは不人気な観光地のようだ。
路地の中を覗くと。普通の暮らしている。馬桶が入口に立てかけていあったり。まだ住んでいる。というところがこの町の価値を高めるところだろう。
練り菓子屋さんのおばさん。おばさんは失礼か。まだ20代半ばくらい。店の奥に子供がいた。彼女が切っているのが手前のお菓子。「茨実糕」。見てたら食べろ、と旦那さんが勧めるので試したらなかなかのもの。一本買う。8元。
味もそうだが、ご夫婦で押し付けがましくなく控えめに店を構えている。上海らしくない田舎の風情がある。
全体的に大人しい、声の小さい人が多い。いい感じだ。
廈門のゴルフ場にあった榕樹。「北国の春」の中国語版「榕樹下」の榕樹だ。と書いて初めて、榕樹は南の木だから「北国の春」とはぜんぜんそぐわないんだ、と気がついた。
榕樹は南の木。だが、香港、広東であまり見かけない。福建の木のイメージが強い。福州は榕樹が多いことで「榕城」の別名がある。見ての通り大木。直径1mくらいある。高さは低いとはいえ10mを超え、下にいると雨宿りにちょうどよい。南方の木なので生育が早くてすぐに大きくなる。それでもこんなに立派になるには100年以上はかかるだろう。
ゴルフ場は昔なんだったんだろう。こんな立派な榕樹があるのだからもしかしたら人家があったのかもしれない。村の人が涼んだ大木。この下で牛や人が寝そべっている様を想像してしまう。
昨日、今日と雨だ。今朝15キロ小雨の中を走った。本降りになったとき終われるように周回コースで。足の痛みは取れ他に気になるところもない。でもなんとなく気が乗らない。今日大阪湾の案内が届いた。
今朝廈門大学に向けて走った。思明路沿いの建物は変わらず。以前朝ヤギの乳を売っていた四つ角もあった。廈門大学は24時間門が開いている。「庭園大学」というぐらい広々した敷地の内部は変わらず。なかなか良いジョギングコースだったんだ、と改めて思った。
廈門から戻る。滞在中亜熱帯の蒸し暑さを浴びながら過ごした。3日ぶりに戻った上海が同じような蒸し暑い雨天だった。真夏がもうすぐに近づいている。早く来ないか。
廈門で旧知の人と少し話した。彼は地元で特に変わりなし。自分がセールスとして雇った3人は3人とも会社を辞めて自分で仕事をしている。早く辞めた人はいろいろな仕事をして儲けているそうだ。3人とも線が細そうだったが。会社の仕事でおぼえたスキルと人脈を生かして自分の会社を作った。
南方中国の人は手軽に独立して事業をする人が多い。もともと南の方は典型的な国有企業が少なく、お上に頼る気持ちが希薄。むしろ急に困ったことを言い出す厄介な存在、くらいに思っている。南方以外の中国は国有企業依存者が圧倒的に多かったから今でも同じ会社に勤めようという人が多い。
話を聞いていたら久々に3人に会ってみようか、という気になった。来年の廈門マラソンあたりか。
泊まったホテルにイベントの掲示が出ていた。「集体婚礼」見ると6組のカップルが同時に結婚式を挙げるようだ。こんなのはじめてみた。もしかしたら仲良し12人組がいて結婚するのかもしれない。同行者も新興宗教みたいだ、と首をひねっていた。
7日ー9日と今年から新設の端午節休暇で知り合いと廈門へ。主目的はゴルフ。廈門の知り合いに基本アレンジを頼んであとはこちらでやることとした。
廈門マラソンで今年1月来ているもののあの時は前日晩廈門入りし、翌日朝走り午後の飛行機で帰った。過去廈門マラソンはいつもこのパターンなので街の様子を見ていない。
昨日今日と中心街を何回も通った。街の基本構造が大きく変わっている。高架道路が空港から鷺江路の方へ通じているのは知っていたが、街の中も山に道を通したりして変わっている。
中国大陸で最初に住んだ土地がここ。愛着とか懐かしさとか、そういうものは特に感じないが、自分の今のスタートだったわけで、当時のことをいろいろ思い出した。一人できて会社を立ち上げてお客さんを開拓して、従業員を定着させ。というところでここを後にした。今思うともうすこしやりようもあったかと思うし、なによりも自分の力が当時弱かった。中国への理解も中国語も中途半端。あまり思い出したくないことも多々ある。そういう昔話をしても今の人は別に面白くないだろうし、話すべきことが思い出せない。廈門時代の話を人にすることはない。自分が悪戦苦闘していたときの物語をし始めるとどうしても脚色が入りやすいので余計気が進まない。
鼓浪嶼の鄭成功像高さ15mくらいの石像で台湾の方(?)を見て海辺に立っている。今回いってみたら入場料を取るようになってたが、夜19:30以降は係員が帰ってしまい、その後入るとタダ。臨海の江南八達嶺もそうだった。こういうところはおおらかでいい。
これ以外にも日光岩、博物館がライトアップされて対岸からよくみえる。島内の道はきれいに整備され、古い家がキチンと片付けられている。こうみるとなかなかの観光地だ。やはり手を入れないと古いものは見栄えがしない。
回りで聞こえる方言が耳慣れていて安心感があった。将来上海を離れてしばらく経って上海に来て上海語を聞いても安心感を感じないだろうと漠然と予想する。
熱が下がり、食欲が戻ったがまだ風邪は抜けきらず。今度は洟が出てきた。しつこい風邪だ。ゆっくり休みたいところだが週末また出かける。今日中に治さないと。
虹橋のまともな日本料理屋にお客さんを連れて行ったら好評だった。一人は10年近くカリフォルニアに住んでいた人で、向こうのアメリカ風日本料理とは全然違うね、といわれた。この店が日本風なのは天然だし使って薄味なところ。こういうのはなかなか外人に真似できない。
お勘定したら一人400元だった。お勧めなどふんだんに頼んだので多少高めだがこんなものだろう。日本円にして6000円くらい。日本のチェーン店の居酒屋の飲み代くらいか。日本だと会社の帰りに飲む時5000円くらいが目安だろう。1万円出して飲むとなると頻繁に行くことはできない。
反面上海でもこの値段になったか、という感は否めない。この物価高、あっという間に日本に追いつき追い越すだろう。香港の日本料理屋は今では日本と同じものを食べると日本の1.5倍くらいする。定食で1000円以上。それでも客が入る。それも地元のひとばかり。
3月26日開港した浦東空港第2ターミナル。第1と対称形になっていて外見は同じに見えるが中はこちらの方が広い。入口からカウンターのスペースが広いし、カウンター間も広い。動く歩道の幅も広かったりする。
10年前浦東空港ができたときいつになったらこの空港が埋まることやら、と思った。大体10年で埋まった。第2が埋まるのは5年後くらいだろうか。実際、上海は国際都市というわりに路線が少ない。国際便は隣の日本、韓国が中心で、東南アジア便も貧弱。便が増える潜在性は非常に高い。
昨日夕方熱も出て何もやる気せず。早く帰りお茶漬けとメロンを半分食べて19時に横になり本を読み始めたらすぐ寝てしまった。断続的にのどが痛くて目が覚めたり、トイレに行ったりしたが5時まで寝ていた。10時間ほど寝たことになる。ずいぶん汗をかいて、よく寝たから体は軽くなった。
早く起きたし、良くなったから走りに出る。まだ微熱があるが、動けないほどの熱でなければ走るのには支障ない。体が暖まり、走った後冷やさなければ大丈夫。ぐるっと14キロほど走る。気候がよく、風がないので走りやすい。思ったよりも気持ちよく走れた。走った後風邪のだるさと走った疲れで体がプワッとしてなんともいえない気分。
商丘の城壁以外の様子。商丘城壁は旧市街地なので周辺にいろいろな遺物がある。それらをまとめて観光公園にしている。堀が池と呼べるくらい大きく城壁南側に水をはさんでいろいろなものがある。
城壁南門から500mほどのところにある「張巡祠」。張巡という唐の時代の人が安史の乱の時反乱軍と戦って戦死したことを讃えた記念祠。これも一見して新しい。たいしたことなさそうなので入らず。
「八関齋」。やはり安史の乱で反乱軍を撃退した田神功(すごい名前だ!)の功績を讃える催しを行った時の顔真卿の筆を記念に石柱に彫って残したもの。できて1250年くらい経つ。六角形の柱にびっしりと書いてある。
顔真卿といえば習字のお手本の人だから字がうまいのは当然としても、思いのほかカチッとした楷書体。意味はよくわからないにしても漢字は活字みたいで読みやすい。と、顔真卿のことを調べてみると、彼の楷書体は型破りで賛否両論なのだそうだ。顔回の子孫でもあると。知らなかった。
南門ー張巡祠などへ行く歩道でおじさんが水書道をやっていた。水を含ませた筆で地面に字を書く。暇な人がみている。
よくわからないが達筆に見える。
露天の漢方薬売り場。それも得体の知れない薬材が並んでいる。見ての通り蛇、トカゲもあり。生きているように見えるが、全部干物、というかミイラというか。乾いている割には柔軟性がある。魚の干物の感じ。
右の方は植物系。おじさんが口上述べながら薬材を水に漬けたものを集まってきたおじいさん、おばあさんの肌に塗っている。飲み薬ではなくて塗り薬のようだ。関節炎に効く、といっている。重慶から来たとか。本日限りで明日はもう帰るとか。人がどんどん集まって繁盛している。
南門脇で人が集まり闘鶏をやっていた。賭けている風でもなく、目が血走る見世物ではないが、鶏同士のの戦いは真剣。どの鶏も羽が一部脱落している。細身で精悍。本来の雄鶏はこういう体形なのだろう。
白熱してくると飛び上がったりして攻撃。なかなか迫力がある。3分くらい戦うと勝敗が決し、戦意喪失した方が背中を向けて飼い主の方へ戻ってゆく。勝ったほうは更に追い討ちをかけてゆくが、こちらの飼い主がストップをかけて試合終了。じっと見ているとなかなか興奮する見世物だ。全部で5-6羽鶏がいて順繰りに休んでは戦っている。この日はちょうど日曜日で近所の人が自慢の鶏を持ち寄っている様子。
南門の上から見ていたらプラカードを持った隊列が。地震の募金呼びかけか?と思ってみると不動産屋の広告だった。「買房送房(家を買ったらもう一軒プレゼント?)」と書いてある。20人くらいの若い子たちがこれを持って黙々と歩いていた。北門に行ったら他の会社の隊列もみかけた。この街の流行のようだ。
城壁内には古い四合院があると観光案内にあったが標識がなくて見当たらない。あきらめて帰る。駅近くの商丘博物館に行こうとタクシーに乗ったら運転手に「取り壊されて無いよ」といわれた。仕方ないから早めに駅へ行き駅前をぶらぶら。そこそこの繁華街に見えるが、中国どこでもあるKFCやMacがない。まだこの辺までは来ていないか。
商丘ー太原とあるが、鄭州の先の新郷止まり。商丘始発だから早めに乗り始めて入ったらもう満員。列車が安いせいか若い人ばかりだ。鄭州まで200キロ。途中4回ほど停車し、そのたびにどんどん乗ってくる。途中から立席の人で身動き取れなくなった。
こちらは幸いに窓際の席だったので景色を見ながら行くが、座席が狭い。それでも地方の人は穏やかだから席や空場所を譲り合っている。大きな声をあげる人もいない。おばさんも大人しい。田舎にくるとこういうところは安心する。
2時間50分で鄭州着。駅前を一通りみて今度来るかもしれないし地図を買う。鄭州にくるのは15年ぶり。ずいぶん近代的になった。
タクシーで空港へ。空港が遠い。初乗り5元のタクシーで高速代込み82元だった。まだ改装中の鄭州飛行場は殺風景。定時に飛んで帰れた。今回も特に大きなアクシデントなく週末旅行ができた。
昨日15キロ、今朝9キロ。まだ夏ではなくて涼しいが、トレーナを着込んで走っているのでそこそこ汗をかく。真夏が待ち遠しい。
こんなふうにだらだら書いていたらなかなか商丘に着かない。ちょっとはしょって。徐州滞在時間短いので市内から出ずバスで中心部へ。ぶらぶら歩いていたら「戸部山古建築郡」があった。徐州の昔の山の手高級住宅街。これは崔家大院で立派な門だが、中は改築中。入ってみるとレンガが崩れている。人が住んでいる様子があるが、多分改装したら追い出されて入場料を取る施設になるのだろう。
日本語で表示のある看板「旅行苦情ホットライン」と正確な日本語。この他にも日本語表示が多くあり。観光に力を入れたい様子がわかる。ちょっと不便だ。三国志にでも興味がある人でないとなかなか徐州まで来ないだろう。
豪邸の一つが民族博物館になっている。入口からはわからないが、中には建物が折り重ねるようにあり、説明によると160もの部屋があるそうだ。山西省の喬家大院には規模で及ばないが、丘に建てられているので上り下りで広く感じる。
厨房。家としての施設が一通り並べてある。厨房も広く、竈は他にもあり。穀物を臼で挽く専用の部屋や書斎、祝い事の部屋、などなど。
よく、迷路のような、というが、ここは迷路そのもの。道が狭く、3次元の構造になっている。襲われた時のためにわざとわかりにくい、隠れやすい、また知らない人が逃げにくい構造にしているのではないか、と思ってしまう。
ここに住んでいたのは商人や官僚だそうで、官僚の権力を思い知る気がした。
近所で雪菜肉糸麺を食べる。店の看板には鎮江風と書いてあった。繁盛していたが味はたいしたこと無い田舎の調味料たっぷりのスープ。麺は蘇州麺よりも太い。
バスで駅前へ。中心汽車站から14時50分発商丘行きバスに乗る。36元。約160キロ。徐州ー商丘は高速道路が通っているから2時間くらいあれば着くか、と勝手に思って乗り込む。
走り出してわかったのは、これは長距離バスなのだが路線バスでもある。一般道である310号線を客を拾い、下ろしながら行く。道が悪い。特に徐州を出てから安徽省内はでこぼこで工事中で耕運機が多くて。しかも頻繁に乗り降りする。2時間たってもまだ半分も来ていない。
沿道はどこまでも平坦で地平線まで麦畑。ちょうど収穫期で刈り取り機がフル稼働中。終わったところで落穂ひろいしている人もいた。麦が終わり田植えをしている人も。天気が良いから農作業が盛ん。家畜はヤギばかり。牛も馬も羊も全然見なかった。車の脇をヤギが草を食んでおり、それをぼんやり見つめる人たち、という風景。
かとと思うと道の両側ずっとコンクリートブロックの小工場が並んでいるところもあった。土ぼこりが舞い上がり作業環境劣悪。このあたりは中国でも貧しい地域。貧困というよりも農業以外に産業がない、という感じ。みんな野外作業で日焼けしている。
途中安徽省碭山で大勢降りて大勢乗る。立っている人でびっしり。こちらは始発から座っているとはいえ狭い座席で疲れてきた。暑くてのども渇く。なかなか出発せず乗客が早く出せ、と怒り始める。
河南省に入り少し道がよくなってきた。スピードを出す。それでも街に近づき乗り降りが増えて進まない。隣の男がいきなりタバコを吸い始めた。もちろん禁煙だ。この日が「国際禁煙デー」だったことを思い出した。
19時10分。商丘到着。4時間以上かかった。翌日撮ったこの写真だと立派なバスターミナルだが到着は裏側でコンクリートむき出しの汚い駐車場。心配になった。
そろそろ暗くなり始め。とにかく宿を確保しないと。商丘華馳粤海大酒店へ。タクシーで10分もかからない。この街では上等の外資系。インターネットで予約し、FAXも送っていたが返事なし。フロントへいくとわかったわかった、と。部屋はある。見習いの女の子で要領が悪くなかなか部屋に入れない。急がないし、一生懸命やってはいるのでじっと待つ。やっと終わったらすまなさそうにしている。言い訳したりしない。地方の人は物静かだ。
荷物を置いてすぐにバスターミナルへ引き返す。翌日の商丘ー鄭州の交通を確保しないと。が、すでにバスターミナルは閉まっている。明日でもよいが、時間だけでも調べたい、不安。と向かいを見ると火車站があり開いている。時刻表をみるとちょうど良い12時18分発、15時12分鄭州着の列車がある。長い列に並んで買う。駅員は混雑対応でけんか腰。なんとか買ったら16元だった。200キロ以上あると思うと安いもんだ。翌日バス停でみたらバスは安いので45元、高いので60元。そのせいか列車には若い人が多かった。
駅前で簡単に食べてホテルへ。
楚王墓の200mほど西に「漢兵馬俑」があり、ここも博物館になっている。秦の兵馬俑が始皇帝の墓の副葬品だったように、楚王の副葬品として少しはなれたところに埋まっていた。
写真のような普通の服を着ている。戦闘服には見えないが。秦兵馬俑というとどうしてもあの甲冑姿の兵士が思い浮かぶ。そういうのではない。
秦兵馬俑と最大の違いは大きさ。写真で見るとわからないが、高さ50センチくらいしかない。お人形さん、というところ。周りで見ていた中国人観光客は「なんだ小さいな。と口々にいっていた」
こちらは兜らしいものをかぶっているので兵士かもしれない。それにしても秦のとくらべるとリアルではない。それぞれの表情も服装もだいたい似たようなもの。ただ数はやたらに多い。
まだ発掘中の部分。当然発掘されたばかりのときはこのようにばらばらになっていて、それを一つ一つ修復してゆく。大変な作業だ。作業チームの写真が博物館内にかかげてあったが、この仕事を始めたらかかりきりになってしまうだろう。
1984年に発見されたというが、まだ半分程度しか発掘が終わっていない。1.2.3号抗と4,5号抗100m以上はなれており、この他にもあるのかもしれない。
4,5号抗は池の中にあり。池の中に建物が立っていてそこには水がなく発掘現場になっている。もとものここには池がなかったのだろう。観光用に相当お金をかけたものとみられる。とにかく全て新しくて立派。ちょっとやりすぎかな。
4,5号には騎馬の像が多い。それも隊列を組んで並んでいる。騎馬なので人物の俑よりも大きい。ちょうど乗っている人のサイズが1,2,3号にいた人のサイズぐらい。
隊列を組んだ様子。60頭ほどの集団になっている。口が大きくて頭や首のわりに胴体が小さい。キャラクターデザインのようで若干ユーモラスな感じを醸している。
池の中の建物には兵馬俑の変遷、という展示コーナーもある。説明によると、兵馬俑は日本の埴輪みたいなもので、墳墓の副葬品。古代からあり、秦の始皇帝のものが飛びきり有名だが、実はほとんどの墓につき物だと。このように集団で見つかった例は中国でも始皇帝のを含めて4例だけ。ただ、ここのが楚王の副葬品であるように、秦漢時期の陵墓には必ずあったのではないか。とすると他にもたくさん地中に埋まっている可能性がある。
池の向こう側に「漢代文化交流中心」がある。売り物は漢代の「画像石」石に彫ったレリーフで拓本を採ると図柄がよくわかる。徐州はこの画像石で有名な場所。人物、動物、植物、儀式、仕事、幾何学模様、など。
かなり大胆で個性的なデフォルメがなされている。
こどもの画像、と書いてあった。上は子供というよりは道化か悪魔にみえる。 下は子供ではないだろう。龍か、なにかいわゆる怪獣のようだ。でもどちらもおかしみをたたえている。大体どれもこういうリアルではない図案になっている。
これは幅10mkらいある長い画像石の拓本。家と家族、家畜、農作業、狩りの様が描かれている。当時の風俗がよくわかる。見た感じ家はわらぶきのようだ。だぶっとした古代の服装。ただ、徐州の回りの農村の建物などみるといまでもこんなのがたくさんあるように思う。
4月来なんども計画して中止になった商丘を訪問した。商丘は7大城壁都市の一つ。河南省の東部で飛行機の直行便は無い。週末に行くので飛行機で、となると徐州が一番近そう。ところが上海ー徐州の朝、晩のフライトがすぐキャンセルになりなかなか行けず。今回行き5月31日は7:50発上海ー徐州。帰り6月1日が鄭州ー上海。徐州ー商丘ー鄭州は約400キロはバス、電車。いつも通り初めての街にいきあたりばったり。ちゃんと移動できるか?
