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今朝まだ曇りで気温が低め。3度くらいか。浦東は浦西より気温が低い。風が無いから普通に走れた。12キロ。4日ぶりに雨があがったので走っている人が多かった。
1ヶ月大会から遠ざかっているので足首痛がだいぶよくなった。これさえなければ長丁場も我慢できるだろうからなんとか完治してほしい。来週の廈門マラソン結果悪くならないとうれしい。
今年を振り返るとひざ、足首、足底、腰、首、最後に肘、と次々いろんなところを痛め、発熱したままウルトラを走ったり、苦しい年だった。と同時にどれくらい不調だとどういうタイムになるか、という新しい発見もあった。今年のピークは7月の夜叉が池だったようだ。体調的によく、40度の猛暑下、体はばてず、タイム的にも悪くなかった。
全体として温暖化なので暑いレースばかり。宮古島、太陽の道、萩往還、大阪湾、夜叉が池、雁坂峠、国東半島。うまくいったのは萩、夜叉が池。失敗だったのは大阪湾、雁坂峠。怪我でリタイヤした太陽の道は仕方ないとして前回よりも良かったのは萩往還だけだった。スピードがないからアップダウン、トレイル系の方がフラットなロードよりも向いているのかもしれない、と改めて思った。
朝30キロちょっと走る。最初は一人で。後半は練習会の人たちと一緒。今日帰国するI嬢が最後の練習、と参加していた。いつも練習のアレンジをしたいただき、お疲れさまでした。
雨が降って暖かし。そこそこ汗をかいたがこのところ飲み会ばかりで体が重い。帰って測ったら体重も多めだ。
午後外出して帰る途中キーホルダーをなくしたことに気がついた。どこで?多分バスの中だろう。お金を払いジャンバーのポケットに突っ込んで置いたから戻すとき入れ方が浅かったのでは。
金目のものは交通カードぐらいだがクレジットカードとキャッシュカードが入っていた。再発行するには数日かかり、連休に入るから困った。
とにかく鍵を、と不動産屋さんに予備の鍵を貸してもらうよう頼む。運良く電話がつながり事の次第を話したら届けてくれる、という。1時間半くらいかかるというので電話したところから1時間ほど歩いて帰宅。
顔見知りだが話したことが無い不動産屋の女の子が持ってきてくれた。ついでにオートロック用のカードもアパートの事務所に行って作ってくれた。とてもまじめで親切。よくみるとまだ高校出たてくらいの子だった。
部屋に入りカードを止めよう、と番号など調べていたら、もしかしたら途中で靴を買った大型スポーツ店Decathlonで落としたのかも、と思い当たった。靴を試すときずいぶんかがんで、その姿勢だと落ちやすそう。ダメもとでバスに乗って戻ってみる。
入って靴コーナーへ行き聞こうか、と思ったら「財布を落とした方、受付まで来てください」と館内アナウンス。小銭を入れていたから財布にも見える。まさかね。そんなうまくは。と思いつつも受付へいったらそうだった。ここでも応対してくれたのは若い女の子で、中身を聞かれて答えたらすぐくれた。やはり丁寧な応対。
なんだか得したような気がした。
今朝起きて走る支度し外を見たら雨。予報と違う。一瞬怯んだが小降りだし雨なら寒くなかろう、とゴアテックスに着替えて走りに出る。途中強くなったものの途中で止められず。10キロ走る。5度くらいあり汗をかいた。
昨夜「Bistro周」というレストランの東郊賓館店へゆく。フレンチ&イタリアンでおいしいと有名な店だそうだが、なぜかものすごい辺鄙なところにある。
張江の金科路、といっても張江に勤めている人でないと知らないだろう。長めに走るときよく通るが人気のない道だな、といつも思っていた。ましてや龍東大道の北側部分など。奥にバラックが点々としているようなところ。
そこでも更にわかりにくい東郊賓館(実は上海の迎賓館)のずっと奥、となると普通誰もこない。昨日の客は2組だった。上海には他に西郊賓館と徐家匯の南丹路に店があるそうだ。これらもアクセスは悪くないがどちらかというとマイナーな場所。日本にも2店あるがそちらは両方とも日本橋だと。
東郊賓館に入ってからまた延々と車で走りやっとついたアスレチックジムにある。
空いているせいか168元のフルコースが100元のサービス中。ワインもリーズナブルな値段。
これが前菜。盛り付けも味も上海らしくない。パンがおいしい。