朝6時半虹橋空港につくともう人多し。FM9241は定時に乗り込む。バスで。???バスががらがら。乗客を勘定すると30人もいない。キャンセルになるわけだ。50分のフライトは3人掛けの椅子をみんな一人で座ってゆく。
徐州空港は見ての通り、麦畑の真ん中なにもない。「徐州、徐州。。。」で有名な「麦と兵隊」そのもの。ここがまた市街地から遠く、45キロくらいある。がらんとした空港前に市内行きバス。20元也。
途中は退屈な農村風景。麦麦麦。。。9:45バスは徐州駅着。電車の駅と長距離バスの駅が一緒になっている。
とりあえずその辺をぶらっと見て回る。バスの客引きが多い。宿の勧誘も。
駅前大通りの大きな垂れ幕。徐州特産。の下に「狗肉」とある。徐州は狗肉で有名なのか?
徐州の隣町、沛県出身の劉邦の武将の樊噲は狗の屠殺業者だった、というのを思い出した。もちろん食べてみたいと思わないが。
徐州ー商丘のバス時間を聞いたら14:50があるが前売りして後できてくれ、といわれた。
歴史の街徐州なので見所はたくさんある。時間が無いので近場へ。市街地南にある楚王陵へ。
入場料全部通しで60元。入口にこの墓の主人公、楚王を模した巨大な銅像が建っている。しかし、この墓の主が誰なのか判明してないそうだ。
小高い丘の中腹の畑から発掘された陵墓で、深さ30m以上ある。途中からこんな風な横穴になっていて左右に小部屋がたくさんある。
土曜日とて団体の観光客がそこそこいてガイドが説明している。
外は日が強いが中はひんやり。
部屋から土器もたくさんみつかっている。この甕、高さ60センチくらい。形といい大きさといい、その辺で見かける紹興酒の甕にそっくりだ。2000年も変わらないということはそれだけこの甕が便利だということなのだろう。
こちらは現代では見られなくなったデザインの甕、壷など。横たわっている長いのは槍や矛。一通りの生活必要品が眠っている。何万枚という銅銭が錆びて固まっている部屋もあった。
玄室にあった玉衣。埋葬者は玉を縫い合わせた服を着ていた。この時代によくあることのようだ。昔歴史の本で見た劉勝の墓からも玉衣が発掘されている。
一番奥にある復元された埋葬者の銅像。30代の半ばで、172センチと当時としては小さくない。締まって精悍な顔をしている。ちょっと格好良すぎるか。
「天一堂」を出てすぐのところ、上塘という池をぐるっと囲んで古い商店街になっている。今では土産物屋や観光客向け食堂がほとんどだが、昔から地場の人向けに商店が並んでいたらしい。ざっと見てその数20数軒。
「元XX屋」という風に説明をしてある店もある。全て木造2階建の古い建物で天井が高い。
酥餅屋のおじさんが声を張り上げている他はみな客を引く風もない。
脇に腰をかけて酥餅を食べる。観光客以外にも通行人がいて、飲食店でトランプしている人たちもいる。ここは村の社交場でもあるようだ。
洗濯している人をみる。池の水はそうきれいではないがのぞくと小魚がたくさんいる。洗濯は洗剤の泡がほとんどなく、棒切れで生地を叩いてはゆすぐ、というやり方で根気良くやっていた。
池端にある「永康銅錫店」金物屋。壁に立てかけてあるのが店のシャッター。幅30-40センチくらいの木の板を間入口の溝にはめ込んでふさぐ。日本でもこういう雨戸みたいなのがある。このあたり風俗の類似を感じる。
小雨が降ってきた。露天は手際よくパラソルを広げる。
漢方薬店「寿春堂」。今も店として営業している。中にはいると広くて暗い。店か?と思うがらんとした建物の奥に行くと店員の女の子がいて漢方薬やお茶を売っている。例により商売っ気が無い。
ここも立派なつくりだがそろそろ飽きてきた。さっと通り抜けて路地を登る。
ガラスケースに入った薬草。名前と効能が書いてある。広間2つにずらりと並んでいて、ざっとみたところ500種類くらいあろうか。これはすごい。憶えるのが大変だ。張無忌も良く暗記したものだ。見ているとごく普通のその辺の草木の名前も多い。
このオオトカゲと猿も漢方の薬材。XXに効く、とあるが、今では保護動物なので捕獲禁止、とも書いてある。
動物薬材コーナーにもところ狭しと剥製が並んでいる。このあたりは温暖な山中なので薬材も豊富そうだ。こんなものばかりだと薬代は決して安くない。時代劇に薬代を工面するために苦労するシーンがよく出てくる。
少し路地を登った奥にある「雍睦堂」。約500年の歴史を持つ屋敷で、今は人が住んでおらず、諸葛一族のうち学問で名を挙げた人たちを顕彰している。これまた立派な門構え。「進士」と書いてある。
諸葛一族元代にここに移転いてから学問に励み、明、清代で進士5人、挙人12人、貢人43人、と説明にある。この小さな村から。
進士及第の人たちの功績を讃えてそれぞれ蝋人形まで作られてひととなりの説明がある。これは合格の使者が吉報を知らせている様。家までわざわざ使者がくるとはしらなかった。
他には勉強している様、貧窮の中苦労している様、などの蝋人形がある。
「雍睦堂」入口に子供達が遊んでいた。通り過ぎると写真を撮ってくれ、といわれた。どこでも子供に写真をねだられる。声を掛けやすいのか。
おそろいの双子の男の子は小さすぎるからポーズがまだ下手。ピンクの女の子がリーダーだった。どこにいっても元気な中国の田舎の子達。
通りに面した立派な門構え。こういう豪邸が20箇所くらいある。この家は閉まっているから住んでいるようだ。
大体見たから戻ることとする。
来た道と逆、上塘の向こうから諸葛像の方へ歩いて降りてゆく。商店街になっている。銀行や電話局や郵便局。地方の村も最近は一通り備えている。「諸葛家電城」。うーむ。諸葛亮がテレビをみているところを想像し違和感を感じる。
まだ11時半。像のところで一休みしてどうするか考える。ここから新葉村という古村落まで近そうだから行きたいが、バスが出そうになる。多分バイクに乗っても10分くらいの距離だと思うが帰りを考えて躊躇。結局戻ることとする。
来た時と同じく蘭渓へ。40分で蘭渓西站着。火車站まで一番線バスで3駅。ここで金華行きに乗った。
時間があるから来るとき見た地下長河に寄ってゆこう、と地下長河、と車掌にいったら金華行きの料金を取った。おかしいなと思いつつ乗ったら、このバスは南回りの幹線道路を走り、地下長河を経由しない路線だった。時間は10分ほど早く、宿の168のそば、金華南站到着。
鐘池の辺、村の真ん中にある中心的建物の一つ「大公堂」毎年旧暦4月14日(諸葛亮の誕生日)に一族が集まって例祭を行う場所。創建は元代というから700年以上前。今の建物は見たところ2-300年前というところ。
「武」と「忠」を大書してある(諸葛亮の諡号が「武忠侯」とのこと)。こは江南唯一の武侯祠だそうだ。
観光客が大勢。
内部は例により豪華な木造建築。奥の「大公堂」扁額の下にこんなことが書いてある。
「夫君子之行静以修身倹以養徳非滄浪無以明志非無静無以致達夫学須静也才須学也非学無以広才非志無以成学渓慢則不能礪精倹躁則不能治性年興時馳意興日去 遂成枯落多不接世悲守窮廬将復何及」
よくわからないが、静修して好学して志を持たないと結局没落して後悔しても及ばない、というような意味なのだろう。昔の人は句読点無しでよく文章を読めたものだ。
大公堂一番奥にある諸葛亮像第五十一世諸葛衛さんが1992年に描いた、と下に書いてある。
吉川英治の三国志だったか、他の歴史書だったか忘れたが、諸葛亮に初めて会った人が、予想と違って普通の、平凡な外見だったのでむしろ驚いた、という話を読んだことがある。
この絵は立派な立像。
大公堂隣の民家。ここも立派な彫刻が施された柱と太い梁が目に付く。残念ながらこれらの公開されている家屋は人が住んでいないから照明がなくて暗い。細かい造作を見たいが懐中電灯など持って来ていないので外に面したところしか見えない。
路地の家は観光客に煩わされないように戸を閉ざしているところも多い。
各家の扉に対聯が貼ってある。ここは、
「出師表著君臣節 誠子書伝天地心」とある。諸葛家の一員であることを誇る内容で各戸異なる対聯になっている。家のつくりからみて基本は皆農業とみられる。
清のころから諸葛家は漢方医学、薬学で名を成した人が多いらしい。
「天一堂」は広い屋敷に医学、薬学の展示がある。
これは魚池。名前の通り魚が泳いでいる。
その隣が蛇池。薬材用の蛇を飼っていた池。ざっとみて見当たらなかったが、蛙が放してあるところをみると草の陰に隠れているのか。
立ち寄る皆さん興味津々に覗くが見つからない。
蛇池の横の厨房のような建物があり、中で薬膳風の調理をしていた。入ると食べさせてくれるようだ。
例により立派な建物。2階に上る階段が急で、高い。
天一堂は130年ほど前の第47代が創立した薬屋の建物で、浙江一帯では有数の老舗とのこと。今はもう営業していない。こういうのを見ると村はかなり羽振りが良かったのではないかと想像される。
天一堂を出たところで酥餅を売っていた。「諸葛酥餅」と銘打ってその場で焼いている。これは直径5センチくらい。少し腹が減ったから買って食べる。中に干菜がはいっていて甘くないどころか少し辛味がある。包子的。出来立てのまだ熱いのはなかなか普段食べられない。温かいと生地がおいしいと初めて知った。
酥餅は金華の名物でもあり、金華市街地いたるところに酥餅店がある。
今朝も霧雨。18キロほど走る。霧が眼鏡に張り付いて走りにくい。その分街行く人がまばらで自転車が少ないのはよろしい。
霧で5時過ぎだとまだ暗い。上海は春、という季節がない。まだ寒いな、という日々から急に5月にはいると30度近くになったりする。今は夏がじっと息を潜めている、という時期。
諸葛村の続きは後にして金華で感じたこと。
蘭渓でバスから葬式を3件みた。いずれも白い孝衣(喪服)を着て頭巾を被り、行進していた。1件はなんと大げさでなく車50台くらい連ねて先頭には笛太鼓の楽隊が乗ったトラック。とくればこれは台湾式ではないか?
上海あたりでは葬式は非常に簡素でみんな集まって頭を下げるだけ。ここ数十年でそうなったと考えている。この地方では葬式が盛ん。以前の廈門でも葬式パレードは見なかった。最近復活したのかもしれない。
金華の街を歩いていたらぽつんと小さな葬儀屋があった。花輪は日本のとよく似ている。寿衣は喪服。貸衣装のようだ。
金華汽車西站近くの地下道に落書きが一杯あった。例により、落書きのデザインは日本とにている。スプレーで書くと制限があるからか。この国は人が多いからいたずらしているとすぐにみつかる。こんなにたくさん落書きがあるのは珍しい。
この人の顔。高さ2m以上ある力作。看板書きとか、ラッピングバスを書く人とか、そういう人たちが書いたのか。などと思った。
4月20日日曜。5時に起きて、来る時バスから見えた義烏江南岸までいって走る。なかなか良いジョギングコースだ。広さは普通の道だが、車止めがあり自動車進入禁止。東西どちらもずっと続いている。散歩、走っている人が多い。8キロほど走る。20度を超えていて汗をかく。上海から400キロほど南なだけだがかなり気候が違う。
ホテルは7時朝食開始だから食べずに出ようと6時半チェックアウトしたらもう開いた。10人くらいの家族連れが開門を待って入る。純中国風おかゆや包子などの朝食。「食べるだけとりなさい。とりすぎて無駄にしないように」とお父さんが子供にしきりにいっている。
今日の目的地、諸葛村に行くにはまず金華からバスで蘭渓市へ。蘭渓から乗換えて諸葛村へ。前日偵察したら金華西站朝7時20分発蘭渓行きがある。余裕を持つために早めにでることに。ホテルからタクシーで西站着。8元(初乗り6元)蘭渓まで9.5元と安い。
後でわかったのだが、金華ー蘭渓行バスルートは2つ、西站:北回りと南站:南回りがある。北回りは浙江師範大学、双同、セメント工場群、地下長河を通って狭い旧街道を行く。南回りは新街道を行く。帰りこちらできたら行きより10分くらい早かったが、景色は単調。
北回りで45分。乗客は短距離を乗ったり降りたり。蘭渓火車站が終点だった。ここから諸葛村へ行くバスが出る蘭渓西站まですぐ近くのようだが、タクシーに乗る。初乗り4元。これがバス。「諸葛八卦村旅遊専線」とある。8時15分の切符4元を買い乗る。乗客一人?と思ったら出発してすぐ道端で客を募る。10分でほぼ満員になって出発。
道中平坦な農村地帯。
停留所脇に巨大な諸葛亮の石像。高さ10mくらいあろうか。
この後ろの坂道を登ると歩いて10分ほどで諸葛村に着く。帰りはそちらから来たが、ついてすぐわからないのでバイクタクシーに。5元という。諸葛八卦村の表示はバスで見えたし、歩いても遠くないのに。案の定すぐついた。
バイクを降りたところが切符売り場。ちょっと前発行の現地の旅行案内には各施設入場券全部で40元、とあったが、この日58元まで値上がりしていた。脇には駐車場があり大型バスが並んでいる。立派な観光地と化している。蘭渓の街の中にもこの村を宣伝する看板をあちこちでみかけた。
見所に行く途中はこうして土産物屋になっている。ただ、まだまだ遠慮がちで客を引いたりしない。おとなしく座って待っている。天台山の土産物屋も行儀良かった。似た雰囲気。
この村には諸葛さんが4000人もいるとか。全村民は4500人くらいとか。
八卦村、八卦村とどういうことかと思っていったら、村の道が八卦陣の形をしている、ということだった。左の図は入場券の裏側の簡易図。真ん中に鐘池があり、そこから円形に村を取り巻く道に8本の道が通じている。鐘池の形をよくみると巴の陰陽太極の形をしている。
映画や武侠小説によく八卦陣が出てくる。敵を迎え撃つ八卦陣で混乱させる。実際、この村も道が入り組んで起伏があるのでわかりづらい。観光順路の矢印が無いと歩けない。
順路の最初は「丞相祠堂」。諸葛氏の宗祠で先祖を祭る場所。中にはここ、隆中諸葛氏代々の偉人が祭られている。ここに移ったのは元代とのことだが、その前の人たちも紹介されている。
建物は明に万暦年間というから450年ほど前にもの。木造3階建てほどの大きさで、地方有力者の当時の力がわかるというもの。
土台は土や石だが建物は木造。このように木組みや柱に立派な彫刻が施してある。こんなのがいたるところにある。
ずいぶん高いところにあり、これは門の彫刻だからまだよくわかるが、屋内のは天井が高くてよく見えない。
どの建物にもこういう木の装飾がしてある。
村内あちこちで写生をしている学生風の人たちがいる。みたところ土地の人ではなさそう。最初古文物保護のために模様を写し取っているのかと思ったが、外で建物を書いている人もいるのでそうでもないか。とにかく黙々と書いている。観光客が覗き込んでも気にしていない。
「丞相祠堂」のいわばご本尊。諸葛亮(孔明)この像は新しそうだ。両脇に像を従えているが、その人たちの名前は書いてない。
横の方には諸葛膽、諸葛尚の像がある。普通知っているのはここまで。直系子孫が生き残っているとは知らなかった。てっきり呉の諸葛謹とかの子孫だと思っていた。
八卦陣の道(?)に沿って歩いてゆく。中は普通の江南の街だが、大きな建物が多い。ほとんどの家は扉をしめて観光客は入ってこないようにしているが、窓から中をみると普通に暮らしているようだ。
路地の突き当たり、鐘池のほとりに壁があり、八卦陣の幾何学模様が。この壁も絵も古そう。こういうものは文革の時に壊されてしまったりしたのが多い。さすがに先祖代々の結束で守ったのだろう。
鐘池とその脇の家。それをスケッチする学生さん。遠くに池で洗濯する人。なかなか絵になる光景だ。
学生さんはまだ絵の描き始め。この複雑な建物をどうやって書いてゆくのか見ていたかった。が、ぽつぽつ雨も降り出して先を急ぐ。
池の端に空き家があり開放されていたので入る。2階建てでとにかく天井が高い。5mくらいある。階段が2つの部分に分かれてい手折り返して登る。
例によって立派な彫刻。これをみているだけで飽きない。木の古さからして200年は経っているように見える。ここはどこの誰の家、などと書いてはいない。
保寧門から細い路地を登ると「太平天国侍王府」。侍王とは聞かない名前だが、説明によると本名李世賢、忠王李秀成のいとこで洪秀全が1851年に太平天国を挙兵したとき17歳で参加した武将とのこと。連戦連勝の戦功目覚しく、1856年22歳の時侍王に封じられている。
その李世賢の末期に金華を攻略しここを拠点として一時浙江全域を支配下に。侍王が建造した王宮兼執務場所が「侍王府」。150年くらい前の建築。その後侍王転戦中に太平天国首都の南京が陥落。交戦しながら南へ逃げてゆく。だからここは戦場にならなかったせいだろう。建物がそっくり残っている。多分現地での評判が良かったのだろう。
入場料16元と中途半端。王宮というより寺院風の広々した庭園。下手な庭園よりもよほど手入れされている。外からみるよりも中ははるかに広大。入った時間が遅く見物客がまばら。入ったのは16時前。17時までだからまだ時間はまだある。話好きな守衛がいて、ここをゆっくりみるならもう少し早くこないと、といっていくつか説明してくれた。
侍王李世賢の像。前のガラスケース、侍王府の1:120模型の後ろになっているがほぼ実物大の金銅像。後ろの旗は太平天国末期に侍王が天王警護の禁軍を任された時の旗という。まだ20代の始め。やはり起義の最初から付き従った人が信頼できるのだろう。それにしても。挙兵が17歳、死んだのが31歳。昔の人は疾風怒濤の人生を生きたものだ。