メインのステーキ。やわらかくておいしい。前菜、スープ、メイン、デザートですべて量が豊富で男性でも腹いっぱいになる。これで100元は安い。
それにしても場所が悪い。行ったことが話しのネタになるほどひどい場所だ。もちろん帰りはレストランの人がタクシーを呼んでくれた。
行き方:地下鉄2号線終点張江科技からタクシーで10分。
天気予報通り今朝は昨日以上の冷え込み。きれいに晴れ上がって浦東はマイナス2-3度。おかげで池の水は全面凍結。今年初。
昨日よりも厚い帽子、手袋、靴下で朝12キロ走る。風が無いから思ったよりもきつくない。そこそこ汗もかいた。これくらいならば普通に走れる。
昨夜東平路の「Azul & Viva」で忘年会。スペイン料理店でなかなか食べやすい。2/3くらい外国人で空いていた。やっぱり上海の料理はここ2年くらいで急にレベルが上がっている。最近それなりの店へ行くとちゃんとnativeの人が料理を作っているし、上海人もオリジナルの味の許容力がついている。
20年くらい前台湾によく行っていたころ会社の台湾人は決してピザなど食べなかった。今は各国料理が花盛り。香港でも日本ラーメンの価値を認めてくれなかった。食の進化は予想以上に早いようだ。
昨日が冬至。暗いのと寒いのが嫌いだから一年で一番いやな日。まして小雨で冷え込んで、まったく、と午前中の駅伝で思っていたら。それどころか、夕方になり強風で気温が見る見る下がり真冬になってしまった。天気予報どおり。
今朝5時半から12キロ走る。雨は上がっているが今年一番の冷え込み。0度以下か。Tシャツ2枚にトレーナー、ジャージ、毛糸の帽子。それでも初めのうちはなかなか体が暖まらず。3キロくらいで少し楽になってきた。
途中強風で工事現場のトタン塀が崩れ落ちて道をふさいでいたり、寒くて固まったバイクが突っ込んできたり。走っている人は5-6人しかいなかった。しばらくこの寒さが続くそうだ。
7時になってようやく屋根の上に陽が見える。それでも最近天気がよくて空気も上海にしては澄んでいるから絵に描いたような朝日。
西安で昼時間がないので簡単に済む泡馍を食べた。「馍」は日本語にない字で、「食」偏に右が「莫」。西安名物。
焼餅(堅いパンのような、ナンの密度が濃いような小麦製品)なのだが重量がある。
大きさは握りこぶし大。
これに肉を挟むと「肉挟馍 」。「泡馍」は字の通り(泡はお湯をかける意味。お茶漬けのことを「泡飯」という)。ちぎった「馍」にスープを掛けたもの。
お金を払うとお椀に入れて「馍」をくれる。
これを手でちぎる。面倒くさいからこれくらいに適当にちぎったら店のおじさんが通りかかり、「だめだこんなんじゃ。もっと細かくちぎらにゃうまくないぞ」、というようなことを言う。
周囲を見ると他の客はしゃべりながらゆっくり時間をかけて粉々に砕いている。もう少し砕いて店員を呼ぶ。
店員がお椀を持って厨房に入る。その前にお椀にテーブル番号のついた札を放り込む。
砕いていると付け合せのにんにくの酢漬け(味はラッキョウそっくりだ)、辛子味噌をもってくる。なめると普通に辛い。どこの西北料理店でも出てくる例の調味料だ。
馍を砕きながらお腹の空いている人は時々にんにくをつまんで、辛子味噌につけて食べる。
さきほど砕いたのにスープを掛けたものがしばらくすると戻ってくる。牛肉入りで12元。スープは牛味で油が少なくさっぱりしていて塩気も弱くて食べやすい。掛けてあるのと同じスープが小さいお椀でついてくる。足りないとき用のようだが、これだけ飲んでもおいしい。
肉のゆで方の加減よく。同行した上海人もおいしい、とスープまで全部飲んでいた。
小麦粉製品のスープを掛ける。といえば普通麺かご飯か細かい、細いもの。自分で砕く趣向は変わっている。
パフォーマンスがあるから日本で売り出せが流行るかもしれない。
入ったのはこういう店。道端の大衆食堂。イスラム系の店で牛肉、羊肉、とある。昼時とあり始終満員だった。
中国のこの手の大衆料理がここ3-4年で急速にレベルが上がっている。
以前の油ギトギト、味の素ドバドバ、塩をぶちまける、見たいな料理が減ってきた。
今年一番まずかったのは春の浙江省金華の屋台の麺と先月開封で食べた蟹か。
出張で西安へ。話に聞いていたが予想以上に霧が濃い。市内の明け方は見通しが悪い自然の霧ではなく公害だといわれている。前日成都が大濃霧に包まれて飛行機が全部欠航。空港は一万人の人で溢れたと。
西安といえば城壁なのだが。あわただしい訪問でじっくり見る暇なし。西門を通る過ぎるとき車を降りて少し眺めただけ。
多分今回で6-7回目の西安訪問だと思う。いままでも城壁に感心していたが城壁を探訪するようになって初めて来たら。すばらしさに感動するばかり。間違いなく現存する城壁で今までみたうちNo.1。
とにかく高くて幅があって長い。レンガの保存状態が良い。
こういう風に自動車が通れるほどの大きさのアーチになっている。
今もこの規模の街で残っているのは南京くらい。暖かくなったら是非来よう。
今のところ
1月 廈門マラソン、宮古島ウルトラ遠足、勝田マラソン
2月 香港マラソン
ここまで申し込み済み。3月以降これから。冬場はウルトラが少ないからどうしてもフルが多くなってしまう。できれば2月にフル以上1本。3月50キロ以上2本入れて4月以降に備えたい。ただ、仕事の兼ね合いで時間が取れるか微妙。
それにしても周りでみんなごほごほやっている。風邪が大流行。
先週土曜昼まで東京。増上寺前からみた東京タワー。こんな青空は上海の冬には無い。周りに木が多いのも。こうみると東京の都心部は結構木立が多い。
ただ、こうしてみると東京タワーは低い。こちらでむやみに高いビルを見慣れているからそうかんじる。
タワーを見ながら歩いていたら前から完全装備マラニックの人が走ってきた。街の中をあんなスピードで走って危なくないか。
昔から気になるのだが、JRの表示で新橋のことを「Shimbashi」と書く。日本橋も「Nihombashi]」だ。
ヘボン式表記らしいがいい加減に直したらどうだろう。外国人が「シムバシ」、「ニホムバシ」と覚えたら困る。
難癖つける人が多い日本で何故誰も言わないのだろうか?
午前中40キロ走った。高科東路を突き当たりの華東路までゆき北上。金海路から戻り世紀公園周りで終了。天気予報だと最低気温3度で着込んで出たが日陰でも5度くらいあった。手袋要らず。天気がよいから昼ごろ12度くらいはあった。
北上時は向かい風がそこそこ強く、華東路は単調な直線路だから途中でいやになった。途中工事をしているし。やっぱり練習だとこれくらいの距離が忍耐の限界か。途中休んだりして長く走りたいが何分浦東のコースは公園も何もなくて休むと冷える。
信号待ち以外休まずとことこ走ってきたら、30キロ過ぎ碧雲路で外人さんたちがサッカーをやっていてしばし観戦。すると走る気が萎えてしまった。その後はだましだまし、なんとなく戻った。
走っていて一番考えてはいけないのは「速く終わらないかな」。そのつぎが「あとXXキロ」。終わりの方はそんなことばかり思う。
12月は大会がないから長い練習を入れざるを得ないが、同じ40キロでも大会の方が気合が入って全然よい。
しまなみ海道が今年限りで中止になった。一度しか参加していないが、それが初100キロだったから思い出深し。
交通の便がよくて制限時間が長いから参加しやすいよい大会だっただけに残念。
ウルトラを始めてから5年経つがその間に大村湾もなくなり、海宝さんのレースが少なくなり。萩往還も一時期継続が危ぶまれた。ウルトラは手弁当、ボランティア大会が多くて時間が長いから主催者の負担が大きい。どれもこれもいっぱいいっぱい。あるうちに走っておかないと、という思いが強くなる。
とりあえず直近は1月の宮古島。これも今年で最後かもしれない。
南翔の古猗園入り口の狛犬。とてもアニメチックな造形。深い意味があってこうしたのか。現代的味を出すためにこうしたのか。
狛犬は入り口の守護のためにいるのだが、これは苦しんでいるようにみえる。
いわゆる江南水郷の里で杭甬高速道路の柯橋ICを下りてすぐのところにある。
日本のガイドに出てこない町だが中国のガイドブックを見るとポピュラーな場所。
行ってみると中心地域の保存状態は良好。普通にみんな住んでいる。
入り口はばかでかい駐車場があり観光地化を目論でいる。しかし全然観光客がいない。物売りの店が多いが商売っ気はさほどない。
暮らしている人たちにそういう意識はなさそうだ。
とにかくやたらと干し肉がそこらじゅうにぶら下げてある。
これは腸詰。豚だろう。
腸詰店の店先。
町の人たちがこんなに食べるとも思えないから観光用か?