この模型でみる侍王府は敷地が大きい割りに建物が少ない。庭園のようだ。
臨海、天台でもそうだったが、建物は基本的に木造。浙江省は木材を使う建物が多くて日本との類似を強く感じる。同じ江南でも江蘇は木造建築が皆無。みなレンガに土壁だ。気候の問題もあるのかもしれない。このあたりは長江流域よりも暑い。
組木に彫刻がしてある。王を象徴する龍が多い。これをゆっくり見ていると時間がかかる。人がいないから鑑賞するにちょうどよい。
天王洪秀全。この人の事跡は日本でそれほど有名ではない。物語にでてきたりしない。自分も通り一遍のことしか知らない。共産党史観では封建体制に抵抗して立ち上がった農民階級、という捕らえ方で、当初施行しようとした天朝田圃制度は一種原始共産主義なので悪くは言われていない。しかし、それもキリスト教を元にした一神教宗教が思想の中心であることは手放しで中国政府が礼賛できない理由になっているのだろう。
敷地が広い。裏庭にある対の鐘の一つ。鐘に皇帝万歳、と彫ってある。皇帝とは天王のことか。上の怪獣。龍ともなんともつかない見たことのない不恰好な動物。裏側は庭になっておりきれいに植物が植えられている。とにかく全体に手入れが良い。街のシンボルの一つ、という様子。
中庭にある1000年柏の木。1109年前に植えられた、という記録が歴史書にあるそうで。この場所は昔から官衙だったようだ。一対の老柏は太さが違うが共に傾いていてコンクリートで建物を貫いて大胆に支えがしてある。全国10大古木の一つに数えられる、と説明にある。
龍のレリーフ。入口の壁にはめこまれていたもの。直径1.2m。龍の顔といい、うろこなどといいよくできていて、国家1級文物だという。そうかな。照明が暗いせいもありそれほど感銘を受けなかった。もう少し展示を工夫した方がよさそう。
これは盗難を恐れた校長が80年くらい前に隠していたために残った、という逸話が説明にある。
廊下に武器がずらっと並んでいる。どれも長さ3m以上あり重そう。こんなので戦ったら武術を発揮する暇などなさそう。右側の三叉の槍など日本にはなかった武器。歩兵は大変だ。これだけ柄が長いと集団で前を向いて突進するしかないだろう。孤立して間合いの中に入られたら全く用をなさない。そういう意味では個々の戦闘能力よりも用兵の方が重要だったはずだ。
16時45分ごろ出たらもう入口を閉めて切符売りのおばさんが荷物を持って客が帰るのを待っていた。
侍王府裏からバスでホテルへ。ホテルは川を渡って市政府などがある新開発地区の莫泰(MOTEL)168。
朝食付で158元の部屋に泊まった。広いし清潔だしこれで十分。狭い廉価版のQQ房は78元ー99元と更に安い。こちらでも日本のビジネスホテルよりも広い。この莫泰は既存ホテルを改装したようだ。壁が薄くて隣の子供が泣いているのが聞こえた。
ホテルの前はずらっと屋台街。18時過ぎて店が忙しくなってきている。適当に何か食べようと一通り見て回る。麺が多い。あとは揚げ物、焼餅類、西方風串焼き肉。麺はずらっと具が皿に並んでいて自分で選んでかごに入れて持っていくとと茹でてくれる。
一人で凝ったものを食べる気がしない。一人旅の時は屋台や街中の大衆食堂で食べることがほとんど。
自助式麺を食べた。ほうれん草、サラダ菜、魚丸、いかだんご、キノコ2種類、きくらげ、湯葉、鶉の卵を入れて6.5元。麺は平べったいの。麺と具は良いがスープが駄目。化学調味料が強い。でもそんなことで今更文句もいわず食べる。こういう屋台で食べない方が良い、といわれるが、みたところどの店も清潔。具もきれいに洗っていある。いままでこの手のもので当たったことないから気にしない。
夜遅くまで屋台街がにぎわっていた。ワーワーいっているから目が覚めたら3時だった。このあたりも、やはり江蘇よりも南方、福建の気風が強いことを感じさせる。福建、台湾は温暖で屋台も夜遅いくまでやっている。
金庸(1923~)の本名は査良鏞(鏞は古代の楽器だそうだ)。ここ、海寧袁花鎮で生まれた。海寧市中心から袁花鎮まで20キロくらい。昔でも馬に乗れば1時間そこそこでついただろうからそう遠くない。
海寧繁華街の聯華大廈前にはタクシーが行列。人相のよさそうな運転手を選んで乗る。若くて感じの良い運ちゃんだが、「金庸旧居?長い間運転手やってるけど聞いたことないな」という。とりあえずここ、ここ、と地図を見せて、袁花まで行く。途中高速ではないが新しい広い自動車道。車少なく、信号少なく、袁花鎮まで30分もかからず着いた。このあたりは太陽能(太陽エネルギー)の看板を出した工場が軒を連ねている。太陽光発電のようだ。
沿道をみると菜の花畑の黄色がどこまでも続く。
海寧市街から出たらすぐに民兵詰め所みたいなのがありタクシーを停める。制服を着た男が「身分証を見せろ」という。バス旅行で日帰りだからパスポートを持っていない。「無い」というと、「免許は?その他無いか?」という。やはり無い、と答えると、「どこから来た」というから、上海、と答えたら行ってもよいという。運ちゃんによるとこの辺、タクシー客を登録するのだという。こんなの初めてだ。外国人、といったらどうなったのだろうか?
袁花鎮に入り地元のタクシーに聞くと、道を教えてくれた。しかし。ここから手間取る。聞いた通りに走ると「金庸旧居」の小さい看板が。その後さっぱり標識がなく迷い。農道に入って行き止まりの工場で守衛さんに運転手が訊ねる。ところが、守衛は聞いたことがないという。かれこれ10分くらい地図を持って問答したが駄目。しかたなく引き返すと自転車の 女子中学生風が2人。2人は「すぐそこだ」と丁寧に教えてくれた。
工場が点在するまっ平らな畑の真ん中にひっそりとあった。これは見つかりにくい。看板が出ていない。タクシー70元。
入場料取らず。管理人見当たらず。新しい建物。10年ほど前に地元の政府が建てた、と説明にある。間取り図がある。全1100m、約350坪。こんな田舎にしてはそれほど広くない。
着いた時他の訪問者がいない。タクシーの運転手に待っていてもらう。
間取りをみるとよくある中国式の家で、客間、書院、寝室、厨房など一通り。左上の小屋は蔵書楼。
金庸が愛読した「二十三剣客図」が壁画にある。特別な遺物があるわけではなく複製と写真、説明のパネルばかり。中国にありがちな新しい観光施設だ。
海寧の査氏は「唐宋以来巨族、江南有数人家」として鳴り響いた名家。展示してあった家系図の解説によると、海寧査氏の先祖は元末の戦乱を避け皖南の婺源西鳳山(黄山の南で今は江西省)から移った。当時この土地は龍山と呼ばれており、「鳳龍之合」で縁起がよく、気候も温暖でここ居を定めたと。
まさしく江南らしい水郷の郷で海も近く、街道、運河の要衝嘉興に近く、という場所。
査氏一族は清代最も繁栄。金庸以外で自分が知っていた唯一の人、文字の獄の査嗣庭など進士を輩出している。
昔の家を模してある展示。竈に絵が描いてある。このあたり、今でも旧式のこういう竈が残っているかもしれない、と思わせるたたずまい。
見ていたら急に高校生くらいの生徒がわんさかやってきた。地元の子供が大人に連れられて見学に来たところ。さきほど道を聞いたら子供が知っていて、守衛さんが知らないのがわかる。
寝室に「金庸出生地」と看板が出ている。ここだけガラスで仕切って入れないようになっているから本物かもしれない。中には中国式カーテンのあるベッド。昔のベッドを今見ると本当に小さい。みんな身長が低かったのだろう。
そういえば地元の査一族が今どうしているかの説明がない。没落したのか。
著作説明コーナーにあった作品出版履歴。金庸作品に関する本は多いが、こういう校訂を解説したが少なく、ほとんどは感想や本文中の典故の出展、解説。
こうやってみると1956年ー63年に集中的に書かれている。もう50年も前のことだ。修訂とは単行本出版のことだろう。新聞連載から15年ー20年経っている。相当加筆修正したはず。
「笑傲江湖」が1967年-69年の掲載、というのが目を引く。あの時代だからあのストーリーとなったのか、あの時代に抗議するために書いたのか。
見終わって外へ出ると15時20分。天気が良くなって一面の菜の花が鮮やかに遠くまで見える。こういうところで生まれ育ち、戦乱がなければさぞかしのんびりと暮らせたことだろう。
建物自体は新しい。見るべき価値はない。ただ、処女作「書剣恩仇録」から舞台となった金庸の故郷を一度見て物語を見る幅が広がった気がする。狄雲のモデルもここにいた。
待っていた運転手「観光地ならもっと看板出すべきだ」などというが、語り口がソフトで、粗雑なところがない。帰り道地元の紹介をいろいろしてくれる。この辺ならば海塩か桐郷のほうが見所はあると。上海から日帰りだと観きれないから今度は一泊で来たほうがよいと。帰りは30分で客運中心着。54元。往復で124元も稼いだから今日はもう帰りそうだった。
16時20分発上海行バスは一杯。フランス語3人女とまた一緒ですぐ後ろに座った。またもや上海までしゃべり続け。よく話すことがあるものだ。18時10分上海南駅着。
日曜海寧へ行ってきた。海寧は「観潮」、中秋に銭塘江の川の水が逆流する、奇景を見物する場所として有名。ただ、これは海寧市中心ではなく海塩という海辺の町が名所。その他特に見所を知らない。ガイドブックにも記載が無い。
けれども、ここは金庸の生地で、「書剣恩仇録」で重要な意味を持つ陳家のあった場所。近いからとりあえず一度行っておこうと。
海寧は上海から行くと杭州の手前。大嘉興市の下にある二級都市。こうしてみると「射鵰英雄伝」のスタートは臨安、嘉興と海寧の近所だったことに改めて気がつく。
例により上海南站の長距離バスターミナルへ。実は前日まではもっと遠く、金華あたりまで行こうと思っていたが天気もすぐれないし朝になって気が変わった。9時10分発のバスに乗る。51元。石油高でバス代もどんどん値上がりしている。1年前はこの距離だと40元しなかったのでは。
バスはがらがら。35人乗りで13人しかいない。フランス語を話す3人組み女性が道中ずっとしゃべりまくっていた。一人は見た目フランス人(鼻がでかい)。一人は若い中国人お姉さん。この人はもちろん中国語で席を確かめたりしていたが、フランス語がすごく達者(にみえた)。帰国子女だろう。
滬杭高速途中は特に何も無く、1時間45分で海寧客運中心(バスターミナル)着。最近の地方都市の流行で郊外にある新しく大きなターミナル。降りると市内行きバス停がありいろんなところに出ている。この時点で右も左もわからないからとりあえず旧市街へいくことに。旧市街は普通列車駅のあたりだから火車站行きの5番、6番、K15にどれかを待つ。と、6番が最初に来たので乗る。
たくさんバス停があるように見えるが間隔が短いので20分ほどで終点、火車站へ。途中、中医院あたりから市街地になる。
海寧火車站。古い小さな駅。上海行きの列車が多い。上海ならば列車のほうが便利そうだ。聞いたら新幹線型だと45分だそうだ。
駅前は何もなし。この街は中国にしては人が少ない。駅前も閑散としている観がある。売店で地図を買い海寧の街を研究する。
さほど見所は多くなさそう。とりあえずはバスから見えた西山を見に行くことにする。街中には三輪自転車タクシー、オート三輪タクシーが多い。浙江省にしては貧相な気がする。このオート三輪のようにぼろぼろなのが多い。「発展号」と書いてあるのがおかしい。
タクシーそのものもそこそこ走っている。
昼時になったので西山の下でラーメン屋に入る。西塘風ラーメン。普通の蘇州麺屋だ。「咸菜春笋肉絲麺」を頼む。9元。小麦粉製品の値上がりも激しい。湯気でぼけているが味は鳥味スープであっさりして悪くない。麺は蘇州麺なので卵が入っておらず滑らかさはないものの固ゆででこしがある。分量も多すぎずちょうど良かった。
西山へゆく。
公園は市街地の中心部にあり7-80mくらいの小さな丘になっている。
入口近くにある白居易(?)の銅像。公園の案内には白居易像と矢印があったが、銅像の前には何も書いてない。園内を見ているうちに、白居易が「登西山望硤石湖詩」と題する詩を残している、あった。そのためにこの銅像を建てたようだ。
どっちが白居易だろう。2人とも痩せている。
公園内は森になっていて若いカップルと親子連れが多い。
このおじいさんは子供連れで散歩、ではなくて物乞いをしている。左手のお椀を差し出して金をくれ、と。街中で物乞いをたくさんみかけた。浙江省あたりでは珍しいことだ。政府が取り締まっていないのだろう。
文学者徐志摩(1897-1931)の墓。ここの出身。徐志摩は近代中国の有名な詩人。芸術至上的で共産革命に批判的だったらしいが共産党政権で讃えられている。廈門にいたときの中国語の先生がテキストに使ったことがあるがほとんど忘れた。
墓碑によると碑が建てられたのは1946年。日中戦争後に国民党政権が立てたもののようだ。60年前のものなので古めかしい。この多くの花束をみると依然土地では尊敬されていることがわかる。
海寧出身の文学者には他に王国維もいる。王国維は人民日報が2006年行った「国学者投票」でNo.1だったそうで、甲骨文、金石文、考証学などで先駆的実績を挙げている。一般にはなじみがないだろうが、小さいころ読んだ貝塚茂樹とか宮崎市定とかの中国古代史の本に出てきた人。なつかしい。
大鷲の像。いわれがあるのだろうが説明がないのでわからず。6人くらいの女の子たちが写真を撮っていた。なかなか終わらないので女の子も一緒に撮る。かなり大きい鷲。山の中腹にあるので目立たない。もう少し広いところにしてあげないと鷲もかわいそうだ。
西山頂上にある紫微閣。新しい建物。高さ30mくらい。入場料3元。ここから海寧が一望できるだろうがいかんせんこの日は霧がかかっている。遠くが全く見えない。
西山と対になる東山はさほど遠くないはずだがかすんでてっぺんの塔がかすかに見えるだけ。
お寺のある方に降りる。
山腹にある広福寺。小さな寺だが創建は唐代と古いものだと説明に書いてある。参拝者は若い人が多い。ここでも寺への上り口に物乞いの人が3人いた。3人で暇そうにしゃべって人が来るとお椀を差し出す。あまり良い気分はしない。
広福寺から恵力寺へ降りる途中にある看板。迷信を排除し、占い行為を取り締まる。見つけたら警察へ通報、云々。とある。が、この通りにはずらっと占いの人たちが並んでいる。年寄りが多く、毛筆の八卦や何やらを地面に広げて座っておる。聞いている人も何人かいる。
恵力寺。こちらも「千年古刹」と標識にあったが寺は全体として新しい。この大雄宝殿も最近の建築。入場料3元とたいしたことないが中に人が少ない。寺そのものも小さく、奥のほうは工事をしているのでほとんどみるところはない。十八羅漢は先月見た天台山国清寺のと違い個性のないいつものだった。
恵力寺から歩いて10分もかからないすぐ近く。しかし、この街の城壁はどこにあったんだろうか?痕跡がみあたらない。
徐志摩旧居。これもまた新しい建物。中に人がたくさんいたがつまらなさそうなので入らず。入場料10元。
この時点で14時前。さてどうしようか。帰りのバスは16時20分の切符を買ったのでまだ時間がある。
徐志摩旧居入口に「袁花 金庸旧居」という看板を見つける。地図をみると袁花鎮はそう遠くない。いってみることにした。
昨年まで中国内の旅行にあまり行っていなかった。誘われたり、グループに入ったり、仕事とからめたり。ぶらりと一人で、という旅は年1-2回。
昨年から暇があると出かけるようになった。少し前までは出張が多く、休みに出歩く時間も限られ、休みまで乗り物に乗るのは面倒だ、という事情もあった。現在たまたま出張が少ないので旅行に行く時間がある。
何しろ交通が便利になった。飛行場が増え、航空便が増え、高速道路が整備され高速バスが四通八達に走っている。
これは天台客運中心の路線図。沿海部を北は杭州を経て上海、南京、合肥。浙江省東部はくまなく。南は福州、廈門、汕頭を通り広州まで出ている。
ここにはないが、高速道路の料金所で待っていると北京など他のバスも来る。
バスの良いところは鉄道に比べて手軽で本数が多く待たないで乗れること。最近はどこもターミナルがシステム化されて発券がスムーズで時間も正確。先行購入もできる。ただ、相変わらず窓口の女性の口調が乱暴なのは改善していない。
今朝小雨。カッパを着て14キロほど走る。湿度が高く汗をかく。他に走っている人はいなかった。
旅行の続き。天台県は観光が主要な収入源のようで、県旅遊局が観光ガイドを何種類も発行している。これらは国清寺のバス亭、駐車場にある観光センターでもらった。
宿は国清寺の目の前。純中国風朝食をホテルで取り、チェックアウトして外へ出ると夕べはなかった土産物屋の店が軒をつらねている。「農家小喫」と看板を掲げた食堂も開いていた。
ガイドをみるとお寺だけでなく瀧や池や山や、自然観光地がたくさん載っている。
国清寺の前まで5番、7番、9番と3本の路線バスが出ている。国清寺が終点。7番は客運中心から赤城山を通って国清寺までくるから観光には便利な路線だ。
ここが国清地区の入口。10元払って中に入る。7時から開いているというが、この奥にはホテルがあるので朝早く出入りするぶんには無料なのかもしれない。聞き忘れた。中には国清寺と天台賓館がある。
ここから国清寺の山門まで少し歩く。1キロはないが10分ほどかかる。歩きたくない人のためにゴルフ場の電動カートがある(有料)。
ぶらぶら歩きながら脇をみると小川があり野菜畑が広がっている。小川の水が澄んできれい。中国ではなかなか見ない清流。これが寺のほうから流れてくる。
川をみていたら並木から小動物が出てきた。リスだ。30センチほどある大き目のリス。中国で野生のリスをはじめてみた。残念ながら動きが早くて写真を撮れず。
清流といい、リスといい、少し期待が出てきた。今回の旅行の目的は臨海古城壁で、天台は通り道で時間があるから立ち寄る。もともと信仰心がなくてお寺にはあまり興味がないほう。それに中国の寺は儲け主義発散しまくりでぜんぜん有り難味がない。だからここもあまり期待していなかった。
国清寺の入口に大書してある「隋代古刹」の文字。開山は陳ー隋で智者大師という高僧が最初にこの地を訪れたのは575年。以後時の王などの寄進で617年に主要建築物が完成して国清寺と命名した、と寺で買った本に書いてある。
案内によると、国清寺はかつて天台寺と呼ばれ、入唐した天台宗の最澄(比叡山の開祖)が修行した場所。中国よりも日本で有名かもしれない。説明を読むと、韓国天台宗というのもあり、ここからの寄進でできたお堂があったりする。
脇で入場料を払って入る。入場料5元?驚く安さ。全国で一番安い名所の入場料だと地元の人が言っていた。前日ホテルへ行くタクシーで運転手が、この安すぎる入場料のことで県の旅遊局と寺の事務室で常に対立があり(役所は値上げしたい)、先ごろついに殴り合いの喧嘩になったという。寺の言い分は、ここはお寺なのだから本来お金は不要、という趣旨。役所はもっともうけろと。いまどき中国にこんな寺があるとは驚き。
案外小さな入口。でもこれが正式山門いよいよ簡素で仏教寺院らしい。
入るとすぐに大きなお堂があり、仁王像。これは新しい極彩色の大きなのでありふれたもの。その次のお堂も極彩色の四天王。ただ、どことなくひきつけられる。どうも新しい割りに像がよくできているように感じる。
寺の主要建築大雄宝殿。この中にある大仏像(釈迦牟仁像)、二大弟子像、三尊菩薩、十八羅漢の像には感動した。中国で仏像を見て感銘を受けたのは初めて。
写真を撮れないのが残念。大仏像は明代のもので金銅6.8m、13トン。隣で説明していたガイドさんの話だと、清代に北京から運んできた。特徴は「娃娃臉(童子顔)」。6-7歳くらいの子供の顔をしている。これがなんとも無垢といくか、穏やかな顔つき。国宝級とのこと。
前の二大弟子は今にも話しかけそうな迫真のポーズ。
十八羅漢は中国の寺院でよく見るものだが、ここのは違う。全ての羅漢の表情に特徴があり生き生きしている。仏典に出てくる羅漢の様子を再現したものだろうか。像自体はピカピカなので新しいのかもしれないが、新しい仏像でも作り手の気持ちがこめられていると感動を与えるものだと初めて知った。
ちょうど一月前に奈良を訪問し法隆寺や東大寺など何箇所かで優れた仏像を見た。あれらはもちろんすばらしいが、美術品的なすばらしさ。ここの仏像は信仰に活力を与える生きたすばらしさ、と感じた。
周りに人がいないから撮影した海島観音。大仏像の光背の裏側にある。壁が大きいので像も3mくらいある。いい顔をしている。
背景は天台山や普陀山といった仏教聖地の彫刻で見ていて飽きない。これも一見の価値がある。
更に登ると薬師堂などがある。どこも仏像に表情がある。中国の仏像は安っぽいみやげ物のような似たりよったりの顔をしているのが多いが、ここは違う。
どのお堂にも世話係の僧侶がいて、お香やろうそくが落ちたり、ごみを捨てる人がいるとすぐに片付けてきれいにする。小さなお堂で見ていたら僧侶が供え物の机を拭いたり、床を掃いたりしている。日本では掃除は仏教の大切な要素。中国ではそういう姿を見たことがなかったからとても新鮮。
三賢堂の三賢。左が寒山、真ん中が豊幹、右が拾得。3人とも国清寺の僧侶だとはしらなかった。
この像、特に寒山と拾得の出来がすばらしい。よほどこの2人のキャラクターを理解した人が制作したのだろう。台座は木製、像は金銅か。さほど古いものではない。ここには人がほとんど来ないのでしばらく像を見ていた。
10時にお経を唱えて僧侶が列を作ってやってきた。寺の開祖智者大師のお堂にみな入ってゆく。100人くらいいただろうか。いろいろな服装をしている。在家の人もいる。
黄色い服の人は位が高いようだ。若い僧侶は地味な黒い服を着ている。
お堂にはいってみんなでお経を唱えるので観光客も集まって中をみる。お堂の中の写真を撮った男が監視している僧侶に激しく叱責されていた。さすがに男は恥ずかしそうな顔をしていた。
寺の売店。ここでも普通のお寺みたいにつまらない土産物を売っていない。あるのは書籍と仏具とお経のテープとろうそく、お香。
この手前の棍棒みたいなのもろうそく。直径5センチくらいある。記念に買いたかったが重いのでやめた。
一時間半ほど参観して出る。帰り道の脇に古い仏塔「隋塔」がある。最初に建てられたのが601年。戦乱で破壊され1129年に再建された歴史建造物。高さ59.4mとかなりの迫力。
もともとは九重の塔だったのが長い年月でひさしがなくなりいまの瓦だけのこったという。壁面に仏教ゆかりの故事の彫刻がしてあるというが下からみるとよくわからない。古さといい、威容といい、国清寺のシンボルになっている建物。
この先の山にも寺の建造物があるが立ち入り禁止になっている。
山門まで降りてバス停で路線をみる。街の中心街を見てからバスターミナルに行きたい。バスでもいけるが時間があるし、遠くなさそうだし、運動不足だし、歩くことにした。
街まで30分ほどで着く。途中雑貨屋の店先に黄酒の甕が山積みになっている。「地酒、秤売り」と書いてある。今度着たら飲もう。
街の中心部に「済公祠」という観光スポットがある。新しそう。20元払ってはいる。
済公は有徳の僧侶で宋代の人だそうだ。劇などで中国では有名な人らしい。写真のように洒脱なユーモラスなキャラクター。一休さんみたいなものか。写真の女性は居合わせた観光客。入れ替わりたちかわりみんなここで写真を撮る。
全体として最近できたばかりの記念館で特にみるべきものがない。
済公が衆生に恵みの水を与えるひょうたん。人に身長くらいある巨大ひょうたん。
スーパーをみるも買いたいものはなし。済公祠前から10番のバスに乗り客運中心へ。
天台客運中心(バスターミナル)。新しく大きい。11時45分に着いて上海行きをみるとちょうど12時発がある。窓口で聞くと席が空いていた。上海まで直通405キロ、150元。
中型バスで見た目は悪くないがシートが固定されておらず外れてしまう。
ほぼ満員になり12時ちょうど出発。最初一般道を行き高速前の町で乗客を拾う。あとは高速。温州ー杭州高速に乗ってからは運転手がものすごいスピードへ他のバスを追い越す。
あれよあれよというまに新昌を過ぎて上虞の分岐点を左折。杭州環状路から滬杭高速に入り一路上海へ。ちょうど4時間で上海南駅汽車総站に到着。405キロを4時間。近いものだ。浙江省を身近に感じた。
昨日、今日と2日走っていない。家に帰りとりあえず10キロほど走った。
今回の費用。
交通費:上海ー黄岩航空費 730元、タクシー(自宅ー虹橋空港66元、黄岩ー臨海200元、天台バスターミナルー賓館30元、上海南駅ー自宅56元)、バス(臨海ー桃渚ー臨海28元、市内バス計4元、臨海ー天台17元、天台ー上海150元)、宿泊:280元、食事:計45元。
全部で1606元。半分近くが飛行機代だからバスか電車で行けば安くつく。
古城壁探訪再開。今回は「江南八達嶺」と呼ばれる臨海とその郊外の桃渚の古城壁を訪ねる。
例によりガイドブックはこの中国のもの。臨海は日本では全く無名。隣の天台は仏教の天台山として訪れる日本人も多い。最近は中国のガイドブックもよくなっていて交通や宿泊がかなり詳しくかかれている。特にこの左側の省別ガイドはよくできていて今各省を買い進めている。
上海から臨海に行くのであれば普通はバスだろう。鉄道は通っていない。バスで5-6時間。直通もあれば杭州乗換えも便利。今回また週末の旅行なので飛行機で台州黄岩飛行場から入ることにした。
前日夜22時15分北京から虹橋空港へ着き、翌朝また6時半に虹橋空港へ。8時間ぶりだ。
7時40分発MU5517黄岩行。B737に6分ほどの乗客のうち20人くらいインド人が乗っていた。
飛行機で着席して本を取り出し席に置いて離陸前にトイレへ。帰ったら本がない。さっき出したはずが?かばんにもない。何度も探してもない。ふと見ると通路を挟んでとなりの人のシートポケットにそれらしい本が。新聞を横取りする人はよくいるが勝手に人の本を読む人は初めて。おいおい。といったらにこにこ笑って返してくれた。
台州の黄岩飛行場とは聞きなれないが、降りてみるといたるところの建物が迷彩ペンキでぬられており、戦闘機がずらっと並んでおり、軍用空港を民用に転用したもの。
出たらバスもタクシーもあるので一安心。舟山飛行場と違う。空港の売店で地図を買い、街まで行きたい、というと304のバスで行く、というのでバスに乗る。で地図をよく見ると、売店の人のいう街とは台州の街のことで、自分が行きたい臨海市はずっと先。仕方がないからタクシーにした。でも空港の人は聞くとみんな丁寧に教えてくれる。バスの運転手も愛想がよかった。
タクシーは高速を通って臨海へ。杭州と温州をつなぐ高速。約60キロ。50分ほどで臨海市中心部へ到着。メーターを倒して200元。うち50元は高速代で、実際は25元だが帰りの分も取られた。これが普通だ、という。怪しい。
臨海で一番、かつ唯一にぎやかな崇和門前で降りる。ここから第一の目的地桃渚行きバスがでるとガイドに書いてあったので。それにここは臨海城壁の門のひとつだから城壁の位置取りがわかるだろうと。
なんだこれは?もう春節から1ヶ月以上も過ぎているのに。門の前にでっかいショッピングモールができて人だかり。門の脇は東湖公園という行楽地。その先が古城壁の入り口となっている。地方城壁でこんなに繁華街になっているのははじめてみた。ちなみにこの門には登れる。でも上には誰もいないし垂れ幕で景色もみえない。おまけに写真を撮りながら階段を下りていたら踏み外して痛めている膝を打ってしまった。痛い。![]()
歩いてみて臨海古城壁の様子はわかったが、門のそばから桃渚行はみあたらない。途中でみかけた大きなバスターミナルにいってみる。近そうなので身近の自転車タクシーのお兄さんに声をかける。5元。
ターミナルは新しくできたそうだ。中心部の隣にある。ざっとみると上海や杭州や遠くはあるが近郊がない。別のターミナルか?と案内に聞く。裏手にある郷城公交站へゆけという。
あった。臨海ー四岔(桃渚経由)と書いてある。すぐに発車。桃渚まで14元。
半分くらいの乗客。途中一般街道を走るがぜんぜん車が少ない。どんどん山の中に入ってゆく。こんな身近に人が全く住んでいない場所があるなんて。工場がないからトラックが来ない。行き交うのは長距離バスとミカンを積んだトラックばかり。
桃渚まで60キロほどもあるが、順調に進んで50分で近所へ。運転手に古城壁へ行きたいと告げる。地図でみると沿道だ。運ちゃんも車掌もおだやかにすぐそばだと説明してくれて、下りるとき入り口を指してくれた。この辺の人はみんな親切だ。
街道から入ってすぐに城壁がある。普通の石垣くらいの高さ。4-5メートルの石造り。周りをみると低い岩山に取り囲まれている。家も石造りの古い物をいくつかみかける。
昨日午後深圳行き今朝一番で上海に戻り。午後はまた昆山へ。飛行機が遅れず順調だったので予定通り事が運んだ。なまじ交通の便が良くなってきたので強行軍の日程が可能になってしまってきた。昆山で聞いたら常熟ー南通の長江にかかる橋が開通したそうだ。これで行列を作ってフェリーに乗ることもなく、上海から南通まで1時間半もあればつくことになる。10年ほど前は南通に仕事しにゆく、というと必ず泊りがけだった。本当に土木工事ばかりやっている。
昨日転んで痛めた右膝が案外痛い。これで両足の膝を痛めたことになる。歩く分には問題ないが、飛行機の狭い座席で足を曲げていると動かすときにゴキッとなる感じ。階段の下りで膝に負担がかかるときしむ。どうもついてないというか、めぐり合わせというか。悪いときは悪いほうへ行くものだ。今朝早かったので走らず。暖かい深圳で走りたかった。
昨晩今晩と2つ続けて中華のフルコース。といっても昨日は深圳郊外の大衆的な店で一人30元くらい。麻婆豆腐が上海にはない山椒の利いた味付けで本格的だった。今晩は昆山だからこちらも安い。油や塩が弱くて思いのほか食べられる味だった。料理の味も急速に上品になってきている。
山の辺の道へ行くべく天理へ。JR奈良駅へ行ったらちょうど桜井線の電車が出たところ。次は30分後。えー。と思ってバスをみると天理駅行がすぐ出る。で、バスに。これが大間違い。電車だと230円が540円かかるし、時間もかかるし。おまけにこの辺だろう、と降りたところから方角間違えて歩くし。結局ちゃんと歩き始めたのは10時過ぎ。
天理は名の通り天理教の施設ばかり。こんなにあるとは。日本的でない建物の大きさ。主要な建物は中国的なサイズで、人民大会堂に通じるものがあるか。などどおもう。
8時半ごろ降り始めた雪はまたたくまに本降り。天理市を過ぎる頃にはもう積もっている。
石上神宮。さすがに人がいないか。と参道を歩いていたら後ろから岡山の団体さんや関西弁のご夫婦。2人連れのハイキングなど人が増えた。
写真の通りボタン雪で粒粒がはっきりみえる。石上神宮は七支銘太刀(?)だったかを歴史で習ったくらいしか知らない。上の小さな社が日本最古の神社建物で国宝だとは後でガイドブックを見て知った。
山の辺の道はここを登ると奈良方面。登らずに南へ行くと桜井方面。太陽の道の時は檜原神社、大神神社を通るのでそこまで行きたいのだが。時間といい、天候といい。ちょっと難しそうだ。地図をみてとりあえず柳本まで行くことにする。
石上神宮の境内にたくさんニワトリがいる。雪が激しくなり休憩所の中に入って、それでも雄鶏が時間はずれなのに鬨をあげている。
居合わせたおばさんによると、この神社はニワトリが有名なのだそうだ。脇に檻があって中にニワトリが何羽か入っている。
山の辺の道へ。入ってすぐのところに団体さんで歩いている人たちがいた。その他、ちらほら散歩者がいる。
いかんせん雪がますます強く、下が悪くなってきた。景色もかすむ。山麓なので余計に雪が多いのだろうか。ジョギングシューズをはいているからメッシュから水が染み込んでくる。手袋は防水にゴムの薄いのと防寒の。でも傘を持っていると金属の冷たさが伝わってかじかんでくる。
衾田稜へ。大きな前方後円墳だ。ここも宮内庁管理になっている。何が埋まっているのか。
この古墳。よくわからないけれど、前方後円墳の前方の部分が墓地になっている。こんな風に古墳の土地が使われているのをはじめてみた。左側の丸く盛り上がっているのが後円の部分。不思議な光景。
日本で一番古いという大和神社跡などもあるがさっとみて過ぎる。長岳寺も簡単に。崇神天皇稜につく。稜の脇の山の辺の道。左の足跡が自分が行く時。右が帰るとき。誰も歩いていない。深々と静かに雪が降っている。
ここで山の辺の道を断念。崇神天皇稜に登ってからJR柳本駅へ向かう。車は異常に徐行運転している。30キロくらいか。本当にのろい。しかし、前を歩く人たちは急いでいて小走りの人もいる。柳本駅まで500mくらい。電車がすぐに来そうなのでこちらも急ぐ。
案の定30分に一本の電車、奈良行きが来た。
途中沿線は白一色。天理から乗ってきた人たちがこんなの久しぶりだ、といっている。
奈良駅からバスで奈良公園へ。本当は飛鳥に行きたかったのだが天気が悪く。気力も失せた。
ここは奈良観光の中心地だから人がたくさん。雪に埋まった鹿と遊ぶ人が多い。寒さに強いようだ。こんなに雪が深くてもじっとしている。物欲しそうにするわけでもない。動きが鈍いから写真を撮るにはちょうどいい。
雪で草が食べられないから二本足で立って木の葉を食べている。大きな鹿しかできない芸当。
ここには外人が多く、広東語の3人組鹿の写真をしきりに摂っていた。ハングルの人も多い。
放送局の人たちがカメラを抱えてやってきた。雪の奈良公園はニュースのネタになりそうだ。
土曜にしては人が少ない感じがする。公園に来た目的は鹿だったが、せっかくだから雪の東大寺を見て帰ることにした。
大仏殿はこの有様。真っ白だ。警備員が塩をまいている。観光客。特に外人客はこの光景に大喜びでぱちぱち写している。インド人の家族連れ。こどもは大はしゃぎだった。
大仏殿に行く途中の石畳が雪で滑るようになってしまっている。慎重に歩く。
大仏さんを見るのはほぼ10年ぶりくらい。なんだか俗っぽくなった気がした。どんどん俗化されているのは自分だろうからそれが映し出されているのだろう。
後ろの若い女の子が光背で小さな仏像が丸く飾られているのをみて「観覧車みたいやな」といっていた。友達には受けなかったがこちらは一人笑っていた。面白い発想だ。