この日昼紹興の咸亨酒店で食事したが、名物料理はどれも保存食風のものが多かった。霉干菜や臭豆腐、ハム、ベーコンなど。
こういう食材がこのあたりで主流になっている。海に近くて豊かそうなのに不思議。
豚だけでなく鳥ももちろんいる。こちらは鴨。
「醤鴨」といって醤油系のたれを塗って干す。
通常干したのをぶつ切りにして炒めたりする。よく干したのはおいしい。と個人的に思うが好き好きのよう。
醤油をつけず普通に干したのを江蘇で「板鴨」という。南京あたりにいくとみやげ物やで売っている。
こちらは鳩の干したの。二回り小さい。肉も少ない。
なぜこの地域はこういう保存食系が発達したのだろうか。興味深いところだ。
残念ながら昼食後に訪れたので食欲が無い。食べずに去った。
古い中国銀行の建物。郵便局くらいの大きさ。この町はかつてはこの地方の中心地だったのだろう。今では繊維工場に取り囲まれている。
悪く無い場所だが交通の便がよくない。公共交通で行くとすると柯橋からタクシー。あるいは杭州空港がある蕭山からタクシー。
ひなびた感じはなかなかのもの。
日本出張。新橋に泊まる。最近よく泊まるホテルだが不景気で人が少ない気がする。
朝隅田川沿いに走りに行く。冬至前で一番朝が遅い季節。6時でも真っ暗だ。
いつものように築地を通って行く。買い物、見物客多数。若い人が目立つ。
ここは5:00-13:00しか営業していない。ならびにとんかつ屋やすし屋があるがここが一番込んでいる。6時台といえば市場の仕事がひと段落して食事する時間。手ごろな値段でちょうどよいのだろう。
月島もんじゃ街を抜けて佃島へ。名前の通り佃煮屋が多い。それも古いのばかり。
こういう街並の後ろ、隅田川沿いはどこもビルや高層マンションになっている。川沿いはコンクリートの散歩道。
ぐるっと回って商船大学前を通り戻る。
大学の向かいのある大きな錨。ほんとに大きい。
12月というのに大変な陽気で汗だくになって帰った。このところお客さんやら忘年会やらで食べすぎだから絞らないと。
上海に北朝鮮料理店がいくつかある。朝鮮料理で民族服のウエイトレスが数人いる。全員胸に金正日バッチをつけている。
彼女らはみな給仕だけでなく芸を持っていて、歌ったり踊ったりする。2年くらい前初めて行った時まだ硬い感じの子達が多かった。
今週久々に行ったらずいぶん明るい雰囲気。
いつもながらあの服でドラムを叩いたりベースをぼこぼこ奏でたりすると調子が狂う。そのアンバランスが面白いのだけれど。
お客さんが少なくてわれわれが日本人なので日本語の歌も歌ってくれた。「2人でお酒を」を歌いながら酒を注いでくれたり。
みんな素直そうで愛想が良い。踊りも演奏も歌もうまい。聞くところによると家柄が良くてちゃんと音楽学校などを出た人たちが派遣される。3年で帰りその間はずっと中国にいるらしい。
北の人ということで大柄な女性をイメージするがみんな細身で背も低い。そもそもすごく若い。痩せているのはやはり食糧事情の影響もあるのだろうか。
あまりうまくないが中国語も話す。オーダーすると高いものを薦めたり商っ氣はあるものの料理を運んだり歌ったりする様子は一生懸命で素朴に感じられる。
料理はおいしくなかった。
来客で昼食を徐家匯の「十味観」で食べる。台湾系の店で小籠包が売り。一番の名物はこの5色小籠包。蟹、フォアグラ、薬膳、糸瓜、普通、の5種類の小籠包がひとつの蒸篭に入っている。
これで28元(だったと思う)400円くらいと高い。
もうひとつの売りは大きな小籠包(というのも変な言い方だが)。直径8センチくらいあり、中には蟹スープが詰まっている。
これはこの店のオリジナルではなく他の店にもある。中にはストローで中を吸う趣向の店もある。通常「灌湯包」といっている。22元(約300円)蟹がいっぱいだから高い。
この薄い皮にうまく包んであるものだ。
午後少し観光して時間があったから「小籠包」で押すか、と南翔へ。
古猗園へ行く。入り口にこういう看板が出ている。南翔小籠包の発生の地創業1871年。
ここは昔のお金持ちの庭園で中はそこそこ広い。とはいえこれといって見るべきものは無い。鶴が一羽いた。