ますます寒くなってきたから切り上げて帰ることとする。市内循環バスに乗って気づいたら、日本語、英語、北京語、ハングルでアナウンスする。こんな街は奈良ぐらいではないだろうか。
15時8分の京都行き快速に乗る。雪で10分くらい遅れる。この雪で10分ならいいか。湖西線米原までもどんどん遅れ。豊橋行きが大垣で打ち切りになる。乗り換えの電車は8分遅れ。上出来だ。だが、遅れが重なって電車は休日なのに満員。
名古屋からはますます混乱してきて、豊橋に着いたら下り大垣方面は1時間くらい遅れていて、乗客が駅員に食って掛かっていた。こんな事態滅多にないんだから仕方ないと思うのだが、いつも便利、時間通りに慣れているから我慢できないんだろう。こちらはこういう不規則は中国でいつも経験しているから大人しく発車を待つのみ。
5日30キロ、6日40キロ。足底筋が張って7日はセーブして10キロ。
8日思い立って朝から奈良へ。家から鈍行を乗り継いで5時間くらい。遠いといえば遠い。新幹線なら2時間半ほどで着く。
とりあえず山の辺の道を走ってみるのが目的。8日は13時前に奈良に着き、時間的に山の辺は遅いとみて法隆寺へ。
JR法隆寺駅から法隆寺行きのバスに乗る。乗客は一人。2月は旅行閑散期。ゆっくり見られるが難点は寒いところ。
法隆寺の門。仁王像。有名でも貴重でもなさそうだが、奈良に来て最初に見た仏像なので感動した。木製の雨ざらしとは。なんともかわいそうな仁王さんが思い切り気合を入れていていじらしい感がある。
仁王さんと違って超有名な国宝五重塔。もちろん木造。台風とかいといろあるだろうに良く持っているものだ。
法隆寺は小学校の修学旅行以来。こんなに広いとは思わなかった。それに国宝がある部分以外はタダで開放。この辺は中国と違う。それに入場料500円とは日本らしい。これより安いと採算とれなさそうだし、高いと文句が出そうだし。
奈良は外人が多い。周りでは北京語、ハングル、広東語、英語をよく聞く。アジア系は若い人も多い。
宝蔵院にはあんまり国宝が多すぎてどれのどこが良いのかわからず。とにかく、百済式というのか、古い時代のほっそりした仏像が多い、ことはわかった。
寺を出たところにある店の宣伝。全部ソフトクリーム。夏なら3つくらい食べたいところだ。キャラメル、マンゴーなどにそそられる。いかんせ寒い。手袋しても手がかじかみどうしようもない。とてもソフトクリームの気分ではない。
バスで薬師寺へ。30分くらいかかる。またまた。最後は一人だけの客となった。
薬師寺はこの東塔。のほかは改修していたりしてあまり見るところが無かった。
写真の通り晴天。風が吹いて寒い。観光客はそこそこいるが北風が吹くと元気なく駆け足で名所を通り抜ける。。一通り見て北門から出る。歩いて唐招提寺へ。
唐招提寺は金堂を改修工事中。金属で囲まれていた。味気ないからそそくさと出る。案内をみたらまだ何年も改修工事が続くようだ。相当お金もかかることだろう。
唐招提寺から歩いて垂仁天皇陵へ。古墳は好きだ。見ているだけで想像がたくましくなる。
大きい。手付かず。カラスの基地になっている。カーカー、ギャーギャー。中がどうなっているのか。興味を持つ人はおおいだろうが。これだけ目立つものが平地にあるのだから過去探査した人はいなかったのだろうか。
歩いて宿がある新大宮へ。日が落ちたら途端に寒くなった。3連休前なので宿は人で一杯。
東海道線の線路脇の通りからスタート。終点から7.8キロ地点。起点まで28.5キロ(全長36.3キロ)。とりあえず終点まで行くとしてその後どうするか?戻って刈谷のほうへ行く別の自転車道がありそうなのでそちらへ行こうか、と都合の良いことを考える。コースマップはは愛知県のHPに出ている。
曇り。風は弱い。でも寒い。このあたりでこんなに寒いなんて。滅多にないことでは。通りすがりに聞いたおばさんたちの挨拶も「冷えるね」だった。
コースは明治用水沿い。ときどき明治用水にふたをしてその走ることもある。明治用水というだけあって明治にできたらしく、水路はさほど広くない。
人通りは少ない。灌漑用水なので周りは農地。冬のこととて農作業する人も少なく。
時折自転車の人とすれ違う。走っている人もちらほらいる。平日なのに?と自分をみて相手も思っているか。
3キロほどで名鉄名古屋本線の線路。名鉄のユニークな車両はいつまでたっても変わらない。この先頭車両30年以上同じだ。金が無いんだろうか。特にこの色使い。いまどき赤い電車。安心するような。田舎っぽいような。車両の寿命があるならば別によいが。
進路は北上するので常に向かい風。これには早いうちからいやになってきた。
5キロほどで豊田市に。早めに言ってしまうと、自転車道の整備は安城の方が格段に良い。豊田にはいると通りとの立体交差は減り、新大通りができると寸断されている。やはり自動車の街豊田なのか。大いにがっかり。中部空港を作る金があるならば自転車道の整備など容易いもののはずだ。足元を見ていないというか、もともとそういう考えが欠如しているのか。
多分幹部の人たちは自転車に乗ったことが無いのだろう。
起点から14キロ弱。三連水車。元は発電?用の実用的な代物らしい。水車の直径3mくらい。巨大な水車。今も回っている。
愛知県のマップだとここに知立・刈谷方面の自転車道との分岐があることになっている。走っていてはみつからない。そのまま通り過ぎた。
「ようこそ糟目春日神社へ」701年創建と伝えられる古い社。境内と社殿は小ぶり。建物は少し古そう。なんでこんなところに神社を作ったのか。昔のことはうかがい知れない。
寒い昼間とて人っ子一人居ない。ひしゃくですすぐところにも水がない。余計寒々しい感じ。
しばらく何の特徴も無い道。途中一般道になったり、わかりづらくなり始める。自転車どうらしくなくなり疲労感が出てきた。
矢作川の河口から35キロ地点あたり。汐差神社跡の碑。このあたりは森で川べりは建物も人気もない。
水源公園の明治用水取水口。豊かな水があふれている。矢作川は取水口だったんだ。
公園から散歩道風に一部整備されている。しかし、自転車道はこのあたりからどんどん寸断されて危なかったり、道がわからなくなったり。だんだん疲れてきてつまらなくなり始める。
アップダウンがあり、コース自体はは悪くない。トヨタのテストコースの下を走る。見上げると厳重な柵が。用水が堀になっている。さすがトヨタ。城を構えているのか。
ここを通り過ぎて、歩道橋を渡り。バイパスのようなところで道がわからなくなった。西に公園道があり、こちらか、と入る。数キロいってどうもおかしいと戻る。
ここで走り始めて最初に飲み物を取る。もう2時間半経つが、寒いからのどが渇かない。三ツ矢サイダーがあんまりおいしくない。とぼとぼ戻り、見失ったところから探してみると、大通りの向かいに標識が出ていた。
100mくらい迂回して信号を渡る。
豊田市中心部へ。道がずたずたになっていてところどころこういう標識がある。これはもう自転車道ではない。元々あった道を車のために寸断する。東海道と国道一号線の関係と同じだ。なんとかならなかったのか。
標識の中には230m迂回、などというものもある。ひどすぎる。所詮トヨタなどこんなもの、ということか。
朝日小のところまた迷う。別の道を行き戻る。やる気がどんどん失せてゆく。
なんとか本線に戻り、最後の平芝公園。アップダウンが少しある。このほうが気分転換に良い。
公園を過ぎると道なりに右に曲がり、すぐに矢作川たどりついて終点。のはずが?
名鉄線をくぐったら道がなくなっていた。地図通り住宅街をまっすぐ行くと川に。着いた。とよろこんで川の名を見ると篭川。ここでよいのだろうか?
いまさら探すのも面倒だし、しばらく佇んで帰る。5キロほど走って戻り名鉄豊田市駅から帰る。
途中刈谷で「明治用水西井脇自転車道」を探すがみつからない。駅の地図にもそんな名前は無い。自転車道は廃れているのか。
走行距離(寄り道、コースアウト入れて)42キロほど。
ふうっ。なんとか廈門到着。明日のマラソンのゼッケン引き換えも完了。ホテルの回線が遅くて写真のアップに手間取りそうだから崇武古城壁の話は上海に帰ってから。
崇武に行くまではまぁ順調。でも例によりホテルからタクシーに乗り、汽車站、というと、新しい汽車站が最近できて崇武行きはそこからだと聞いたが。と人を迷わせるようなことをいう。どうやらそちらの方が遠いからそこに行きたいらしい。「昨日直接行って確認したから大丈夫だ」というがいやなことを言う。泉州には3つ汽車站がある。利用した泉秀路の汽車站も行き先のより切符売り場、乗り場が2箇所に分かれている。とても紛らわしい。
バスで1時間20分。9時過ぎに崇武に着いて摩的(バイクタクシー)で古城壁へ。ここで「正門まで2元だけど、正門から入ると35元入場料取られる。裏門ならただで入れる。10元で行ってやる。」というので西門へ。10元払う。何のことはない、正門でも金を取っていない。南門に入場券売り場があったが誰もいない。騙された。でもまあ時間のロス無く着いた。
ここからロスばかり。
一回り見て11時前にバスを降りたところに戻ろうと今度は歩いていったら道を間違えた。引き返してなんとか降りたところに。ところがでいつまで待ってもバスが来ない。変だ?15分に1本くらいあるはずなのに?45分待って100mほど先にいったらそこが本来の崇武汽車站で泉州行きのバスがわんさか止まっていた。ものすごい時間のロス。もっと早く人に聞けばよかった。
泉州に戻りホテルから廈門に行くためにまた汽車站へ。ホテル前に出たらちょうど汽車站行きバスが来たから乗る。そうしたら道路工事でルートが変わっていて汽車站を通らなかった。荷物もって歩いて15分ほどロスしたおかげで廈門行きバスを30分待つことになった。
廈門についてホテルに入り、マラソンのゼッケン引き換えに。申込書をもっていったらパスポートが要るという。ちょうど夕方のラッシュの中ホテルまでパスポートを取りに引き返した。
なんだか走る前から今日は疲れた。
5日の廈門マラソン参加ついでに前々から見たかった崇武の古城壁を見に行くことに。でまず泉州へ。
13時30分のMF8514。
チェックインするときにもう遅れる、と出ていた。南方行の飛行機は比較的ちゃんと飛ぶのでこういうのは珍しい。幸い1時間遅れですんだ。
隣の大きいアンちゃんがじゃまだな、と思いながら泉州晋江飛行場に着く。ここは比較的最近開港した飛行場で戦闘機がたくさん泊まっているからもともとは軍用飛行場だったんだろう。便も少なくて空港の建物は一昔前の中国の空港みたいにこじんまり。
空港のタクシーはぼるし交渉が面倒だし。できればバスで行きたいな、と思ってバス乗り場へ行くとちょうどがらがらのバスが市街地向けに発車するところだった。案内によると空港から泉州まで30キロほど。実際は40分ほどで着いた。 運よくこのバス(16路) は予約したホテルの目の前まで行く路線だった。4元。
見た目通りレトロというか昔の古いバスで20席も無い。案外クッションは悪くない気がした。
ホテルは華僑大廈。ネットで予約した。4星だが300元/泊。ちょうど泉州市政協大会がここで行われていて人の出入りが激しい。
部屋に入ろうとしたら部屋の前で男性がなにやら仕事している。カードキーが故障して取り替えているという。で、その部屋は使えないから隣にしてくれ、と。作業を見て、ねじ回しやならんやらあれば鍵ごと取り外せるんだ、と知った。
例により地図を買って街の様子を確認する。何しろ泉州は10年ほど来ていないから前のことを憶えていないし、街は相当変わっているはずだ。
泉州といえば開元寺、清浄寺、清源山、が相場と思っていたが、地図をみるといろいろな名所があると書いてある。最近整備されたんだろうか。
ホテルのすぐ近くにある清浄寺へ行ってみた。ここは中国最古のイスラム寺院。もう遅いので閉まっている。初めて来たときは細い道に打ち捨てられた古い崩れそうな建物だったが、今では大通りに面した整備された観光地になっている。
とりあえず長距離バスターミナルへ。崇武と廈門にそこからバスが出ているか確認。聞いたらどこにでもいる無愛想な窓口のおばさんが、「崇武10元」という。ここでよさそうだ。
もう暗いから繁華街をぶらぶらしてホテル前で酸菜羊肉麺14元を食べる。こぎれいな店で、お茶が出るし、こんな風に調味料もたくさん。その代わり田舎にしては高い。それでも結構お客さんが次々に来て繁盛していた。場所が良いからお金持った人が多いんだろうが、近所にはもっと汚くて安い店も何軒かあるのに。
羊肉麺は取り立てて言うほどのことも無い、蘭州拉麺系の味。ちょっと薄い。麺にこしがあるわけでもない。
写真は付け合せに(何だろう?と)頼んだ「豆腐脳」。豆腐花だった。豆腐花は甘いデザートしか食べたことなく、こういう料理扱いされているのははじめて見た。味はラー油、しょうゆ、あんかけでなかなかおいしい。これはもっと普及させたい料理だ。
窓の外の公園で中国劇やっていてアアアーー。といつまでもうるさい。
12月30日。今日も涼しい。前日そこそこ飲んだけれど体を使った後の酒は残らない。
6時半に起きて食事。7時15分深圳駅近くの新都酒店を出て羅湖へ。日曜の朝のせいか入管はがらがら。10分で香港側に出て列車に乗る。
今回もこの本、許超雄編著「香港遠足全攻略」のお世話になった。この本は写真が多くてバス路線もアップデートされているし使いやすい。香港では遠足=ハイキングのようだ。当初は沙田へ行き大埔道から獅子山、金山、城門水砦、というMclehose trail(これしか知らない)を行ったりきたりする予定だった。ガイドをみると昨日の嘉道理をから大帽山に出てMclehoseに行ける。大埔道まで総距離30キロほど。早く着いたら獅子山の方に足を伸ばすことに。
でまたまた粉嶺で降りて胡蝶径を登る。8時5分スタート。朝散歩代わりに上り下りする人が多い。そういう人も北大刀岡までで、そのあとは人がぱったりと少なくなる。
まだ涼しい。北大刀岡で半袖になる。
大刀岡。風が強くて涼しい。昨日の疲れか、足取りが重い。大帽山は逆光で霞んでいる。あそこまでゆくのか。という気分。
昨日は1時間55分くらいで白牛石についたのに2時間15分かかった。昨日の白身黒頭犬が出迎えてくれたのでしょうがないからまたSNICKERSをあげた。
林錦公路を10分ほど下って10時25分「梧桐寨村」から登る。公路歩いている人はいない。みんな梧桐寨のバス停で降りてスタートしている。ここは滝があるせいかほかの道よりも人が多い。
この道を萬徳径と呼ぶ。古道っぽい。萬徳苑までは車の通れる道となっている。道標が時々立っている。
涼しいのでほとんどのどが渇かない。
萬徳苑はお寺。山の麓から上の方にかけて建物が建っている。もちろん中国と違ってお金など取らない。
中で普通のおばさんが3人掃除しているきらびやかではないが清潔なお寺。
急いでいるのでちらっとだけみて先を行く。
ここを過ぎると大帽山と主瀑(1.75キロ)、中瀑布(1.25キロ)、井底瀑(0.75キロ)の分岐点となっている。主瀑の先は行き止まりで往復コース3.5キロ。せっかくここまで来たのだから。時間的になんとかなるだろうと滝を見に行く。みなそちらの方へ向かってゆく。
行ってみてわかったが、標識の距離表示は一部正しくない。井底瀑(0.75キロ)これはそれくらいかもしれないがその後が違う。
滝への道はずっと登りだが、井底瀑まで750mだから10分そこそこで着いた。滝つぼで若い男の子が3人三脚を構えて写真を撮っていた。それほどすごい滝でもないが。どんな写真を狙っているのだろうか。
井底瀑というだけあって暗いすり鉢上の滝つぼ。
井底瀑から中瀑布まではすぐ。5分もかからない。標識は500mとなっていたが実際は100mくらい登ると着く。ここは明るくて見晴らしも良い。
瀧つぼでのワンショット。
水はきれいだ。多分飲んでも問題ないだろう。
中瀑から15分ほど登ると主瀑。この上りはなかなかきつい。途中休んでいる人を何人かみかけた。まだかまだか、と上がってようやく到着。11時30分。主瀑というだけあって落差50mくらい。ただ、この時期香港は乾季で水が少ない。ガイドブックの写真だともっと水が多い。
10人ほどのグループがりんごなど食べながら休んでいる。
来た道を引き返す。途中で抜かした女の子達とすれ違い、「主瀑はもうすぐだよ」と(北京語で)言ったら「ドウモアリガトウ。コンニチワ」という。ちょっと見ただけで日本人とわかるのだろうか。
またひたすら登る。標高差400mくらいか。道は悪くないが休み無く登るので足が少しへばってきた。といって休みを入れるほどでもなし。滝に寄り道したせいで時間的にゆとりがなくなってきたので気合を入れてさくさく登る。
ますます天気良く見渡すと周りの山の様子がよくわかる。下りと平地は走ってゆく。
大帽山の分岐点。12時45分。右に行くと山頂へ続く長くきついアスファルトの道。こうやってみるとさほどでもなさそうだが、歩くと相当距離がある。
ここで休憩している人がたくさん。風が強くて長居するとTシャツ1枚なので冷えてしまう。
ここからは勝手知ったるMclehose trail。なのだが、こちらから向こうへ逆走するのは初めて。景色を見慣れないので道があっているのか、あとどれくらいあるのか。よくわからない。もちろんこのルートを迷うことなどありえないが。
本番ではこの辺を通るときいつも夜だったから昼間の乱石山の様子など記憶になく、思ったよりも普通の道だな、と思いながら走り下る。尾根から尾根はフラットなので時間を稼ぐために走る。
鉛礦凹到着。13時30分。20時の深圳ー上海便で上海に帰るので遅くとも16時までに大埔道に着きたい。時間が押してきた。休まず自動車道を登って草山への登りに取り付く。地図をみると鉛礦凹から右に下がると城門水砦までフラットな道があるようだ。でもせっかくここまで来たのだから、と正規のtrailを登る。
ここも逆走になり始めての景色。向こうから来ると相当下ったイメージだが登ると15分ほどで草山まで着いてしまった。拍子抜けするくらい簡単だった。舗装路に出たので先を急ぐ。下ったところでまた分岐があり、右のアスファルトを行くと城門水砦にやはり出る。左が針山。ちょっと迷ったがやはり針山ルートを選択。
針山は独立しているから見た目高そうにみえるがたいしたこと無い。実際登ってみるとまたあっけなかった。TWの本番は針山に登らず脇の舗装路がチェックポイントだった。
針山から後はずっと下って城門水砦。
日曜でハイキング、バーベキューの人がやたら多い。でも寒い。ここで露天の店でSwepsのクリームソーダを買って飲む。うまい。昼食べてないから腹も減ってきた。バーベキューがうまそう。
肉を尻目にえいっとMclehose6へ。時間的に16時大埔道は問題なさそうだ。体が冷えたのでウインドブレーカを着て最後の大埔道までの道を急ぐ。少し登ってあとは平ら。走る。眼下に葵涌の市街地。山道を降りて舗装路へ。少しあがったらあとは長い下り。もう大丈夫だ。と飛ばす。
最後の下り、金山道には野生のサルが群がっている。香港に野生のサル、とは見たことない人は驚くだろうが、こんなふうに道路いっぱいにいる。「えさをやらないこと」と大きな垂れ幕が出ている。
猿が自動車を襲撃(?)。下手にえさなどあげようものならこうなる。サルも保護されていて人間が危害を加えないのを知っているのかまったく警戒せずに寄ってくる。
赤ちゃんの 小猿は親猿の腹にしがみついている親が四つんばいになると腹からぶら下がって親とずっと一緒。それでも好奇心はあるようで近づくとずっとこちらを観察していた。
この親サルで身長70-80センチくらい。小猿は30センチないくらい。みんな痩せている。何を食べているのだろうか。
ずっと猿を見ながら大埔道15時45分。予定通りだ。全行程34キロくらい。7時間40分。ちょっと遅い。猿はふんだんに見ることができたが今回は牛をまったく見かけなかった。残念。牛の方が好きなんだが。
ここからバスで大囲HK$5.5、電車で羅湖HK$25.5 。新都で荷物取り駅西口で空港行きバスに乗る。ここはただの通り道で華能大廈にゆき切符RMB20を買う。バスの中で着替えてシンセン空港へ。
今回の上海ーシンセン航空券は往復1420元。香港だと最低2500元はするからこちらの方がはるかに安い。宿も安い。新都は450元ほどだった。
29日ー30日香港へハイキングに行ってきた。といっても一人でぶらぶら歩くだけ。
29日8時の飛行機で深圳へ。そこからバスで羅湖。ホテルにチェックインして荷物置き、着替えて羅湖から香港へ。全く。急に冷え込んだ上海と同じくこちらも香港にしては寒い。道行く人は大げさにこーと、マフラー。せいぜい15度くらいだろう。
羅湖かか2駅、粉嶺西口すぐの胡蝶山径から登る。3キロくらいは舗装があり、山に入ってもコンクリートが敷いてある。勾配はそこそこにきつい。
香港のトレイルコースはこういう階段が多い。こんな木の板の階段は土が流れて足を高く上げないと越えられない。石の階段は段差が不定で幅も不定。とても歩きにくい。歩くのならばまだよいが、走るとなると相当したに注意していないと足を引っ掛けたり踏み外したりして危険。
登り初めたのは13時過ぎ。一番気温が高い時間で天気も悪くないのだが涼しい。上の方で風に吹かれると寒い。半袖Tシャツにウインドブレーカで行く。登りは暑いが登りきると寒くなる。もっと汗をだらだらかくためにわざわざ香港まで来たのに。予想外。
このルートを行くのは初めて。こういうように尾根伝いに道が続いている。そこそこ走れるので勾配の少ないところは走る。山道はTW100以来1ヵ月半ぶりだからうっれしくなって駆け上る。
それほど人もいない。北大刀岡を過ぎるとかなり人が減る。
北大刀岡(?)なんだこの字は?読めない。香港にはこういう変な漢字が時々ある。こんなのまで憶えないといけないとはごくろうなことだ。
ここで480m。ほぼ水面からだから結構登った気がする。ここで暑いのでウインドブレーカを脱いでTシャツに。すっきりした。
一人で始めてなので地図とハイキングガイドをみて歩く。道は間違えそうにない一本道なのだが、問題は時間。知らない山なので暗くなる前に降りたい。夜は深圳で飲むので遅くとも18時までには深圳につきたい。このコースは片道10キロ。往復してまた粉嶺駅に戻るために片道2時間の予定。北大刀岡で半分、5キロ。ここまで登りを45分くらい。これなら楽勝だ。
しばらく尾根を登ったり降りたり、走ったり歩いたり。ここから大刀岡までなかなかはかどらない。景色はとってもよい。向こうに大帽山が見え、右側に登山コースになってない山があり、下には粉嶺のゴルフ場ある。
このコースの最高点、大刀岡(566m)を越えてくだり。うねうねとしたいかにもハイキングらしい道が続いている。くだりは走りながら行く。
途中から岩だらけの切り立って尾根になる。本当に切り立っていて怖い。ガイドブックにここは狭くて風が強いと危険なんで注意。と書いてある。着てみるとこれがまた歩きにくい。慎重に通り過ぎる。長さは500mもないほどだがゆっくり歩いたので思いのほか時間がかかった。
あとは尾根を一気に下る。最近下り慣れしていないのでスピードが出ない。
降りきって時計をみると1時間55分くらい。途中(?)まで45分程度とみていたので距離表示が正しくないのか。
降りたところは白牛石の隣のバス停「嘉道里農場」元朗や大浦などに行く64K、64Pというバスが通っている。
一休みして水飲んでSnickersを食べていたら野犬が寄ってきた。香港の山には野犬が多い。痩せた子犬で、Snickersをあげたら最初警戒していたが口に入れたらうれしそうだった。翌日ここを通ったらまた現れた。
今来た道をまた戻る。15時前に出発。曇ってきて暗いので早いところ駅まで行こうをせっせと上る。途中男女7-8人の若者を追い越す。こっちがもくもくと後ろから抜いたら「すごいねー」と拍手してくれら。それはいいけど、この場所でその時間。この人たち暗くなるまでに舗装路まで出られただろうか。それともライトを持っているのか。これくらいの山でも夜ライトがないと危ないが。
帰りはもう見た景色なので写真もされほどとらず。それでも約2時間かかった。
駅前で一休み。電車で羅湖へ。Oさんに電話してホテルで待ち合わせ。忘年会?風にいつもの居酒屋「北海」へ。秀美がいなくなっていた。Oさんによるとオーナーを折り合いあわず辞めたそうだ。黒竜江の大柄な優しいお姉さんだったが。
ビールと焼酎をひたすら飲んで、鍋など食べてOさんの最近の深圳の話を聞いた。
宿はこちら。竹香居賓館。ネットで予約してツインで370元。前夜は19時過ぎに普陀山に着いたら電話しておいたので宿の車が波止場まで迎えに来てくれた。1キロそこそこと近く。
前は金沙というビーチ。浜辺沿いに宿がぎっしり並んでいる。夏は大賑わいだろうな。
周りは何もないからホテルで食事。味はまあまあ。田舎風の濃い味付けでした。海鮮麺にシャコガ3匹も入っていた。
部屋に無料インターネットもあり。PCを持っていったから繋げたけど遅い。眠いし22時半には寝た。
翌朝。うとうとしていると暗いうちから窓の外を歩く人の声がする。そうか。日の出を見に行くのか?とさっと着替えて出かけた。案外暖かい。
一山こえて南海観音へ行く途中で夜が明けた。ここは上海よりも少し東なので夜明けは早い。北斎の赤富士みたいな色した空だった。
途中の坂から金沙の浜辺を見たところ。海は。うん。さすがにきれいだ。ここは季節により思い切り人出が違うそうで、この季節は人気がなくて静か。
道は適度にアップダウンがあってちょうど良い。
南海観音。高さ30mくらい。金ぴかで朝日に輝いていた。見ての通り午前中は天気が良かった。風もなくて穏やかな日。
写真を撮る人はもちろんいるが、それよりも熱心に拝んでいる人の方がはるかに多い。観光にきているというより純粋に参拝にきているようだ。観音の胎内には寄進の小さい観音がたくさん。香港、台湾やアメリカからの寄進も多かった。
観音の足元でずっと五体当投地していたチベットの僧侶。 こんなふうにいろいろなところから人が集まってくるらしい。さすがに中国四大仏教聖地の一つだ。
のっけから金ぴかだな。と思ったらこれ以外は良くある寺院だった。入場料は6元。他も5元とか2元とか入場料は安い。入山料140元取っているからだろう。
「西方庵」の中にある「観音跳」。海辺の崖でなにやら観音様が飛び込んだという故事の説明があった。複雑に岩が入り組んだ地形。足場が悪いし相当降りるので下まで行く人は少ない。
「西方庵」入り口。中はこじんまりしたお寺。海に突き出したところにある。
奥のほうへ行くと庫裏があってお坊さんが暮らして修行している姿をみかける。
この辺いくつかの寺は内部撮影禁止。みんなちゃんと守って撮影している人はいなかった。
10分ほど歩いて坂を上ると「不肯去観音院」に着く。ここは広くて中には庭や亭もある。観音がたくさん。日本の中国地方のお寺から贈られた観音像が20数体置いてある。日本でも有名なところらしい。
例により内部は撮影禁止。といっても全体的に新しくてどこもよく似ている。
これ、昔お線香を使い果たした人が、信心深さを示すために綿に火をつけてそれを手に持って拝んだ、という故事に倣って同じことをする人が後を絶たず、それを禁止する石碑。かなり古いもの。観音は慈悲を旨とするのだからそのような身を傷つける行為は喜ばれない、という内容のことが書いてある。
それにしても「捨て身で指を燃やす」とはすごい言い方だ。
歩いて普済禅寺へ。途中百歩沙という浜辺を通る。柵があって入れなかったが砂浜には砂の仏像がたくさん作ってある。高さ3mくらい。もっと近くで見たかった。
普済禅寺の前はバス停になっている。普陀山は小さな島なので様子がわかってしまえばバスに乗るまでもなく歩いてどこにもいける。今回も結局ほとんど歩いて回った。
普済禅寺の多宝塔。700年くらい前にできた石造りの塔。新しいものが多い普陀山の寺の中で見た中で一番古いものだった。高さ25mはある。かなり高い。残念ながら近くで見ることはできない。塀の外側から眺めるだけ。
普済禅寺の門。中は広大。巨木が林立しており、寺の古さを感じさせる。お線香の筒を持った人が何箇所も回って拝んでいる。
写真を撮っている人はやはり少ない。季節はずれに来る人は信仰熱心なのか。
でもそろそろお寺にも飽きてきた。みんなよく似ているし、こちらは拝むわけではなし。で細かなお堂は飛ばして外の商店街を歩く。
このようなお坊さんグッズ店がたくさんある。なぜか台湾XXと台湾ブランドの服やかばんの看板を出した店が多い。ここで僧服を買って即席で服の上から羽織って拝む人もいる。
大仏岩バス停で、さて、どうしようか、バスは来ないかな。とたたずんでいたらタクシーが来た。島を横断して東のはずれの「桃花寨」へ行くことにした。といっても10分ほど。貯水池の前を通って山を越えると着く。案の定、この島には信号は無いようだ。
桃花寨入場料45元也。ここも人がいないし車もみかけない。運ちゃんに16時にまた迎えに来てくれ、と頼んだ。
入り口を入ると島の名前の由来となっている桃花石が置いてある。右の岩石のしだの葉みたいな模様。そういわれると島のあちこちの岩にこんな模様がついている。
ここから順路は下へ降りてゆく。まず最初に「煉珠洞」、龍女の石切作業場、みたいなところに。石切、石細工作業中なので四角、丸、その途中といろんな形がある、という解説。そういわれてみればそうかな、という感じもしないでもないが、牽強付会気味。
ここの売りはこういう奇岩で、この隣が「含羞観音」になっている。観音様が水浴びしていたら人が現れ、恥ずかしくて隠れた、という岩の隙間。
岩の間を降りたり登ったり、更に行くと「海亀巡岸」。龍女を監視する海亀、という説明。長さ6mくらいの岩で、見たときは干潮で岩が大きく露出しているが、満潮になると右側が首に、左が甲羅になって亀みたいにみえるらしい。
桃花寨といわず、島全体、普陀山も含めていたるところで工事をしていた。観光地は閑散期に設備を整えて繁忙期に備える。ここでも断崖の海辺で命綱をつけた二人組が岩を割っていた。寒そうだし、危なそう。波など来たらどうするのか。
一番感心したのがこれ、「東海神珠」。石が波で洗われ、岩の間に挟まって自然に丸い石になった。影で分るとおり直径80センチくらいある。近くでみると本当にまん丸で人工的な感じがするくらい。
ここから海沿いに道があるのだが、工事中で売店の方を通る。売店を越えて「試剣亭」に。ここは「天龍八部」にちなんだもの。だったと思う。かなり高いところにあり、汗だくで登ると良い眺め。桃花寨を一望できる。入り口が遠くにみえてかなり広いことが分る。入場案内には全部みると2時間かかる、と書いてあった。
亭を降りて「弾指峰」へ。黄薬師が武術の修行をした場所。高さ50mほどの岩が海から屹立している。桃花寨の中でも奇岩中の奇岩。これは見物。少し離れたところから見るものだが、岩の下から見上げるとすごそうだ。この観覧台も工事中で、アスファルトを敷設するおにいさん、おばさんに遠慮しながら眺める。
道も工事していて、作業の人がひっきりなしに行き来している。といっても皆さんゆったりした動きで、荷物運搬には馬を使っている。最初、観光用に馬がいるのか、と思ったら、山道で車が入れないので馬の方が便利そうだ。
宿泊用バンガロー。凌歩閣、欧陽府という金庸にちなんだ名前がつけられている。これだけたくさんあるが今は泊り客が少なくて、いくつかは閉まっている。ここから登るとおしまい。1時間10分くらいで見終わった。まだ16時まで時間があるから日の当たる岩棚に腰を下ろして本を読む。15時30分ごと太陽が山の陰に隠れると急に寒くなった。
16時前タクシーで波止場へ。「桃花島号」は来たときよりぼろくて窓の無い船。それでも満員。今度は普通の航路を通ったみたいで40分ほどで沈家門の碼頭についた。もう暗い。普陀山へ渡る船は19時でまだ早いがやることもなし、その辺を少し散歩してタクシーで朱家尖の波止場へ。飛行場のすぐ北、という場所。タクシーの運ちゃんあまり知らないようだった。
この時期夜普陀山へ行く船はここから出る2便、19時と20時10分しかない。14.5元。とにかく便があることに安心した。19時定時に出発して普陀山へ向かう。
週末舟山を訪れた。
普通は船で行く。上海から直行便で普陀山へいったり寧波から行ったり。バスで上海や寧波からの直行便というのもある。その場合は寧波からバスがフェリーに乗る。
今回は飛行機で行った。MUが日に2便出てる。土曜朝7時35分発。半分程度の乗客。ものの20分で降下を開始し30分あまりで到着。普陀山機場。幸い好天なるも海辺のことで上海よりも寒い。
例によりなんとかなるだろうと空港から外にでると荒涼とした風景。空港バスなど見当たらず、みんな団体でバスで出発。3-4人残された人は怪しげなタクシーしかない。交渉して沈家門まで40元。帰りは20元に値切った。一般人は飛行場からどうやって街まで行くのか?
飛行場は朱家尖という島にあり、新しい大橋を通って舟山へ。まず桃花島へ行こうと沈家門碼頭へ。9時到着。いきなりガーン。閑散期は桃花島行きは快艇「神侶号」が4便、普通船「金庸号」が4便しかない。夏はおのおの10便くらいあるらしいが。しかも、海域で工事(?)かなんかしていて、12月8日ー12月16日「神侶号」は前面運休。「金庸号」も10時半と16時半の一日2便しかない。要するに一日20便近くあると聞いていた船便が2便しかない。最初から意外な展開。しかたなく10時半の切符を買う。
10時半まで時間があるし、いやな予感がするし、街の様子を見たいし、でこことは別の普陀山行き船が出る半昇洞碼頭へ偵察に行くこととした。
すると。案の定冬場はここから普陀山へゆく船は16時半で終わり。繁忙期は夜遅くまででているというのに。今晩は普陀山の旅館を予約したからこの最終便に乗るには16時ごろまでに沈家門エリアにたどり着く必要がある。桃花島からそれまでに帰れるだろうか?
「金庸号」。一日2便しかないせいで満員となった。張学友のカラオケをビデオで流しながら航行。天気晴朗で波もなくすいすい進む。が、なかなかそれらしい波止場に向かわない。この辺は島が無数にあり、どれが桃花島かわからない。
ガイドや旅行記だと普通便でも35分で着くはずが40分経っても到着する気配はない。外の景色と地図を見比べると、普段のコースと違う迂回コースのようだ。まっすぐでなく朱家尖の南を通っている。例の工事の影響か?