庭園の入り口に巨大な小籠包の蒸篭を模した盆栽が置いてある。直径2mくらいある。
みんな足を止めて写真を撮っている。
庭園の外は小籠包レストランになっている。ここが発生の地と。大きな建物で結婚式の案内のでていた。ここでパーティをやることは地元的には面白いのかもしれない。
庭園の外にずらっと10軒くらい小籠包店が並んでいる。どこも普通の一蒸篭20個15元(280円)。蟹小籠包10個15元と均一化価格。売っているの見た感じ形、大きさは同じ。
昼間小籠包を食べたの全然食べようと思わなかった。
南翔は上海市内から空いていれば車で30分程度で着く。
午前中35キロ走る。いつもの張江ー高科路ー申江路ー金橋に少し迂回した。しっかしまあ。なんと寒いこと。冬の朝走る格好で出たが快晴なのにほとんど汗をかかない。逆に向かい風や日陰に入ると冷えてきてジャージのジッパーを首まで上げて走る。
こんなに好天なのに。風が弱かったからいいものの強風だったら早々にめげていただろう。
冷えるから足、体へのダメージが少ない。でも小さい走りになっていて足をあげてないものだから終盤小さな突起につまずいて転んでしまった。今年は最後までアクシデントが多い。
話変わって。お金の話。
6月にそれまでの手堅い投資信託が満期になり、銀行に行ったらもう少し儲かる(リスクもある)のを薦められた。香港の銀行で香港での口座の話。
内容は南米や東欧など新興国株式と商品相場。当時は好調だったから困らない程度の金額を購入。
7月から下がり始めてあっというまに暴落した。何種類かの組み合わせだが、物によっては半分以下。
相場が下落して投資に手が出ない状態を大閘蟹(上海蟹)という。大閘蟹は手を縛られている(手の出しようが無い)かららしい。
それでも今は底値だから買おう、という人もいるが、大多数は上海でも大閘蟹状態。いつまで続くことやら。
開封からの帰りは鄭州空港から。鄭州のバス亭近くに商代古城壁跡があるので見に行った。
一口に古城壁というが、これは3000年前のもの。一見するとただの土手に見えるがこれがそう。街の中にある。
行ってみたら土手の下で素人伝統芸能会をやっていてお年寄りがたくさん集まっていた。
「鄭州商代遺址」という石碑が一応ある。ここにくるのは2回目で、1回目は1993年。そのときのこのあたりはすでに住宅地だったが、古城壁はほとんど手入れされておらずただの通路状態だった。
散歩している人がいたが草ぼうぼうで、ごみが捨ててあり、とてもそんな由緒あるものには見えず。
ちょうどいったあたりは整備されているが、もう少し離れたところは相変わらずただの土手だった。
それにしても改めてみるとその規模に驚く。高さ7-8m、基部の幅10m以上あり、後代のレンガの城壁とほぼ同じサイズ。かつてはこれもレンガか石で覆われていたんだろう。
鄭州あたりは真平らだから攻められたとき自然を利用して守る、ということができない。どうしてもこういう人工物が必要なのだろう。
それにしても3000年前のものがほぼ残っているのはすごいことだ。
一日休んで今朝ラン再開。10キロ走る。大会後で走っている人減った。6人しかいなかった。うちウエアからみて日本人風が2人。初め太もも筋肉が重いが暖まったら普通に走れる。
レース後やることは3つ。まずゴールから道なりにこちら(駐車場内です)で記録証受領。ゼッケンを一枚渡す。
3年前ゴールが初めてここに移った時プリンターが少なくて大混雑したが、最近ではスタッフが増えてすぐにくれる。
ただ、ちゃんと正面から並ばず横から入ると時間がかかる。
その次は荷物受け取り。駐車場から出てゴールゲート脇あたりに外の駐車場があり荷物バスがたくさん停まっている。ここでもゼッケンと引き換え。ゼッケンは2枚ともなくなる。
フルは記録証と一緒に完走記念品引換券をくれる。最後にこれと記録証を持って(記録証裏にハンコを押す)こちらに。今年は大きな背嚢をくれた。去年は大きなスポーツバック。それまでは靴だった。どれも美津濃さん提供。
物をもらうところの割には混乱もせず淡々と受け渡し(みんな疲れているか)。
成績上位者は靴をもらっていた。男子上位170名、女子30名とのこと。
この時間でも並んでいる人が結構居た。自分はグロス3時間33分で370位くらいだったから170位だと3時間10-15分見当だろう。
みたところ若い人が多い。
このほかにゴールするとすぐ美津濃のバスタオルとポカリスエット、みかん、チョコパイなんかの詰め合わせ袋をくれる。
会場前から無料バスで一号線莘荘駅まで行き帰った。
夜ランナーズ、チームアジアの打ち上げ。日本、韓国から参加の方もおり、総勢60名ほどの大宴会となった。
マラソンをやる人はただでさえ飲むのに走ったあとだからビール、焼酎、マッコリなど次々に空ける。
国旗もあしらって東アジア選手権のよう。
みなさん一言ずつコメント。一番速かった人が3時間11分。自己ベスト更新の人多数。
日本から来た方々は沿道の声援に感動した、という声が多かった。
プロ顔負け、Yさんの熱唱。このあとYさんはコンサートがあると会場を後に。
結局18時から22時半くらいまで飲んでいた。でもさほど酔わなず。
(感想)
・風がなく、適当に涼しくて走りやすかった。上海のマラソンとしてはベストコンデションだっただろう。
・相変わらずエイドがしょぼい。ポカリスエットとスポンジだけ。時々水。沿道で私的(?)にバナナやお菓子を渡してくれる人が結構いて助かった。
・ネットで3時間31分。前半1時間45分20秒、後半1時間45分40秒でちょうど5分/キロのイーブンで走れた。この距離なら終盤の落ち込みが無いようになった。
・あと1分で3時間半切れたが、まあ1分、2分にこだわっても。写真を撮らなかったら1分くらい速かったかもしれない。などとタイム指向になるのがフルのよくないところかも。
・やはり終盤左足底が痛くなった。これだけは何とかしないと。
走り続けているとなんとなく過ぎる25キロ。20キロー30キロはマラソンで一番記憶に残らない空白時間。このあたりは一番集中していて、疲れもないから頭が真っ白。
この5キロ24分40秒。ほぼイーブンペースで続いている。
左足首がずきずきしてきた。困ったものだ。
大通りから左折してコースは莘荘の工業地帯へ。昔通ったお客さんの工場などを通り過ぎる。
工場は日曜日なのでどこも閉まっているのは当たり前だが、全く人出がない。規制しているようだ。
30キロ。この5キロ24分54秒。まだなんとなく普通に走れている。
そろそろ太腿が疲れてきた。でもあと12キロだし大丈夫だろう。と気合を入れる。で少しスピードを上げて前で張り切っている人を抜かしたら競争になってしまった。消耗する。
結局ここからゴールまで61分でいった。
みんなへばってきたから前の人を抜かす一方。特に橋やなんかで上り坂になるとペースダウンする人が多くてどんどん追い抜く。でも時々もっと元気な人がいてあっという間に抜かれる。感心して見送るのみ。
36キロのところから高架に登る。たいしたことない坂なのに終盤だからへばってくる。
上り坂になると自然にむきになるのでえいやっとスピードを上げる。でもちょっとつらくなってきた。
足の調子は?足首は痛いが他は大丈夫そう。
高架上に緑十字の腕章の女の子が数人いてエアゾールスプレーやヨーチンを塗ってくれている。お世話になるランナーが増えてきた。
高架を降りてまた盲腸コースへ。去年同様中央分離帯代わりに人が立っている。
あと5キロを切って。やはり3時間半切りは無理そうだ。もうあせるのやめた。
40キロ。やっぱりスピード落ちた。この5キロ26分かかった。
もう足も痛いし。どうしようか。流そうか、がんばるか。とりあえずもう一度スピードを上げるよう試みる。でも後ろから来る若い人たちに次々抜かれる。
若い人は終盤強い。
人工スキー場を右手に見て、細かくカーブしているうちにぼちぼちゴールの体育公園が見えてきた。
例によりゴール前で写真を撮ると、なんだあいつ、と口々に観衆の声。
グロスで3時間33分、ネットで3時間31分でゴール。今年1月の廈門マラソン、3月の安城緑道と全く同じタイム。これが今の力なんだろう。全くサプライズなく終了。
とにかく天気がよくていい感じで走れた。