11時35分。ようやく桃花島の波止場に到着。なにはともあれ、と帰りの船の時間を確認しにゆく。すると。帰りは1便、16時30分だけ。??とすると普陀山行き半昇洞16時30分発の船には絶対間に合わない。他に普陀山に行く方法はあるのか?桃花島ー普陀山の船は夏だけで今はない。と窓口の女の子にいわれた。仕方なく16時30分の切符を買う。
どうなるのか?可能性は2つ。①沈家門から普陀山に夜向かう船が別の埠頭から出ていてそれを探す。②今日中に普陀山にたどり着けず、沈家門のどこかのホテルに泊まる。その場合予約した旅館をネット予約したとき登録したカードから引き落とされるかもしれないし。さあどうするか。
先週会った金庸仲間のS君が、嘉興南湖のまんなかに「射鵰英雄伝」の煙雨楼があって、という話をしていた。そういえばこんなに近いのに嘉興には行ったことがない。
上海南站から長距離バスに。最初浦東長途汽車站に行ったが一日一便の便がもう出ていた。南站からは30分おきに出ている。南站は近代的でバーコード切符だったりするからみんな安心して乖乖、という感じでおとなしく待っている。
9時20分時間通り出発。半分くらい席が空いている。杭州へゆく高速を1時間ほどで降りて下道へ。10時50分嘉興西站着。時刻表通りだ。
まあありがちな地方都市の風景。自転車タクシーを見ると上海から出たな、と思う。
早速地図を買おうと思ったら汽車站の周りで売っていない。例により金庸の解説書を少し読んだくらいで事前準備せず来たから困った。
勘で南湖は旧市街だろう、と道路標識をみて駅の方に歩き出す。途中本屋で地図を買った。方向は合っていた。
川や小さな池がたくさんある。釣りをしている人が多い。釣堀になっていて竿も貸している。南湖に行ったらここでも釣り人が多かった。
嘉興はかつて城壁だったとみられる地域を環状路が走っていてその周囲を堀が囲んでいる。環状路の南東に南湖が広がっている。
例により歩く。地図をみると旧市街は小さい。結局汽車西站から歩いて一回りし又西站まで戻った。
中山東路を右に折れて環城西路を下ってゆくと西南湖につく。梅湾街。この一帯は古い町並みを模倣した通りになっている。建物はここ1年くらいにできたものではないだろうか?とても新しい。みやげ物や食堂など観光用の建造物。がらがらだった。
ハングルが目立つ。何でも朝鮮独立運動の指導者金九がしばらく嘉興に居を構えていたそうだ。
この人が金九。最近新しく韓国でできた50万ウォンだか
の肖像になっている人。韓国では誰もが認める国民的英雄。昔香港にいたとき韓国カラオケの人たちから「あなた金九先生に似ている」とよく言われた。当時丸いめがねを掛けており、それが金九風だと。でも、この人は抗日運動の第一人者だし、その人と日本人の自分が似ている、と褒められる(彼女らは良い人に似ている、というつもりでそう言っていた)のもなんだかおかしなもんだ。この彫像をみると特に似ているとも思わないが。写真パネルだけだが記念館は10元取る。
煙雨楼のある湖心島への渡し場。と聞いたら南湖大橋の袂から出る、という。渡し場のおばさんに聞いてもここから乗る、という。こんな20人乗りぐらいの小船に乗る。季節柄か団体ばかりで、自分のように個人で来ている客はいない。他におらず貸切で乗り込んだ。
船はのんびりと細い水路を行く。どうも地図でみる南湖とは違うところを通っているようだ。
おかしいな、と思っていたら船着場に着いた。どうみても煙雨楼ではない。「壕股塔院」と書いてある。これも最近できたばかりの建物だ。しばらく船は来ないから塔でも見て来い、とおばさんがいう。ここでも10元取るというから入らず。
船着場にたたずんでその辺を見渡す。幸い寒くなく風もないがとにかく新しい建物や橋ばかりだ。
待つこと15分。今度は50-60人は乗れそうな船が来た。10人くらい乗る。ものの5分で湖心島についた。
12日朝一人で市の中心部まで歩く。とにかくこの町はオートバイに占拠されている、というくらい道に原付があふれている。それも70%くらいホンダだ。日本のオートバイは耐久性がよいので砂漠や熱帯という気候が厳しいところでは人気があると聞いたことがある。
地図をみると宿のAMARA Hotelから中心部まで4キロ弱。時間があるので歩く。まだ少し足が痛い。例により今回もまったくホーチミンの予習をしてこなかった(Trwalwalkerの準備はした)ので前日他の人に見所を聞いて、見世物屋の宣伝用の簡単な地図を持って出かけた。
ホーチミン、旧サイゴンはフランス植民地時代の古い建物がいくつかかろうじて残っており、中心部には並木の大木がある。歩道は石畳だったりするが手入れが悪くてでこぼこ。歩いている人も少ない。
レース後でホーチミンでは一度も走らなかった。狭い街だし、気候がよいから走りたいところだが足が痛い。バイクが多いので相当朝早くないと危ないだろう。
中心部にある戦争博物館。大きな展示場ではなく展示物も写真が多い。そのせいか入場料100円程と安い。月曜日なのに外国人だけでなくベトナム人の若い人も多数入場しており、メモを取ったりしていた。
写真ばかりとはいえその迫力は相当なもの。ベトナム戦争は近代戦でアメリカが行ったものなのでそれまでの戦争に比べてはるかに多くのジャーナリストがオープンに取材していた。だから写真の質、量共に圧倒的なものがある。
この有名な澤田教一の写真を始め日本人カメラマンの写真が数多くある。取材中に死亡、行方不明になった日本人がこんなにいたとは知らなかった。
米国人っぽい人たちがたくさんいた。展示は米国の攻撃の激しさ、残虐さを重点的に展示しているが、別のコーナーでは米国はじめ、日本も含めて反戦活動の紹介も大きく取り上げてバランスに配慮している。この辺が中国の展示と違うところか。
戦争博物館すぐ裏の統一記念堂(旧大統領府)へと歩く。道端でペットを売っている。この手の子犬が10匹ほど。おとなしく寄り添って座っており、なかなかかわいらしいので人が寄っていた。そのほかには亀とリスを売っていた。両方とも愛玩用だろう。
このあたりは旧市街の真ん中で街路樹が生い茂って熱帯の雰囲気がよく出ている。
旧大統領府。広い敷地に大きな建物で、中の部屋も一つ一つが大きい。無駄なくらいスペースがある建物。ここも入場料100円ほどで入れる。
会議室、宴会場、執務室、図書館、娯楽室など。堅牢でシンプルなつくり。長持ちしそう。
バルコニーに登りホーチミン市街地をみるとまだまだ高いビルが少ない。ここは高架道路もないし地下鉄もなし。都市に関する考え方が中国とは少し違うようだ。
街で一番趣があるノートルダム大聖堂。1880年代建立でそう古いものではない。この横の郵便局も欧風の広々した建築。
ここは11時から2時まで休業。他の観光スポットそういうところが多かった。お昼は家に帰って食事をする、という習慣はつい最近まで中国でもあった。先日訪問したウルムチではまだそうで、昼前になると小学生が食事しに家に帰っていた。そういえばスペインのSiestaみたいに南欧も昼はゆっくり食事するという。フランスも地中海側だと案外東南アジアみたいにゆったりした生活なのかもしれない。などと思う。
午後は買い物の集団に参加。買い物通りはやたら日本人が多い。店員も日本語ができる。US$1-5という手軽なみやげ物が多くて中国人のみんなも大量に買っていた。こういう点上海あたりの中国人マインドはかなり日本人に近い。
買い物にはすぐに飽きて一人離れ通りのカフェで夕食まで本を読む。ベトナムアイスコーヒーは強烈な濃さでいくら氷で薄まっても味が薄くならない。長居するには最適。ここでは日本のようにオーダーとは別にアイスティーを出してくれる。真ん中のコップ。なくなると氷もお茶も継ぎ足してくれる。読むのは「笑傲江湖」。確かあとがきの「覇道」、「偽君子」の話は南ベトナムだった。
夕食が終わってまだ21時。23時20分集合までホテルで無聊にすごす。ホーチミンー上海FM838 1時10分発。なんとも中途半端な時間。両都市間の直行便はこれしかない。たった3時間のフライトで機内2時間寝るのが精一杯。12日朝6時に浦東空港についてそのまま会社に行った。まだTrailwalkerの疲れも取れておらずこの日は仕事中何度も寝てしまった。
昨日書いたブログを見たら日付が一日ずれていた。あわてて修正。昨日はキーボードたたきながら寝てたからな。。。
11月11日は8時半ホテルロビー集合でみんなで出かける。ところが8時半に下にいったら誰もいない。ホテルの前にもいない?こういうときは場所か時間を間違えているものだが、前夜確認している。仕方なく他の人に電話してみた「みんなどこにいる?」「部屋ですよ。今日は8時半でしょう。」「???」やっとわかった。ベトナムは中国と時差が一時間あることを忘れてた。まだ7時半だった。
体はどうかというと太腿が相当痛い。この時点で車から降りるとき手すりにつかまらないと降りられない。左足首痛はいつもどおり酷い。でも外見それほどでもなかったようでマラソン帰りと知らない人には気づかれなかった。9日朝6時から10日夜9時半までの間に2時間ほどしか寝ていなかったから10日夜は9時半に寝て11日6時半に起きた。でもまだ眠い。それに体がまだ火照っていてエアコンを強くかけて冷やさないと眠れない。
11日はまたバスで遠出。メコン川巡り。日曜日のせいか一段と道が混雑している。60キロほどの距離というが2時間以上かかった。みんなおとなしくしていたが退屈してきて1時間20分すぎくらいから中国語「四字熟語尻取り」が始まり結構盛り上がる。参加するか?といわれたが無理。聞いていて半分以上知らない四字熟語だった。
メコン川は濁っている。砂が多い。そのためこの河口あたりには砂洲が成長した川中島がたくさんある。船でそのうちのひとつに上陸。
ココナツ飴の製造直売所。出来立ては暖かくて確かにおいしい。圧搾してまぜて伸ばして切る。これは切っているところ。よくあるみやげ物やなのだけれどみんなしつこくない。声が小さい。
いたるところから日本語が聞こえた。中国人と一緒にいたり中国語でしゃべっていたりすると物売りに来ないのでなるべく中国人の近くにいるようにした。
3メートルはある大蛇。太くて重い。頭が小さい。ほとんど動かない。大蛇の脇に小屋があってそこでみやげ物を売っている。食べ物、飲み物はみな相当量の試食をさせてくれるので買っている人が多い。自分もつられてお菓子を買った。
森の中を歩いているのは楽しいが飽きてきた。というころに小船に乗る。
小船が無数に行き交う。こんなに観光客がいるのか。漕いでいる人の半数は女性だ。黙々と櫂を振るう。
かれこれ10分ほども乗る。どこに行くのかと思ったら本流の方に出た。ここで乗ってきた船に乗り換えて船着場へ戻る。
昼になったので岸に上がってからレストランへ。田舎の観光用レストラン。料理はかなりいける。ベトナムなので春巻き系がどんどん出てきた。この馬鹿でかい魚の丸上げが特に好評でみんな骨まで食べていた。KFCもそうだが中国人は唐揚げがみんな好きだ。
肉が少なくて穀物が多い。おかげで食べ過ぎた。うーん。自分は走った後だからいいとしてみんなはこんなに食べていて大丈夫なんだろうか?
食事後近くのお寺へ。ベトナムは仏教国だと思ったら町の中は教会のほうが目立つ。このお寺はフランス様式との折衷建築になっている。
中は質素で実際に修行している生活をそのまま見ることができる。なかなか立派な建物なのだが中国みたいに入場料を取ったりしない。それでも人が少なくて荘厳な境内だった。
また2時間かけてホーチミン市内に戻る。食事が14時頃と遅かったが夕食は18時半だという。食べられるか?
何を思ったのか高級フレンチが予約されている。古い洋館をレストランに改装している。そこに短パン、Tシャツで可。バルコニーには黒いスーツのあんちゃんと背中を大きく出した黒いドレスを着たモデルさん風のグループが上品に食べていた。料理もフルコース。
それでもワインが入って「じゃんじゃん酒持って来い」の宴会モードになる。ちゃんと仕切られた場所なのでよかった。この日は珍しく上海の女性達も酒を飲んでいた。
まだまだ疲れていたから食事後大人しく帰ろうと思ったが皆はスーパーで買い物するという。行けば行ったでお菓子など買った。品揃えは上海と変わらない。中国よりも東南アジアからの輸入物が多い。
帰ったらホテルが停電していた。自家発電で入り口とトイレだけ明かりがある。電話して文句をいったら、さも当たり前のように「1時間ほどで復旧します」といわれた。通りに出てみるとそこいら一帯が停電していた。ちょうどいい。何もできないからすぐ寝た。
会社の行事でホーチミンへ。ベトナムは16年ぶり。というとほとんど憶えていない。前回来たときはビルなど無く植民地時代の建物ばかり目立った。ベトナム出身の人に連れられてきたからいわれるがままに動き回っていたし。
10日食事後車でクチへ行く。1時間半くらいかかった。ベトナムの名所は戦争関係ばかり。戦争でいろいろなものが壊れてしまったのだろう。クチは反米ゲリラの拠点で、地下に総延長250キロという膨大な距離のトンネルを作り抵抗した。
ベトナム人は小柄なのでトンネルにわれわれが入ると窮屈でとてもさっさと歩けるものではなかった。ましてやアメリカ人など無理だっただろう。
いたるところに落とし穴や秘密トンネルがあり、照明がないから中を攻めることは無理。せいぜい爆弾でも放り投げるくらいか。何10万人という米軍が10年以上攻めあぐねたとは大変なことだ。
等身大の蝋人形(?)。よくできている。武器も米軍が落とした不発弾や遺棄した武器を再利用して手作り。本当かな。この辺はカンボジア国境に近いからから補給があったのでは。
これは蝋人形ではなく、地下厨房にいた現地女性。火を炊いても外に煙が漏れない秘密の窯。いろいろ考えるものだ。
普段は外にいて農作業をしていたというがこんな状況でできたものだろうか。地図をみると米軍基地に隣接している。お互いにさぞかし緊迫した日々だったろう。
このほか広い敷地に病院あり、会議室あり、作業場あり。トンネルの中にも入った。見ていると白人が多かった。米国人もたくさんきているようだ。
夕方ホーチミンへ戻る。とにかくオートバイでひどい渋滞。夜はサイゴン川の船で食べた。サイゴン川沿いは倉庫や工場が多く景色はさほどでもない。船で食べている人は外国人ばかり。料理はおいしかった。
ウェイトレスは物静かでよく働く。中国から東南アジアへ行くとどこの人も穏やかに感じる。あんなに大きな声でしゃべりまくるのは中国人くらいか。
合肥のホテルは如家。莫泰168とか錦江之星とか速八とか最近流行のエコノミーホテルチェーンのひとつ。ここはインターネットで予約できるから便利。209元/泊。
部屋の広さは東横インくらい。きれいです。無料インターネットもあるし設備は問題ない。ただし、如家は既存建物を改装していることが多いから変なつくり(外向きの窓がない、壁が薄い、部屋の角が鋭角)のときがある。
疲れた。路地で包子とスープ食べて寝る。
日曜13時の飛行機なので午前中合肥市内を見る。安徽博物館。古めかしい建物。日曜日とあり新規展示物の開会式。式が終わるまで入れないからやめた。小雨もぱらつく。
包公園に行く。包拯(包公、包孝粛、包青天)という人のお墓&記念堂。昔の政治家くらいしか自分もよく知らなかった。大岡越前みたいなテレビドラマの主人公で事件を解くえらい人。ドラマだと色が黒くて額に三日月型の傷(?)がある。合肥出身とはしらなかった。
団体さんが結構いた。北の方の中国語、南の方の中国語。気候がよいから旅行日和だ。包公は劇、ドラマで有名なせいかガイドの説明をみんな熱心に聞いていた。
ひとつ勉強になった。これは包公が活躍する京劇名場面の蝋人形。というコーナー。そのうちの陳世美を断罪するシーン。
陳世美は時々小説なんかに「他就是現代的陳世美」とか女をだます悪い男の代表として名前が出てくる。彼が何者なのか知らなかったが劇の解説によると田舎の糟糠の妻を捨てて皇女と結婚し妻子を殺そうとした陳世美を包公が裁く、という物語。帽子を脱いで大見得を切る包公。奥の親子3人が妻子。赤い服が陳世美。
こちらは包公のお墓。説明書きによると戦乱で何度も荒らされたらしい。
包公園自体はとても大きい。池や散歩道が整備されている日曜日の親子連れ、という姿も多かった。合肥は水の街らしくとにかく池や川が多い。
今度は逍遥津という公園へ。ここも大きい。こちらは入場料を取らないので親子連れ、若者でいっぱい。小規模な遊園地があり観覧車やぐるぐる回る遊具がフル稼働していた。
公園の南口に立つ張遼の像。215年に孫権が合肥を攻めた時ここに駐留してた張遼が迎え撃って撃退した、という故事にちなむもの。張遼は三国志で曹操の武将の中では一番良く書かれているひとだ。
ここでも合肥の守り神のように勇ましい姿をしている。
ということで合肥は三国演義の街。公園の中に「三国歴史文化館」なるものがある。20元も払うので誰も入らない。ずっと貸切で見た。
中身も復刻品や解説ばかり。さすがに「博物館」とはいっていない。ただ、三国演義の解説は詳しいので関心のある人にはよいかも。
三国の経済力比較表、なんてのもあり。それによると263年の人口は魏が540万、呉が240万、蜀が90万。これで戦ったのだから帰趨は見えていた、ともいえる。劉備は今の中国でいえば地方県知事くらいの人口しかもっていなかったことになる。
復刻された当時の船の模型。赤壁の戦いの主力はこんな船だった、ということらしい。手漕ぎの櫂が無数に出ている。漕ぎ手が相当中に入っていたということになる。川と湖を行き来するのだから海の船とは違うのか。ずいぶん重そう。
復刻した木牛。一輪手押し車だ。なるほどこういうものなのか。山道を行くには大き過ぎる嫌いがある。
11時半にここを出て飛行場へ向かう。合肥は立体交差が少ないので道がかなり混んでいる。そろそろ高架道路を作る時期にきているようだ。
走ってもなんのことはない、10分もかからず北門に戻った。ここから城内に入る。それにしても風情がある時代劇に出てきそうな古めかしい建物だ。現役で使われているところがなお良い。
北門を入ると普通の町。子供と老人が多い気がする。横丁を曲がると古い町並みだ。
しばらくいって東に曲がり報恩寺という寺を訪れる。珍しく金をとらない。中には老人が一杯。
報恩禅寺と扁額にはあるが中では南無阿弥陀仏ととなえなが練り歩いている一群がいた。その建物には浄土と書いてある。向かいの建物には法華とある。何でもありか。
坊さんの風体はどこでも同じようなもの。3人とも若僧。信者に何か書いてあげている。坊さんにしておくにはもったないような屈強な人たちにみえる。
写真を撮ろうとしたら、「こらこら。だめだよ。」といわれた。でももう撮ってしまったので笑って逃げる。
これは。最近では見かけない手押しポンプの井戸だ。ここは小さな食堂の前。帰りに通りかかったらおばさんがポンプを押して水をくみ上げていた。
寿県は水に囲まれているので井戸水は豊富なのだろう。
中国も水道は普及しているので上海あたりで井戸を見たことが無い。
合肥から寿県にくるバスからも狗肉料理屋の看板をあちこちでみかけた。寿県の店でも普通に狗料理をだすようだ。旧市街の真ん中にでかでかと店を構えている。ここは狗専門店だろうか。
別に食べたくは無いので素通りする。
まさに駆け足で孔子を祭った孔廟へ行く。「寿県老人文化中心」と看板がでていて入り口から中まで年寄りだらけ。みんなトランプかマージャンか中国将棋をやっている。もくもくとやっている。不気味なのでさっと見て立ち去る。
廟の中心はこの孔子像。古いものではないが大きく立派な銅像だ。
孔子廟の南側。細い路地に清真寺がある。ぼろぼろの門の中で子供たちが暴れていた。白いイスラム帽子の男が数人たむろしている。
なんだか不気味で中を見ずに立ち去る。こういうものの保存はこれからの課題だろう。
古い町並み。くすんだ色合い。冬になるとさびしくなるだろう。入り口から中を覗くと中庭があり平屋建て。北方の四合院のような立派なつくりではない。
土曜日の午後で学校帰りの子供。
16時過ぎた。バス停へ向かう。歩いて10分もかからない。
16時20分のバスに乗る。20元。定時に発車した。出てすぐに向かいから合肥ー寿県の別のバスが来た。すれ違いざまに停車し運転手がなにやら話している。話がまとまり、向こうのバスに移れ、という。みんな文句言わずに移る。どうやら向こうのバスは合肥まで戻るらしい。空で戻るよりは人を乗せて。最初に乗ったのは合肥まで行かなくてすむからガソリン代がかからない。という取引だったようだ。
道中すぐ暗くなった。合肥市内で混雑し19時に乗った時と同じバスターミナルに到着した。
北門から向こうは城壁上が通行止め。城壁歩きを諦めて北門外の八公山公園へゆく。地図を見るとすぐ近くだが時間が押してきているので通りかかったオートバイに乗る。中国のどこにも見られる商売だ。運転が荒いので恐い。今回他にいないので仕方なく乗ったが止めたほうが良い。
八公山公園は広いので劉安墓だけ訪ねる。劉安は豆腐の創始者とされている。実際は古い本にそう書かれているからで真実ではないだろう。
劉安は後漢の皇族でこの土地を治めていた人。ここも入場料5元取る。
入場券売り場にはおばさんが3人で暇そうにしゃべっていた。傍らでは子供が宿題帳に取り組んでいる。一日に何人も来そうにないところだ。
この石碑の後ろが劉安墓。20m四方ぐらいの盛り土。成都武侯祠の劉備の墓と似た感じのものだった。
子供が数人走り回っている。この黄色い服の子は特に元気で写真を撮れとせがむ。
ご要望にお応えして写真撮影。3人とも女の子。小学5-6年生くらい。とにかく明るい子達だった。
よくみるとみんな良い身なりをしている。表情が生き生きとしている。かなり田舎に来ているつもりだがここいらの人々は生活に余裕があるように感じる。
名高い八公山豆腐の売店。みんないわゆる腐乳。おかゆに入れる塩辛い豆腐の漬物みたいなやつ。
街道沿いに何軒かこの瓶詰め豆腐屋が出ている。餐庁では豆腐料理を出すように書いてあるが残念ながら時間が無くてパス。手作り豆腐を食べてみたかった。
道端の雄鶏。昼間っからコケコッコーと大きな声で鳴いている。近づいても逃げない。よほどの自信家とみえる。体が大きくて毛が真っ白。
ここで14時30分過ぎ。時間がなくなってきたが城壁を半周歩いて、地図も買ってみたので大体の町の様子はわかった。で、ここからは走って回ることとした。手始めに城壁まで走る。途中オートバイのおにいさんに「走ったら疲れるだろう。乗れよ」といわれた。
このところ朝(いつも?)の虹橋空港は大混雑。空港ターミナルに入る道が渋滞。中もチェックイン待ちの行列。荷物を預けると特に手間取る。MUのB楼は羽田シャトルができて余計狭くなった。浦東の新ターミナルができたら相当便が移るのだろう。
待合室に本格的なイタリアファストフード店ができている。見た目街中でもお目にかからないくらいまともなオープンサンドなど。大体30元/個。外人さんが群れていた。
それに比べて。飛行機で出されたのはこの小さなサンドイッチと小瓶の水だけ。合肥は実質飛行時間40分足らずなのでこんなものしか出せない。
飛行機は2/3程度しか座席が埋まっていない。最近の中国国内線にしては珍しい。合肥は近いからバスや電車に乗る人が多いのかも。
定時に飛び予定通り10時合肥空港着。ここにくるのは8年ぶりくらい。前回は仕事だった。
空港は省都にしては小さい、昔ながらの作りだ。空港から合肥市街地までは10キロほど。タクシーは一杯待っていてメーターも倒す。
実は、今回時間が無いので闇雲に行くのは心配だったらから少し調べた。そうしたら安徽省に住む月姫様という人のHPを発見。寿県の行き方を教えてもらった(大感謝)。勝利路の旅遊汽車駅から直行便で2時間、22元とのこと。
で、運転手にそういうと、「その場所は無くなって列車駅の近くにできてるよ」という(方言でわかりづらし)。迷ったがとりあえず教えてもらった場所に行くことに。あせってもしょうがないし。
目的地直前で勝利路が工事中。進めず。回り道も渋滞でそこで降りた。ちょうど前回泊まったホリデーインの前。100mほど歩くとバスターミナルが。いや。これは月姫様がいっていた長距離バスターミナルの方で寿県には行かない。自分のは旅遊バスターミナル。地図を買ってみると確かに駅前にもターミナルがある。列車駅は近いから行ってみることにした。後で地図をみるとその近くにもう一つターミナルの印がある。そこだったのかも?
列車駅まで歩くには遠いのでタクシーを拾おうとすると空車がいない。ちょうど目の前にこの三輪タクシーが来たので乗る。この手の車の運転手は身障者で杖を脇に置いている。
10分で2元。スピードは置いておくとして、サスが無いからでこぼこがあると直接ドカンとくる。
駅前。おお。なるほど立派なバスターミナルがある。ここなら、と入る。ところが窓口のおばさんはここから寿県は出てないよ。という。よくある不機嫌そうな様子で、そこを曲がって向こうだ、と。
出て見渡したがそれらしいところは無い。もう一度戻って同じおばさんに詳しく聞く。歩いて10分ほどの站西路の新亜汽車站に行けっとのことだった。
地図を見ながら歩く。あった。9時に空港についてこのとき10時20分。これくらいは仕方ない。まあいいほうだ。
バスは15分おき、22元+1元(保険料)=23元。約2時間とのこと。10時25分発の切符を買う。
もちろん地方のバスは定時には出ない。バスは個々の請負制だから満員にならないと出発しない。そこそこ一杯になったら出るかと思うと銭湯の腰掛みたいなのを取り出して通路に並べて無理やり乗せる。
やっと満員。後ろから次の便がクラクションを鳴らして急き立てる。10時50分出発。
13時寿県バスターミナル着。城壁が見えない?案内がてら自転車タクシーに乗る。が、この身近にいたおじいさんの一番遅いのを選んでしまった。
どれくらい遅いかというと、この大八車に抜かれた。歩くよりも遅い。この人とおじいさんは知り合いらしく挨拶。
おじいさんの言葉は完璧にわからなかった。
到着。南門はターミナルから歩いても7-8分の距離。立派な門だ。
写真左下は帰り行く自転車のおじいさん。
今朝の飛行機で上海に戻る。このJAL便もがらがら。どうも国慶節明け、という理由ではなく羽田ー虹橋便ができた影響で成田便がすいているようだ。東京で上海から別件で来ている人に聞いたらみんな虹橋のフライトをとっていた。当分成田ー上海便はすいているかもしれない。
昨夜は会議に参加した人達と食事。参加メンバーは日本、韓国、上海、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、インドから。みんな酒を飲まなくてもナチュラルハイでおしゃべり。自身はそんなに飲まないのに人に飲ませるのが好きな人たち。
とはいえ仕事関係の集まりなので隅のほうではまじめな話をしている人も多い。とにかくいろんな言葉でしゃべるのでまとまりがない。日本人、韓国人、インド人以外は中国語ができて中でも広東語が一番幅を効かせていた。
ということで中国語ができないインド人と韓国人は2次会に行かずに早々と引き上げた。
山陰本線で京都へ戻る。鈍行で3時間。ずっと東京のTさんと同行。野辺山12回、富士五湖9回、などウルトラ歴の長い方でいろいろおしえてもらった。
五条のホテルに13時40分入る。さて、またやることがないので京都シネマへいった。平日なのにすごい人出?10月1日は1000円の映画の日だった。
一番早く始まる「めがね」を観る。ほぼ満席だった。
一度も夜のシーンがない映画でずっと明るい。夜の映像は嫌いなのでこれは心地よかった。
この前の「サッド ヴァケイション」と正反対に、暴力も愛も別れも死も悲しみも家族も友情も無い映画だった。登場人物は長いせりふをしゃべらず大きな声を出さない。自分の説明をしない。美男美女はおらず。映画らしくない?
それでも内容は完全に非日常、虚構の世界。こんな人たち。こんな生活、は現実にはありえない。だからやっぱり映画だ。
この映画がいいたいことを表現するには映像よりも文字の方が適しているのではないだろうか。数行の詩で伝えられるのでは?1時間40分の映画でなく。現実がいつのまにか不思議な世界へ入る、というのは小説の常套手段で、川上弘美の小説みたいだな、などど。改めて自分は映像人間でなくて文字人間なんだと思った。
村岡100キロに参加するためもう日本に。レースは9月30日だから29日日本に入って10月1日出ればいいものが国慶節でエアチケットがとれず28日in、10月2日out。たった一日走るために4泊5日とは。3年前は2泊3日だったのに。
MU515、関空行9時30発。国慶節前でフライト満員。2時間で着くからどうでもいいが。こういうときに限って定時に飛行機が飛ぶ。12時半関空。時間があるからのんびり本日の宿京都へ。普通列車ばかり乗り継いでも15時前に四条のホテルについてしまった。
日本はいい。日本語がどこでも通じるし異質なやつがほとんどいない。
さてやることないからどうしたもんか。四条烏丸はビジネス街で何にもない。
地図をみたら近所に京都シネマという映画館があるのでちょうどいいやと入る。「暇つぶしに日本の映画館に入る」なんて8年ぶり。ちょっとワクワク。一番早く始まる「サッド ヴァケイション」を観る。
昔から映画とパチンコは苦手。じっとしてるのがつまらない。映画はまだ閉じ込められるからいいが。監督さんは有名な人らしいけど知らない。主演の浅野忠信、映画みたことあるかどうか?。
観た感じ映画は賞を取るような力作。本当に取るかもしれない。ぼくでも知っている石田えり、宮崎あおい、オダギリジョー、中村嘉葎雄。。。島田久作なんて「帝都物語」以来はじめてみた。映画の売り物北九州弁を久々に聞いて懐かしい。
それでも全編浅野忠信が唯一の主人公で他の人の影は薄い。本当の主題の石田えりも及ばない。もうちょい宮崎あおいがしゃべると思った。
意地悪く気がついたこと2つ。
中国人の子供、広東語だった。結局「好食阿」、「兔仔阿」、「阿吧、阿嗎」の3語しか話さなかった。これはどれも広東語、それも香港あたりの(に似せたへたくそな)発音。密入国者は普通福建せいぜい広東東部でしょう?あんな言葉しゃべらないよ。。
獄中の浅野忠信がなんで長髪なんだろう。受刑者は丸坊主では?
今回は出張なのでどこにもいけず。土曜日の朝また市内を走ったくらい。しかし7時前スタートで相変わらず真っ暗。中心部から外れると工事してて下がでこぼこだったり人が少なかったりで危ないので繁華街に繰り出す。相変わらず人が少ない。
暗くて面白くないからそろそろ切り上げようとしたら上りがあり。坂があると登りたくなる習性なのでそのまま上がってゆくとウルムチ市の最高点紅山公園に入っていった。中には人がたくさんいて体操や散歩やダンスをしている。もう明るいが残念ながら今回すぐ戻る予定でカメラを持たず走りに出て写せず。
紅山の最高点は910mだそうだ。塔がある。晴天で市街の様子がよくわかる。ウルムチ市は大都会だ。石油など天然資源でこのところ急速に潤っているらしい。市から一歩出ると砂漠なのもわかった。
公園内をぐるっと回ってホテルへ戻る。軽く走るつもりが1時間15分になってしまいあわてて着替える。
帰る前に少し時間があったので近所を見物した。
中には白装束に髭の男たち。
ありえないもの。「天津甘栗」!中国でみたことがなかった天津甘栗がよりによってウルムチにあった。
偶然写ったお兄さんお顔が怖い。
街中いたるところにこの「第5回全国各地温州商会年会」のポスターが張ってある。ちかごろ盛んに取りざたされる温州の商工会が年次総会をウルムチ開くようだ。その余興に出演するのがこのポスターの歌手たちで、顔ぶれがすごい。孫燕姿、譚詠麟、張靚頴、羽泉、謝霆峰、香香。。。有名どころばかりだ。道理で空港に孫燕姿を出迎えるファンが垂れ幕掲げていたり、ホテルで張靚頴の握手会をやっていたわけだ。このコンサートは一般公開もされるようだった。ウルムチで催されるショーとしては屈指の豪華なものだろう。
22日土曜夜戻り(例により1時間以上飛行機が遅れた)。後ろの席の南通から来た団体客がうるさかった。賈平凹の「浮躁」を読み続ける。やっと半分終わった。金狗と英英が別れたところ。
日曜朝走ろうと思ったら雨。どうせ汗をかくのだし、雨でも帽子被れば走るには問題なのだが決心つかず。8時過ぎ止んだので張江を一回り走る。20キロほど。湿度が高いので思いのほか汗をかく。雁坂の影響で太腿が重い。来週の村岡までには戻るだろう(でないと困る)。
出張で新疆ウイグル自治区のウルムチ市に来た。こんなところに出張するのは初めて。上海から飛行機で5時間もかかる西の外れ。
例により街の様子を探るため今朝走ってみた。ところが北京から3000キロも離れているここは実質的に時差が2時間ある。だから朝がなかなか明けない。それを見越して7時過ぎホテルを出たが真っ暗。7時半過ぎ少し明るく、7時45分街路灯が消えたがまだ写真写すと黒いだけ。
7時過ぎも2時間時差あれば5時。朝食食べる人が居そうな牛肉面屋さんは誰も客がおらず。座っているのは少年店員ばかり。
実際街の中心部なのに人出はまばら。通勤する人、お年寄りの散歩も少ない。後で聞いたら10時始まり、19時終わりという会社も多いそうだ。
明るくなり、パン屋さんが繁盛してた。各種の焼餅、中に具の入った包馍風のもの。上海では見たことのない形のもの。パン屋は多い。
まだ夏の名残で昼は暑いそうだが朝は涼しい。17-18度くらい。体の大きな男性は半袖Tシャツで朝から出歩いている。ただ、年配の人たちはちゃんと上着まで着込んで秋めいた服装。
こちらはこんな風にどこにも漢字とウイグル文字が併記されている。併記しなければいけない(ウイグル文字だけではだめ)はずだ。同様規則はチベットでも吉林省の朝鮮族自治区でも施行されている。昔は地方文字だけの看板もあったがあるときから禁止。文化は尊重するが中国であることを忘れないように、という意味。
結果的にアルファベットがない。漢字とウイグル文字がわからない人にはつらい。
街中の何でもないモスク。こじんまりとして汚い。でも人が居て日常感がある。
見渡すとイスラム風の服装をした人は20人に一人くらいだろうか。ウルムチの街中はほとんど中国人だという。
モスクの前で葡萄を売っていたイスラムのおじいさん。白い帽子と白いひげが絵に描いたような姿だった。
1時間ほど走る。湿度が低いからほとんど汗をかかない。戻ったころには完全に夜が明けていた。
14日のフライトで日本へ。
宿泊は人形町の東横イン。東横インはコインランドリーが着いているのでマラソンの時よく泊まる。人形町は箱崎のTCATから近いので出張でも最近常宿と化している。
場所が場所なので一泊7140円。でも人民元換算すると460元ほど。そう考えると安い。最近中国内出張に出ても最低600元くらいのホテルに泊まっている。日本が安いのか中国が高いのか。
夜は何年かぶりで恵比寿へ。小さな居酒屋で結構飲んだ。日本の店の料理はやっぱり全然おいしい。中国の日本料理は化学調味料くさい。
一緒に飲んだ人の娘さんと。
ダイビングの話になり、伊豆なんかだと一度もぐると1万8千円くらいするという。マラソンだと大体1キロ100円。萩往還250キロで3万円。今週の雁坂峠140キロで1万2千円。そう思うとマラソンは安い遊びだ。
よく飲んだせいですごく寝た。12時前に寝て起きたら8時半だった。
9時半ホテルを出て東西線と中央線で甲府へ。3時間近くかかり12時40分甲府到着。駅で清算するとき1510円のところ1620円取られた。若い駅員の間違い。後で気がついたがこんなこと珍しい。
甲府といえばなんでも武田信玄。大河ドラマでのせいで「風林火山展」なんていうのを市役所でやっていた。入場料600円って高い。入らず。
ここでもホテルは東横イン。6090円。380元相当だ。 ぶらぶら城跡など見てすごす。甲府は城跡の中にJRの駅ができている。案外こういうのは珍しい。駅と城が離れているところの方が普通、などとつまらないこと思う。
それにしても暑い。30度越えている。明日も同じような天気とのことで、雨よりも暑さ対策が必要になりそうだ。
駅前のホテルフジオで18時から説明会。立ち見も出る盛況。注意事項とコース説明。 ぐるっと見渡すとみたことある顔もちらほら。どこにでも顔を出す人もいる。
何人か選手が紹介され、一番北の千歳から来た人と一番西の宝塚からの人も紹介された。今回実家の住所で申し込んだけど上海から来たといったらどんな顔するだろうか。
19時前に説明会終わり。外に出ると真っ暗。夜の甲府は静か。近所でステーキ食べてホテルの戻り寝る。
平遥は山西商人の根拠地として栄えた街。周囲にも古い建築物が沢山ある。
平遥から北東へ12キロの農村の真ん中にある鎮国寺。中国でもっとも古い木造建築にひとつという建物がここにある。1000年くらい前のものだそうだ。
平遥からバスで。。。とガイドブックにはあるがよくわからないので駅前からタクシーに乗った。往復で40元。途中陸橋が壊れていて通行止め。舗装していないトウモロコシ畑中の道を行く。天気がいいので子供が沢山遊んでいた。羊の放牧もよく見かけた。
入場料20元。これが中国最古といわれるお堂。軒下の柱組みは確かに釘などつかっていない寄木造り。たいしたものである。古びた風情をそのまま残していてとても感じが良い。
何よりも良かったのは中に人っ子一人観光客がいなかったこと。
貸切状態で参観した。
このほかにも沢山仏像あり。誰も居ないから、と写真をとっていたらどこかで見ていたのかカメラでもあるのか。最後のお堂を出たところで寺の小僧が突然現れて、撮影禁止、という。咎める顔つきだがさほど迫力ない。いくつか消去した。
寺の外は麦畑。牛が歩いている。
2日目(9月9日)朝城壁を降りて北口近くに新しくできたバスターミナルから太原へ戻る。途中「喬家大院」という金持ちの家を見てゆく予定。張芸謀の映画ロケ地だそうだ。
ここで祁県経由喬家大院ゆき、のバスに乗る。11元。田舎のバスは個人経営だから満員になるまで発車しない。乗っている人は土地の農民風の人が多かった。なかなかでなくても誰も文句言わない。
結局乗ってから40分待ってやっと出た。途中どんどん乗客が降りてゆき、50分後に喬家大院で最後の一人として降りた。喬家大院は平遥ー太原のバス路線上にあるから、わざわざ喬家大院行きのバスにのらなくても太原行きのバスに乗り途中で降りればよかった。太原行きバスは祁県行きより頻繁に出ている。
喬家大院は完全に観光地化。団体さん大歓迎で土産物屋が軒を連ねている。入場料40元。高さ10mくらいの塀に囲まれた大邸宅。中は広いんだけどあんまりの人ごみに入った瞬間出たくなった。どの建物も同じようなもんだし。
太原に戻る時間も押していたので早々に出た。見ていると全国各地から団体が来ていた。
喬家大院を出たのが10:30。14:20太原発上海行きの飛行機に乗るから13:20までには空港に着きたい。距離は60キロくらい。
街道までゆくとタクシーが2-3台いる。しょうがない。またタクシーか。300元くらいとられるかも。と思いながら道を渡ったらちょうど目の前に太原行きバスがきた。思わず乗ると太原まで15元。車掌に空港までどうやって行くといいか尋ねると、一番空港に近い場所で降ろしてくれるという。そこにはタクシーも沢山走っている、と。
1時間ほどで石炭の街、太原市街地に。さすが省都。大都会だ。車掌がここだ、というので降りたらすぐ後ろにタクシーが。ここから空港まで10分。14元だった。今回総じて親切な人が多かった。商売っ気で近づいてくる人たちもしつこくない。大きな声を出さない。やはり地方の方が人がいい。
馬やロバが結構いました。馬とかロバって速いんですね。歩くよりも遥かにスピードがある。走らないと追いつかないくらい。
この老人を乗せたロバはこの街の名物らしい。老人の後ろの壷は肥桶。朝晩この人は城外からきて民家の汲み取りをしている。2日間で2回みかけた。
山西省の人は小柄。北方の人は大柄のイメージがあるから意外。
女性は上海など江南の人よりも小さく、福建人くらい。
みな温和。なにしろ声が小さい。大声で叫んでいるのは観光客ばかり。太原で乗ったタクシー運転手のおばさんがあんまりソフトにしゃべるので気持ちがなごんだ。
ゆっくりしゃべるせいもあり、言葉が聞き取りやすい。ホテルに電話して予約したときからわかりやすい標準語を話す人だな、と思ったらみんなそうだった。土地の方言は全部疑問形みたいに語尾があがる。
おや懐かしい。華国鋒主席とは。彼が山西省出身だとはじめて知った。
地元の偉人なんだ。まだ生きてるはずだけど。
いたるところに消火砂が置いてありました。この地域は年間降雨量500mlそこそこと雨が少ないので水が貴重なのでしょう。乾燥しているから火事も起きやすそうですし。こういう風に紙袋に入って窓際においてあります。
沖縄でよく見かける「石敢當」が街中に沢山ありました。帰って調べたら起源は中国で中国全土に幅広くあるそうです。